リハビリ日記4 風呂とSFとコミュニケーション

風呂が好きだが風呂に入るのは嫌いだ。この感覚がおわかりだろうか。俺は物事をやり出すまでの時間が非常に遅い。自宅のLAN回線取り付けの工事ぐらい遅い。俺の家は風呂が部屋から離れている上に共用なため、風呂に入る前段階として「着替えを用意する→風呂セットを用意する→風呂に行くための服装に着替える→階段を降りて風呂に向かう」ここまでせんとあかん。儀式?昔の人はコレに加えて超肉体労働で薪割って火つけて風呂沸かして…と恐るべき量と筋肉疲労の準備が必要な状況にあったことを考えると2019年に生きてて良かったなと思うんだが風呂に入るのが面倒な状況は何一つ解決していない。俺はナウの話をしたい。〇〇なうってもう誰も言ってないな。俺は祭りの準備は非常に好きだが風呂の準備は全く好きではない。食事もあと片付けが実に苦痛だ。
皿まで食べられる食器を導入しようとしたことが一時期あった。ランニングコストが悪すぎるので断念したが俺が考えるSFってこういうところに詰まっていて、身近な不満を一足飛びで解決するところにSFの憧れが一番強く出る。いや一番は嘘。俺がSFで好きなポイントは無尽蔵なエネルギー感である。例えばバック・トゥ・ザ・フューチャーを見て俺がデロリアンに一番ウォーとなるのはゴミを燃料にして走るようになった時。もう無限に走れるやん!と小学生の俺はとにかくワクワクした。タイムトリップ以上にワクワクしていた。俺はインディペンデントなエネルギーシステムが小さい頃から好きで、「電池駆動」に非常に憧れがある。ドラえもんしかり鉄腕アトム然り、充電や給電量に対する駆動力のパフォーマンスが非常に良い、つまり燃費が良いという点において、俺の心のやらかい場所を今でもまだ締め付ける。あの頃の未来よ…。俺はバンドマンなのでエフェクター(足元に並ぶ音が変わる機械。高い)にもそれなりに造詣があるが、エフェクターにおいてスペック上で一番好きなのは電池駆動と消費電力。スーパーで品定めする主婦かよ。子供の頃は秘密基地が好きだった方は多くいると思うが、小学生の俺はとにかく「電源面での運用」をむちゃくちゃ重視していた。そこまで考えて中でやることはDSの充電。やること少なすぎません?とにかく生活のためのシステム(あまりに一部)を考えることが大好きだった俺はその後電力やインフラに興味を持ち、関西電力に就職、結婚し家庭を築き一軒家を買う…などと言った上級一般人ルートを歩むことも一切なく現在に至る。好きなこととを仕事にするのは良くない論は全く好きではないが否定できない人生になってしまった。企業って強えんだよなやっぱり…
個人のアカウントのSNSでわざわざ「個人的には」とか付け加える予防線を見るたび俺はとてもモニョモニョする。お前の所属に影響あると見てる側は思ってるのか、などと怒りの方向を間違えた俺の偏見が炸裂する。言っている側にとっては変に突っかかってくる人間に対するアテンションでもあるので間違いなく正しい行為であるため、コレは完全に俺のやっかみである。変な人間ってこの場合完全に俺じゃん。更にこじらせることで「俺は人類的には…」などとこれ見よがしに威嚇するようなアッこいつ面倒人類だ…と一発で距離を置かれるツイートをしてしまう。俺は仲良くしてほしい。愛はもっと軽率に人々に言うべきだと思っているが行為があまりにかけ離れる。人付き合いに多くのウィークポイントを抱える俺はとにかく自分の長所をアピールしまくる短期決戦型コミュニケーションをしないとどんどんとボロが出る。相手に合わせて態度を変えることが非常に苦手な俺は、労働者と管理者は本来対等な立場だから課長や部長の立場の人々に頭下げるのは本来おかしいのでは?と一時期本気で思っていた。いや今も割と思っている。そして未だに風呂に入る気は沸かない。風呂はもうとっくに沸いているし風呂に入って後悔したことは一度もないぞ、と自分に言い聞かせるタームに入るのでおそらくあと30分はかかるんだろうな…(30分52秒 1655字)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?