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ルーティンをつくってみようと思ったが

ぼくは今、個人事業主として働いている。そしてこの状況下、仕事も減ってしまった。

最初には焦りがやってきた。結構な焦燥感だ。状況がどうなるかわからないから、不安はなかなか消えてはくれない。でもどうにかしたいから、資金繰だったり仕事探しだったり、暫定的なことも含めて、できることを一つひとつ実行に移していく。

すると、次にやってきたのは謎の落ち着きだった。悲観的でもなく、前向きな諦観とでも言えるのだろうか。やることやったんだし、状況も状況だし、あとはあくせくしてもしょうがないよね、という気持ちになるものらしい。

まだ融資やら給付金の着金もしていないし、仕事が戻ったわけでもない。が、気持ちは焦るのに飽きてしまった。すると、次に見えてくるのが、足元の自分の暮らしだった。

仕事が減ったのみならず、外出はあまりできないし、娘がずっと家にいたりもするので、生活は結構変わってしまった。いただいている仕事はしっかりとやらせていただくとして、どういう風に暮らしていこうかを考え始めた。

元々結構筋トレはしてたし、今は運動不足になるから筋トレはルーティンに加えよう。犬の散歩もあったな。娘をたまに広いところに連れ出すのも必要だ。この先を考えて何か勉強するのもいいかもしれない。そう言えば、あのゲームが今安くなってるらしい。

と、選択肢はとめどなく出てくるし、 何となくルーティンになっているものもあると言えばあるのだが、改めて定めようとすると、これがなかなかどうして難しい。本当にそれをルーティンに組み込むのか、逡巡してしまうのである。

なんでこんなに決まらないのかしらと考えていたのだが、思い返すと、以前は、仕事や家事といった「やらなければいけない」こと、必要性やら緊急性により差し迫ったもので、ルーティンを半ば自動的に構築していたような気がする。追い立てられるように仕事をしていたから、自分のことなんて考える間もなかった。

そしたら、当の仕事がなくなってしまった。自分の暮らしを圧迫していたものがなくなって、「やらなければいけない」で埋めていたスペースは、ポッカリと空いてしまった。

さて何をしようかと考えてみるに、思い付くのは基本的に「やりたいこと」なのだが、このやりたさの度合いがうまく掴めない。自分のことを考えてこなかったあまり、「やりたいこと」で日々を構築するってことには、どうやら慣れが必要なようだ。

もう一つ。折角空いたスペースをルーティンで埋めるってのにも、多少抵抗があるのかもしれない。そもそも「やりたいこと」って自然と出てくるもんだから、まだあまりよく分からない状態で自分の時間を埋めちゃってたりすると、いざ「これやりたい!」って思った時に取り掛かれるだけの余白がない、なんてことにもなりかねないし。下手に決めたルーティンが「やらなければいけない」顔をして自分に立ちはだかるなんてことになったら、それこそ本末転倒と言うものだ。

ということで、シンプルに楽しいことを日々やって試していこうという、何とも平和な結論に落ち着くこととなった。noteを書くなり、2K20を始めるなり、NBAの動画を観るなり、筋トレするなり。それでもやることは結構あるものだ。

それからもう一つ。「やらない」を増やすことにした。この先さらに現れてくるかもしれない「やりたいこと」の為にスペースを空けておくのだ。「やりたいこと」新たに見つかるならそれはそれで良し。仮に新しい「やりたいこと」がその座を占めることがなくても、少なくとも風通しの良い精神状態は享受できるんじゃないかと思うのだ。

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