遊びと喧嘩と本当の勉強 #②【息子への手紙】
遊びと喧嘩と本当の勉強 #① からの続き
私の兄貴は小学校の五年までは「ガキ大将」だった。
喧嘩に備えてズボンの下に自転車のチェーンを巻いていたが、「大将落とし」にあって戦わないまま大将でなくなった。
学校の帰りに裏山に呼び出されて行ってみると、先輩二人と二人の同級生と緒方君が居て、取り囲まれて睨み合いになり、緒方君に大将を譲ることになった、と、しょんぼり、いろんな貢ぎ物を返す準備をしていた兄貴の姿が忘れられない。
四歳上の兄貴が卒業してから、それまでは守られていたのだろう私に、急にいじめや喧嘩の相手が増えた。
私は体があんまり強くなかったし、気も弱かったので喧嘩も強くなかった。でもよく喧嘩した。カーッとして喧嘩した時は勝ったが、先にやられて馬乗りになられたりすると手も出せないで泣き出す弱虫だった。
喧嘩は「気合」だということが判った。兄貴が戦わずして大将を譲ったのもどういうことか判った。
子供の頃に多少の喧嘩をしておくのも為になると思う。相手を叩きのめすことより相手の戦う気力を奪う準備をすることの方が喧嘩に勝つコツだと判ったからだ。
その後中学、高校と強い大将とも友達になったが、強い奴ほど自分より強い奴とは戦わないで、何度も何度も相撲をしたりして相手の力を試してみて、勝てる態勢を作ってから、戦わずして勝つようにすることも学んだ。
喧嘩だって社会で生き抜いて行く上では大切な経験になると思う。弱い相手をいきなり殺したりするのは、何が何でも子供達に暴力は悪いとして喧嘩をさせないからではないか。という気もする。
犬だって相手が尻尾を巻くと噛みつくのを止めるでしょう。人間も動物でもあることを考えれば、多少の喧嘩や暴力は人間が内包するファクターとして理解し、経験した方がバランスのいい人間になれるように思う。
一切の暴力は悪いことだと教えられ、喧嘩もできず、同学年の友達としか遊ばない今の子供達は、実社会に出た時どうなるのだろうかと心配になる。
その点、受験勉強ばかりした子供達が大学に入って遊び狂うのはその反動であり、案外必要なことかもしれない。
しかし、やっぱり人間の骨格ができる中学、高校時代に遊びやスポーツを通して、男も女も年齢も超えて大いに遊び、時に喧嘩もし、大いに学ぶことが今一番欠けている大切なことではないかと思う。
遊びと喧嘩と本当の勉強 #③ へ続く