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蟹座22度「ヨットを待つ女性」

マーク・エドモンド・ジョーンズの蟹座22度のサビアンシンボルは、A woman awaiting a sailboat.「ヨットを待つ女性」です。

ディーン・ルディアはこの蟹座22度のサビアンシンボルを、A young woman awaiting a sailboat.「若い女性が、ヨットを待っている」と言い換えました。

この二つのサビアンシンボルを比べてみると、ルディアが書き加えたのは young 「若い」という単語が一つだけですが、それによって、読んだ人の中には、恋人の気配がイメージとして沸き立つことがわかります。

「おそらく、ヨットに乗っているのはこの女性の恋人で、彼女はその恋人が来るのを待ち焦がれているのかも知れない」という想像が広がるのも、ヨットがある種の男性的なカッコ良さを持っているためといえるでしょう。

ヨットは海などの水に浮かびますが、この「水」というのは、象徴解釈的には、心や思いを表わします。そして、この「水」は、蟹座などが属している水のエレメントにも通じることになります。

この度数のドデカテモリーは、魚座です。魚座はルーラー(支配星)を海王星に持つ水のエレメントの柔軟宮で、おもに「形なき世界」をつかさどり、その象意の中に「想像する」「夢見る」「憧れる」ということを含みます。

もともとの蟹座とは同じ水のエレメントで同調し共鳴し合いますので、ここでは蟹座が持っている思いを、さらに夢のように美しくふくらませることになります。

また、「ヨット」とは、今ここではないどこか別世界から訪れるもの、そしてまた、その別世界へと連れて行ってくれる乗り物ともいえるわけです。

かつてサビアンシンボルを学んでいたときには、このサビアンシンボルは、『蝶々夫人』に例えられて説明されていました。『蝶々夫人』とは、プッチーニによって作曲されたオペラで、長崎を舞台に、没落士族の娘で芸者をしていた蝶々さんと、アメリカ海軍士官ピンカートンとの恋愛・結婚の悲劇が描かれているものです。

このオペラの中で、蝶々さんが、ピンカートンが船に乗って再びやって来るのを、今か今かと待ち続けているシーンが、このサビアンシンボルに重なります。

そして、オペラというのも芸術表現のひとつですが、『蝶々夫人』を観てみると、感情がブワッと膨らんで揺さぶられる、水のエレメントの体験をすることがわかります。

蟹座は「水」のエレメントの活動サインですので、「感情体験」に高いウエイトがあります。恋人(夫)が船に乗って海外から帰ってくるのを、今か今かと待ち続ける若い女性の心の中は、その思いであふれていることになります。このはち切れんばかりに膨らんだ感情の充満こそが、この蟹座のサビアンシンボルに描かれているメインテーマということができるでしょう。

また、このサビアンシンボルの度数22度というのは、サインの成熟の極みである25度に向かう流れの中にあって、ひとつ前の21度で突出したエネルギーが安定・着地する度数と言われています。

このヨットを待つ若い女性の姿勢のどこが安定・着地しているかというと、この女性の日々の暮らしのルーティーンの中に、恋人(夫)の乗った船が港に着くときを待ち焦がれるという、その思いが繰り返されて、生活の中に根付いている(安定・着地している)ということを示していることになります。

そしてまた22度は偶数ですので、奇数のように自ら行動を起こさずに、ただひたすら待ち続ける、受け身の姿勢として描かれていることになります。蝶々さんも、長崎の地でひたすらピンカートンの帰りを待ち続けていました。

これらのことから、このサビアンシンボルを活用して行くには、なにか芸術に触れてみることがお勧めといえます。

それに加えて、夢や憧れ(ドデカテモリー魚座)を持つことや、恋をすることも、このサビアンシンボルを活性化することになるでしょう。夢や憧れと恋と芸術は、魚座の表わす象意として密接な関わりがあります。

恋をすると誰もがその恋を叶えたいと願うと思いますが、ここでは、願いを叶える方法は、受動的な「引き寄せ」がピッタリということになります。

しかし、その願いが叶う叶わないという最終的な結果がどうなるのか、ということはさておき、そのプロセスにおける「豊かな感情体験」こそが、ここでのメインテーマとなっているということができるのです。


蟹座22度 今季洋