見出し画像

教育において、納得は求めても説得はしない

自然科学の教育では学生に納得を求めても説得になってはいけない。先日、ある学会で論文発表をしたが、その際に面白いことを体験した。


小生の発表は、専門である船舶海洋に関連する流体力学の難しいところや面白いところについて経験してきたことの話である。船は水の表面を走るので波を立てる。このような波を重力波といい、この波の性質をよく理解していることが、船に関係するものにはとても大切である。


規則的な波の速度には位相速度と群速度という二種類の速度がある。波の周波数あるいは波長が僅かに異なる二つの波が同時に存在すると、波の塊が大きくなったり小さくなったりするうなりという現象があり、学生の教育にはこの現象を通して、 二種類の速度の存在を説明する。個々の波が進む速度を位相速度と呼び、波の塊が進む速度を群速度と呼ぶ。教室では黒板上に二つの波の和の数式を書き、説明することがよく行われるが、なかなかすんなりとは理解してもらえない。


小生の講演の後の質疑の際に、ある大先生がご自分の経験を話してくれた。この先生はブルドーザーや戦車のようなクローラー(商品名はキャタピラー)で移動する車を例にとって説明してきたとのことである。クローラーの下面の対地速度はゼロで上面の対地速度は車の速度の2倍である。水深の深い海を伝わる波を深海波と呼ぶが、深海波の場合には群速度は位相速度の半分になり、位相速度をクローラーの移動速度、群速度を車の移動速度に例えると、同じ関係になる。すなわち、群速度(車)は位相速度(クローラー)に乗って進むと考えたらどうかと説明したら、学生が理解してくれたとのことであった。


余談になるが、クローラーの上面の速度が車の速度の2倍になることを、誰でも分かるように簡単に説明することは結構面倒である。このことについては最後に述べる。また、ほかの大学のやはり大家の某先生に、このクローラーの例えの話をしたところ、この大先生も同じ趣旨の説明を学生にしているとのことであった。


しかし、この某大先生の群速度を車の速度、位相速度をクローラーの速度に例える説明は根本的におかしい。水深が浅くなると群速度は水深の関数となって、群速度は位相速度の半分ではない。また、光も波であるが、光が進むのは空間そのものの性質であって、何かに乗って進むわけではない。19世紀までは光はエーテルに乗って進むと考えられていたが、これでは光速はエーテルの速度により変わる事になり、アインスタインにより樹立された光速不変の原理に反するため、エーテルの存在は否定された。


群速度と位相速度の関係をクローラーに乗った車に例えるのは、似て非なる例えである。この例えを学生の頭に植え付けるのは、学生を納得させたのではなくて誤った方向に説得してしまったことに他ならない。自然科学の教育では論理的な納得を求めるべきで、教師の熱意で説得すべきでない。


学生が納得できるように教師は努力するべきであるが、熱心さのあまり説得になってはいけない。学生の理解がどうしても得られないときには、放っておいたほうがよい。要するに機が熟していないのであるから、機が熟するまで待つべきであろう。最近は子供理科教室が多くあるが、子供に理解させることに執着し過ぎてはいけないであろう。理解の無理強いよりも子供に「何故」という気持ちを持ち続けることを勧めるべきと思う。何年か後に理解できたらそれで良い。そのような理解は深いものであろう。


禅の修行に通じるものがあろう。修行の目的は悟りを得ることであろう。本物の悟りというものは言葉だけで教えることはできない。導師は弟子の成長を辛抱強く待つ。機が熟すると熟し柿が木から落ちるように自然にさとりを納得するのであろう。


小生が大学生の頃、大変頭脳明晰な優れたY先生という方が居られた。この先生が難しい数式を黒板に書いて説明するときは、「簡単ですね!分かりますね!」と仰る。たまりかねた学生が質問すると、Y先生いわく「君は馬鹿だね!」と仰る。当然のことながら、言われた学生は大いに憤慨する。
一見すると、極めて不親切な教え方に見えよう。しかし、この教え方が理に適っている様にも見える。教師という存在は富士山のように高く大きな存在でなければならない。学生が優秀な場合には、このことが特に重要である。教師の大きさを知れば、学生は自分の目標がはっきりして懸命に努力するであろう。


Y先生が意識的にこのように振舞っておられたのか、そうでないのかは分からない。いかに頭脳明晰なY先生であっても、この高みに到達するためには、人並みでない努力と修練が必要であったであろう。富士山のように高く大きな存在を見せることにより、十分な努力と修練をすれば理解できるはずだと、言外に仰っていたのかも知れない。


それともY先生が無茶苦茶なお人だったのか、その点はよく分からないが、年取って振り返ってみると、Y先生は大変合理的な教育をされていたのではという気がする。小生のこの見方に賛同してくださる方も多いのではないだろうか?


さて、クローラーの上面の速度が車の速度の2倍になることの説明をしよう。クローラーの車輪の中心の対地速度は車の対地速度であり、車輪の上端の速度はクローラー上面の速度に等しく、車輪下端の対車輪中心速度はクローラー下端の対車輪中心速度である。車輪の上端と下端の対車輪中心速度は大きさが等しく方向が逆であり、車輪の下端の対車輪中心速度は車の対地速度であるから、車輪の上端の対車輪中心速度は車の対地速度である。車輪の上端の対地速度(クローラー上面の対地速度)は、「車輪中心の対地速度+車輪上端の対車輪中心速度」である。したがって、クローラー上面の対地速度は、車の対地速度の2倍である。


工学の基本は理学であるが、何故このような二本立ての構造が必要なのか、疑問に思う人も多いと思う。工学の目的は問題解決である。工学の世界では、少々理屈に合わないことでも、当面の問題解決に有用なものは認めるという立場があり、ヒューリスティックと言われている。恐らく理学はこういうものの考え方を容認しないであろう。こういうところに、工学と理学をごちゃまぜにしないで明確に区別すべき理由があるのであろう。

サポートを大変心強く思います。