凡人

凡人にありがちな、非凡人感


なぜ、自分は特別である。そう思うのだろう。

私は物心ついた時から、今日までの20数年間、自分は特別の存在であると思って生きてきた。特別と言っても決して偉そうに生きてきた訳ではない。

「人とは違う」「大成する」
気づいた時にはその感情が心の中にあった。

でも、違った。

だからといって大きなショックは受けなかった。
それは薄々実感していたからかもしれない。自分が凡人であることを。

幼少の頃からスポーツもできるし、習っていた競技では全国レベル。お勉強もそれなりにできた。家で勉強した記憶はないが、成績は上位を取るのが当たり前だった。みんな何で出来ないのか全く分からなかった。

嫌なやつだ。でもそれを表に出すことはしなかった。
そうゆう人間が嫌われるって知ってるから。

夢や希望を抱いたことがなかった。
大体のことがそれなりに出来るって思ってたから。
「将来何になりたいの?」って大人に聞かれるのが本当に苦手だった。

そんな良い子ちゃんも異変に気づき始める。
みんな得意分野を持ち始めると熱中する。努力する。
そう、私が一番ではなくなるのだ。

重ねた努力は、私ごときの能力では全く歯が立たなかった。

自分よりも能力の高い人間はいくらでもいた。

努力する人間を面白くなく感じたことも多かった。僻み。嫉妬だ。
そんな時でも、「俺が同じくらいやったら、もっとすごいわ。」っとか思ってた。これを本当に思ってたから怖い。

五字切り

怠ったのは努力だった。自明である。もちろんそれだけではないけど。
どうせやればそれなりに出来るだろうって本気で思っていた。今思うとブン殴ってやりたい。

人の能力がパラメータで表せるとしたら、満遍なく高めを目指していたのが私の人生だったと思う。つまらない。
今となっては、そんなこと気にする必要はなかった。無意味だ。熱中できる何かにひたすら打ち込むべきたった。そう感じる。

熱中出来るものに、出会えなかったのも私の人生の残念なところだったのかもしれない。

でも努力を怠った。やらなくてもそれなりに出来る。
まだまだなんとでもなる。ただただ平凡を過ごした。

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僕は凡人だ。今はこの言葉を受け入れることから始めることにした。

この言葉を聞いた若かりし頃の私は何を思うか。
きっとバカにするだろうね。心の中で。

それでもいい。

私は凡人だけど熱中する。
そして一つのパラメータをブチ抜くことを楽しもうと。

熱中すること、努力することは大切だ。
しかも一つでいい。

「好きなことを仕事に」とか「好きなことで生きてゆく」なんて言葉をよく耳にする昨今。あまり好きではなかった。

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でも今は、こんなマインドも必要なんだと理解出来るようになった。

さよなら、非凡人。お先に。

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