見出し画像

緩和ケアの支援員さんから教わった「目の温度」

先日、母が入院している緩和ケア病棟に行った時のことです。その病棟には月曜日と木曜日の週2回、お寺の住職さんが支援員で来てくださっていて、患者さんとお話をしてくださいます。

以前、母と話をしている時に、その支援員さんのことを教えてもらいました。どんな話をするの?と聞くと、

やっぱり自分が死ぬ時にどんな感じなんか知りたいやん?

とのことで、お寺の住職さんから、眠るように亡くなる方が多いと聞いて、心が落ち着いたわ!と言っていました。母はその話題の時は1時間もお話したそうです。私と話す時は15分くらいでしんどくなっていたので、よほどの関心があったのでしょう。

今は、症状が進行して、母はお話もできなくなって、寝ている時間ばかりになっています。私は、京都の実家から病院に行って、毎日顔をみにいくのですが、そうした母の様子を見ていると、すこしつらく感じることがあって、病室ではなくて、共有スペースの椅子に座って休んでいました。

その時に、

今給黎さんの息子さんですか

と声をかける方がいました。誰かな?と思って振り返ると、

週2回きている支援員の者ですけど

と言われたので、

あー!!お寺の住職さんですよね!

とすぐにわかりました。母がお世話になっておりますとお礼を述べると、

少しお話してもよいですか?

と私とテーブルをはさんだ向かい側に座られました。

私は、母が死ぬ時どんな感じか不安な時に、支援員さんとお話できてとても喜んでいたんです、と伝えると、

もちろんいろんなケースがありますけど、人が亡くなる時に痛いとか、しんどいとか、つらさばっかりだったら、こうした支援員や住職は続けてられないですよ。そばにいてメンタルがもたないですもの。そうでないということは、多くは安らかに亡くなるんですよ。

と母へ伝えたお話をしてくださいました。

私はその時、もう話ができなくなってしまった母の状況がつらくて休んでいたので、そのことについて支援員の方に相談してみました。

以前はお話できたので、顔を見に来るだけでも意味はあったと思うのですが、今は何もできなくてそれがつらく感じます。

と。すると支援員さんはこう言ってくれました。

「目の温度」ってあるんですよ。お話できなくても目をみながら、そばにいるよ、大切に思っているよ、という気持ちを持って眼差しを向けてあげてください。

多くの言葉を投げかけても、痛かったり、しんどい状態の時は、その言葉を素直に受けとめられないものです。

そういう時は、言葉よりも、あたたかい眼差しが、ご本人さんの癒やしにつながるんですよ。

そして、目を開けることができない状態だったとしても、温度は伝わりますから、そばにいて見てあげていてください。

そのお話を聞いて、自分にもまだまだできることがあるんだなと思い直すことができました。日に日に病状は進んでいて、目も合わなくなってしまいましたが、そばにいて、頑張って生きているね、大切に思っているよ、大丈夫だよ、と思ったり、声に出しながら母の様子を見ているようにしています。

もう元気になって、昔のようにお話することはできないけれど、お互いの存在で親子であることを感じ合っている日々です。

こうした日々はもうすぐ終わってしまいます。でもそれが大切な時間だったのだなと思える日がきっと来るはずです。

記事を読んでくださいましてありがとうございます。少しでもお役に立てれば幸いです。おかげさまで毎回楽しく制作しております。皆さんからの応援があるとさらに励みになりますので、サポートお願いいたします!!