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愛情の循環の話

今日は何を書こうかなぁー。

実家(私は三重、主人は青森)から果物が送られてきました。
あんま意識したことなかったけど、世間はお歳暮シーズンらしい。

いつも良くしてもらってる友達におすそ分けしようと思ったら、こちら(田舎)では安く買えるからそちら(都会)のほうが需要ありそう、嫌いな(!)お客さんにあげて、って。優しいなぁ。

確かに都会のほうが物価は高いよね。いつもお客さんたちにおすそ分けしてるんだけど喜ばれています。近所のお客さん達にはこないだも一通り配ったので、たまには別のお友達に、と思ったんだけどなー。

もらったものを分けると、いろんなものをまた頂いたりします。分け合えば余る、奪い合えば足らぬってこんなことよね。

 そんな今日は「嫌いなお客さんにあげて」っていう彼女の言葉が印象に残りました。やっぱり好きなお客さんにあげちゃうもん。喜んでくれる人とか、何かを分け与えてくれる人とかにあげたくなるのが人情なんだけど、嫌いな人にもあげたほうがいいのかなー?
 アシュタールさん、どう思う??

「はい、好きな方にも嫌いな方にも同様に分け与えたらいいと思います。何も返ってこない人にはあげない、というのは、見返りを期待した行為であって、愛ではないですね。」

お返しに何か物品を欲しいってわけじゃないけど、感謝の言葉(エネルギー)くらいあってもいいんじゃない?もらうばかりの人って循環を断ち切っちゃう。それどころか、もっと奪おうとする人までいるんですよ。そういう人にはあげたくない。

「まだまだベイビーちゃんですね。循環させることを知らない方々こそ、循環の輪の中にいれてあげるのが愛ですよ。」

うーん、そうなのか…。
なんで彼女は「嫌いなお客さんにあげて」って言ったのかなぁ?

「ベイビーちゃんに愛を教えようとしてくれてるんですよ。」

そか…。お釈迦様は弟子たちに貧しい人たちのところに托鉢に行くようにいいましたよね。それと似たような感じ?

「そうかもしれませんし、そうじゃないかもしれません。
少なくともベイビーちゃん、あなたより彼女は愛について理解しています。」

そか…。ま、私はこんな未熟でしょーもなくて、そしてそれを垂れ流してることに羞恥心を覚えますよ。私だって恰好いいスピリチュアルマスターのふりをしようと思ったらできると思うの。でもそういうのも恥ずかしいし。きっとバレる人にはバレちゃうと思うんだー。

「格好いいスピリチュアルマスターは、私たちがいますからすでに枠は埋まっています。ベイビーちゃんは私たちの引き立て役をするからこそ、私たちが引き立つのですよ。冗談です。」

いや、なんか、ブラックな冗談やなーw

「ブラックジョークをリクエストしたのはベイビーちゃんでしょう?」

ああ、そういうこともありましたね。でももうそれは悪趣味だっていうのがわかりました。

「そうですか、それは良かったです。」

昨日から頂いた石鹸を使っています。(おっと、その前も頂いた石鹸だった。どちらも使い心地の良い最高の石鹸です。最高はいくつあってもいいよね!後ろも頂いた絵。最高!皆さんホントにありがとうございます)。

箱に鶏の絵が描かれていることに今更のタイミングで気が付きました。私が玉子玉子って言ってるからかなー。鶏の絵の石鹸だって今まで気が付かなかった。たぶん、私のために選んでくれたんだ…本当にありがとうございます。

「受け取る、というのはこういうことですね。見えない部分まで受け取ってください。それは愛情です。それは気配りです。
 
 そしてその受け取った愛情を次の人に渡すときにも、バージョンアップさせた愛を込めてください。しっかりと愛や気配りが込められたものを受け取る、という経験は誰にとっても大切で必要なことです。」

ですってー。

直接通話でアシュタールさんとお話してみたい方がいたら通訳いたします。電話番号と希望の日時をいくつか(第三希望くらいまで)書いて4980円/30分のサポートしてください。折り返し返信後ご希望の日時に教えていただいたお電話番号にお電話させていただきます。悩み事相談から雑談まで。