山に登ったことはありますか?
「山に登ったことはありますか?」と聞かれたら、登山者の方は「もちろんあるよ」と答えるでしょう。
ただ、ほとんどの人が登っているのは「登山道」でしょう。
道のない「山」を登っているのは、猟師、林業関係者、山菜/きのこ採りの方といった皆さんではないでしょうか?
山に道はありません
本来、山には道はありません。
斜面に木々が生い茂っているのが山です。
自然ですから、当たり前ですよね。
笹薮ならかき分けて進むこともできますが、木になると「もうこれ以上進めない」ということが多々あります。
人の手が入っていない山というのは、非常に手強いです。
ちょっとした里山でも、前進することがままならないのが、本来の山の姿です。
山は崩れるものです
山は崩れるものです。
山を歩いていると、突然崖になっていたり、崩落していることがあります。
また大雨によって沢は増水し、侵食が進みます。
周りの木々が倒れてきます。
「荒れていく」というのは人間目線での表現であり、「絶えず変化している」という表現が正しいかもしれません。
それが自然な姿です。
登山道のおかげ
道のない山を歩いてみるとよくわかります。
「山を歩くということがいかに大変か」ということが。
その歩みは牛歩のごとし、全然進みません。
そして崖や、谷や、崩れやすい斜面の危険にさらされます。
登山者がスイスイ登れるのも、安心して登れるのも、誰かが登山道を作ってくれたおかげだということを実感します。
そのありがたみが身にしみます。
自然の変化に抗い続ける
草木が生い茂るのが自然の姿です。
つまり人の手が入らなければ、笹が伸び、木が生え、大きく育ち、蔓は絡みまくり、たちまち道は消えてしまいます。
山は崩れ、石が落ち、水が流れ、侵食が進み、安全とは程遠い姿に形を変えてしまいます。
草を刈り、木を切り、石を積み、侵食を食い止め、自然の変化に抗い、道を直し続けなければ、道はなくなってしまいます。
私達が歩いている登山道は、そうした努力の賜物なのです。
歩かせてもらって、ありがとう
よ~く見れば、地道に登山道を直している痕跡がわかるはずです。
その多くは山小屋関係者によるものです。
「事故なく、安全に山を楽しんで欲しい」という願いが詰まっています。
「◯◯山に登れた!」
登山において「登頂」は何ものにも代えがたい喜びの一つでしょう。
もちろんあなたの体力があったからにほかありません。
でも、登りやすいように、安全であるように誰かが整備してくれたおかげに気づくことができたら「歩かせてもらって、ありがとう」という感謝の気持ちが湧いてくるでしょう。
そうすればきっと、登山の喜びはさらに大きく、深く、なることでしょう。
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