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仕事について

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仕事の事についてアレコレ語っています。このままクリエイターとして死にたい!
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記事一覧

脱サラして通勤が充実した話

任天堂を退職し大学教員をしながらフリーランスとしても仕事をしているのだが、電車に乗っている時間は以前の倍になった。 大学には週4日通っているのだが、いわゆる「みなし労働」契約なので毎日何時に出社と言う決まりは基本的には無い。なので乗る電車も以前より遅めなのでほぼ座る事が出来る。 現状、仕事に様々なビジネスチャットツールを駆使しておりそのやり取りを通勤中に行う事も多い。企業では個人の端末で仕事のやり取りを行うのはあり得ないと思うのだが、今はそんな縛りが無くなったので電車内で

TVチャンピオンに出た頃の話

「TVチャンピオン」と言う番組をご存知だろうか?90年代〜00年台初頭にテレ東系列で放送されていた競技型番組でフードファイターの小林尊氏やさかなクンを輩出した番組として有名だ。未だにこの時の話を尋ねられる事が多いので記憶がある内にここに書いておきたいと思う。 遠い昔、SNSもYoutubeもブログもない時代、1998年頃・・・・。今で言うweb1.0時代の話だ。当時ネット上はHPや掲示板オンリーで(恐らく)自分でHTMLを打ち込んだり簡易な制作ツールを駆使したりしてwebサ

任天堂時代

平成元年に任天堂に入社。以降、グラフィックデザイン、3DCG、プランナー、アートディレクター、ディレクター、プロデューサーと様々な仕事を経験して来た。代表的な仕事はF-ZEROシリーズのメインキャラクターやマシン、世界観設定、スターフォックスシリーズのメインキャラクターやメカニック、世界観設定。ゼルダの伝説ムジュラの仮面におけるアートディレクション。仮面や月、ボス敵やチンクル、鬼神リンクのデザインなども担当。 主に関わったタイトル 🔳F-Zero (1990) ゲームグ

任天堂を辞めたワケ

子供の頃から慣れ親しんだ憧れの企業に入社出来たのだからとても幸運だったと思っている。しかも開発者として長年従事出来た事は素晴らしい体験だったと今になってしみじみ思う。 私の入社当時は定年制がなく「よし、老兵になってもゲームやおもちゃを作り続けるぞ!」と意気込んでいた。やがて定年制が導入され、「よし、定年まで開発者として頑張ろう!」と心に決めていた。 だが50歳を過ぎた頃から残りの人生に対しての考え方に少し変化が出て来た。社内での環境変化も相まって、そのうち退職して一念発起

プロフィール

ゲーム開発、漫画執筆、イラストレーション、コラム、審査員など様々なお仕事をさせて頂いております。またイベント等での似顔絵作画も可能です。ご依頼等ございましたらX(旧Twitter)のDM又はtakaya.imamura@gmail.comにご連絡ください。  ■任天堂時代の仕事はコチラ ■ 最新作「OMEGA 6」についてはコチラ 2021年 ◆ 月刊誌「ニンテンドードリーム」コラム「今村教授の七転八記」連載開始 ◆ ゲーム会社様 新企画仕様書内イラスト ◆ 映像制作会

で、大学で何してるの?

2021年に専門職大学として開校した大阪国際工科専門職大学。いわゆる理系の大学です。AIやIOT、ロボットやCG、ゲーム開発などを教える大学なのです。学士が取れるのでしっかり座学もあり、数学や英語はもちろん、解析学や社会学など様々な講義もあります。私のイメージでは専門職大学とは美術大学に近いですね。実習に追われながら一般講義もしっかりやる感じです。 で、そんな大学で今村は何を教えてるのよ?と思われる方も多いと思いますが、メインは3年生(昔は3回生とか言ってたんですけど最近は