鬱やらアドラー心理学やら

友人数人がシェアしていたので
#EMIさん  の 漫画 #パラダイムシフト
https://twicomi.com/manga/e3_noguchi/913693963118190594?fbclid=IwAR0vOw9IUcbGU9UXfv4zcPOchpsqaHSTX-vufdK7Ox8gKsMWIzTS7QU8e_E

読んでみたらバッチリはまってしまった。まんま自分やんてw

そもそも自分自身にも、たとえ虐待をする親でも「愛」というものは根っこに根付いていて、その時の自分がどう感じるか、どう感じたいか、によって「愛されている」感覚や「自己愛」を感覚的に理解できるのではないかと思う。

この主人公とおよそ同じような体験をしてきた私は、子供時代「今」を捨て「過去」や「未来」に身を置くことでしか生き延びる術を見出せずにいた。中学では念願の部活動に前のめりになって打ち込んだ。煩わしいことはそこで発散したつもりでいた。
自分の素直な気持ちなどは表現しないと決めて過ごす。
本当の自分にフタをして、いつの間にか幾重にも鎧を被って日常生活を送っていた。そんなことしてると、当たり前だが「憎悪」という感情もわく。

今にして思えば、もったいない時間の使い方だと思う。
土台づくりの子供時代に、自分や他人と沢山対話することができていたら、社会の中で他人と安心安全な場をつくりあえていたら、自分も周りも、幸せに豊かに過ごす時間をつくれていたんじゃないかと思う。
チャレンジすることを恐れずに、何度も何度も突き進んでいく。
活き活き時間が増えたんじゃないかって。

本当の自分が感じているもの、やりたいこと、社会貢献など、ほとんど想像せずに社会に出てしまったから、そこからも色々と困ることになった。

自分て鬱なんだーという自覚は、それを認めた時と忘れた時と、色々と存在する。病院で治るものではない、精神的なもの、心的なものと思っているので、病院に行ったことはない。今は日常生活の中でいくつかのバランス、例えば仕事と家庭と子供と旦那さんと、他の社会活動と、、こういった生活全てのものの微妙なバランスが崩れると精神にモヤがかかる、自己虐待が始まるという構図だけれど、これが色濃く出て、朝目が覚める時に「私ってキライ」と頭の中で繰り返している自分がいる。色々な状況がバランスされていると、目覚めの時に清々しくニヤニヤ、ワクワクしている。全て自分で決めてるんだー。忘れかけてた。

話は少し変わるが、日本という国は躁鬱のあるお国柄という発想。それは神話に登場する。アマテラス大神がスサノオの悪戯に耐えかねて天岩戸に隠れたため、この世は真っ暗になる(鬱の症状)。どうにかアマテラスに出てきてほしい神々はあの手この手を使い、呑めや唄えのどんちゃん騒ぎ、神々は笑い、アマテラスが戻って、世は明るくなったという話。 アマテラスも鬱を経験している国だから、ってどーでもいい話だけど、これはこれで面白いなーと思う。

過去は取り戻せない。自分の深い考察や感覚・体験は、明るく楽しい次世代づくりへ活かす♪ 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?