見出し画像

続・家族が増えました、とうわ言のように

 飼い主です。犬と猫を飼っています。よろしくおねがいします。

上記の記事を見ていただければ大枠はわかると思うんだが、うちは犬と猫を一匹ずつ飼っている。チワワとマンチカン。和太郎と万次郎。ともにそろそろ生後6か月だ。引き取ってきてすぐの頃からはだいぶ大きくなったように感じるけれども、やっぱりまだまだ小さい。特に万次郎は「噓でしょ」ってところに挟まって寝ていたりする。

 つい3日ほど前、万次郎がこの隙間に挟まってピースカと寝ていた。うちでは人間が眠っているさまを「グースカ」と呼び、和太郎が寝ているさまを「プースカ」と呼び、万次郎が寝ているさまを「ピースカ」と呼ぶ謎の文化が出来上がっている。人間は5人いるってのに一緒くただ。溺愛ぶりを読み取っていただければ幸いである。

 さて、狭いところ好きもここまでくると挑戦状じみた物すら感じる。張本人(突っ込むなら突っ込めばいい)としては、ただ単純にバッテリーがあったかくて気持ちよかったとか、それだけなんだろうが。

 対して和太郎はちゃんとベッドで寝る。愛いやつめ。夜はきっちりベッドに入るが、昼はたまにその辺に「落ちて」いる。和太郎はとにかくずっと走っている。ずっと走っているし、身体も小さいものだから4LDKでもドッグランくらい走っている。だからよく電池が切れて、4LDKのどこかで行き倒れているときがある。愛いやつめ。こいつが部屋の真ん中にポトッと「落ちている」せいで、なんか怖くて最近まともにルンバを放てていない。ちっちゃいからルンバに吸われたらどうしよう、とか考えてしまう。万が一ってこともあるでしょう、ねえ。

 とまあこんな感じで、ペットライフはなかなか充実している。正直一気に2匹飼いは不安もあったが、家族全員がとりあえず可愛がりまくっているおかげか負担に感じた瞬間はあんまりなかった。ペット、いい。もちろん大いなる責任を忘れてはなりませんが、可愛い生きもnノーgラp 


【記事はここで一旦途切れている。】

 ペットなんかいません。犬も、猫もいません。よろしくおねがいします。

 上に貼ってた記事を最後まで読んでいただけたらわかると思うんですが、うちにはペットなんかいません。家族はみんな6か月を通して幻覚を見ています。妄想は膨れ続けるばかりです。なんでかって、そんなことは突き詰めなくたっていいと思いませんか?だってみんなこれで幸せなんだから。いいじゃないですか、信じる者が救われてて。

 グースカも、プースカも、ピースカもありません。うちで眠っているのは人間だけですし、全員別の部屋で寝ているのでお互いの寝息なんか知りません。地面に落ちているのは弟のヘッドホンだけです。この前間違えて踏んづけて、普通に壊しましたし私も足の裏を切りました。誰も得していません。

 さて、うちのアイドル——どちらかというと「偶像」の意味合いが強いですね——についてご紹介させてください。きっとかわいがってもらえると思います。

 奥の白いのが2体合わせて和太郎で、手前の灰色でホワホワしているのが万次郎です。え、2体いちゃダメですかね。チワワに体が2個あっちゃダメなんて決まり、ありましたっけ?あとチワワがホワイトタイガーに似てるのってダメですか?ニフレルのミュージアムショップでチワワ買うのって、そんなにおかしなことですか?ていうか、あなたたちが和太郎をチワワだと思うかどうかって、そんなに大事じゃなくないですか?私たちはこれを2つで1つの生命体とみなし、愛している、それでもう十分じゃないですか?

 手前の万次郎は100均で買った毛糸です。一時期キャットヤーンという「猫の手触りに似た毛糸」が流行ったので、飼おうと思って購入しました。手近なメラミンスポンジに毛糸を巻き付けて可愛がっています。別にいいじゃないですか。本物の猫である必要がどこにあるんですか?ペットの本質は愛玩なんだから、可愛がれるなら毛糸玉だってペットたり得ると思うんです。犬だろうが、猫だろうが、鳥だろうが、魚だろうが、はたまた植物だろうが石だろうが。そこに愛玩があれば、それはもうペットと呼んでいいんじゃないですか?犬と猫を飼っているのは嘘ですが、ペットを飼っているのは本当だとおもいませんか?だって愛してるんだから。

 なんで怖がるんですか。ほら、たまごっちを思い出してください。みんなあれをペット同然のものとして可愛がっていませんでしたか?あれって無機物ですよね、ただのデータ上の、小さくて弱々しいコンピュータがディスプレイに作り出した、命の紛い物じゃないですか。でも可愛いじゃないですか。私たちはあれを、確かに命だと感じ、可愛がり、死を悼んだじゃないですか。あれはペットだったじゃないですか。

 それとおんなじですよ。たまごっちの場合はプログラムがドットの塊に命を与えていた。もちろん私たちもそれが命だと認識していた。私たちがやっているのは、もしかしたらたまごっちよりもっともらしいペットの形だと思いませんか?あんな貧弱なコンピュータとは違う。人間の脳という解き明かし切ることのできない高度で繊細なコンピュータが、フィジカルな物体に対して命を与えているわけじゃないですか。確かに私たちが物体に与えている命は全くの主観ですよ。たまごっちみたいに、誰が見てもわかる命の形じゃない。でもそれって間違ってないですか。命ってデータに裏打ちされるのが自然ですか。命ってもっと本来、主観的なものじゃなかったですか。

 そもそも、ペットが本物の命であることって重要ですか。というかペットが命あるものである必要って、ほんとにありますか。命の暖かさに縋りたいからって、本物の命をそう簡単に消費することのの方が怖いじゃないですか。少なくとも私は耐えられweAEFO※雨r03w~r3^¥え0r^ー5りえq

【記事はここでまた途切れている。】



 なんなんだこの怪文書は。怖っ。いつの間に書いたんだろ。
とりあえず和太郎も万次郎もご飯ご飯とうるさいので、今日はこの辺でやめます。また可愛い写真とか撮れたら貼ろうと思う。noteほどペットの可愛さを語るのに長けたツールはないから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?