ありのままの自分をみせることは、滑稽ではない
2022年が新たに幕開けして、早くも一月中旬。
月日の流れが早く感じるのは歳のせいだろうか。
人付き合いが得意ではなかった私だけれど、この数年で色々な知り合いができて。はたまた、突発性難聴という治療方法のない病になって戸惑いや不安を抱えながら生きていたけど。
案外、多少の障害があっても生きていけるもんだな!
と、最近思えるようになってきた。
わたしには、聴力障害と平衡感覚が鈍感になる身体障害がある。
職業は看護師をしていて、難聴になって後遺症が残ったとき。離職することを一度は決心したのだけれど今働いている職場の上司が『やってみないと分からないから戻っておいで』と言ってくれて。
で、コロナが流行するとともに社会復帰した。
あれから、3年が経って。
色々と気が張っていた頃に比べたら、いまは手抜きしながら楽しく仕事してるのかなって。
最近は、ふと想えるようになってきた。
完璧を目指さなくてもいい。
って。
割り切ることができるようになったのが、一番大きいのかもしれない。
多少、聴こえが悪かろうが身体が不自由だろうが他人は、そこまで他人には興味がなくて。
実際には、なんとも思ってもいないから!笑
ちょっと冷たいけど、そんな風に思えたらこっちのもんで私だけが気にしていたのかなって思えてきて。考えている時間がもったいなくなって。
いつのまにか、そういうことを考えることをしなくなっていた。
人と会話するときも、100%聴こえてないといけない!
って。
最初は思っていたけど。
人間っていう生き物は面白いもので、必要なことは聴き取ろうとするけれど。そこまで必要ではない会話は聴こえなかったらスルーできるものなんだなって。ちょっとばかり、感心してしまった。
もちろん、最初から出来たわけではなくて。
そんな風に、訓練したということは内緒!笑
ある程度聴こえてたらいいじゃん!
全く聴こえてない人に比べたら、わたしは早期発見できて聴力も平衡感覚もとりもどせたんだから運が良かったほうだ!
重症でも、こんなふうに少しずつ回復していくもんなんだな!
自分の体調やら状態を振り返ってみると、そんな風に思えることがあるもんだ。
一生懸命がんばっている時って。
あまりにも必死すぎて、周りのことが見えていないから気づかないけれど。
客観的に、落ち着いた状態で自分を見つめてみると今まで見えなかったことが見えてきて気づくこともできるようになってくる。
これは、わたしだけでなくして同じく社会復帰した先輩も同じことを話していたから、それには驚いた。
みんな、同じなのね!笑
そうやって振り返りながら『今、わたしは頑張り過ぎているのかな?ちょっとスローペースでいこうかな。休養をしっかりとって来週も仕事がんばるかな!』って。
自分をみつめながら。
っていうか、もうひとりの自分と対話しながら頑張った時には沢山褒めてあげて、美味しいもの食べて。次もがんばろう!って。
そんな生き方をしても人間らしくていいんじゃない?
とは言っても、傲慢や怠慢はいけないし。
まだまだ改良しないといけない点はあるかもしれないけれど。
こうやって、少しでも前向きに生きることができて私は本当に嬉しいし、生きていられることに感謝しています。
いのちがあるからこそ出来ることがある。
そんなわけで、一番は本業の看護師を頑張って。その次に趣味のカメラ・写真をたのしく頑張りたいと思います!
突発性難聴の後遺症と向き合いながら社会生活をしています。聴力障害あり。趣味のカメラと、わたしの生きたしるしを残しています♪