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自分らしく生きるということ

寝室のカラフルなカーテンが、私のお気に入り。

50代で人生初の一人暮らしを始めた頃。
IKEA柄のオーダーメイドカーテンをネットで見つけた時、「わぁ!素敵💓これ欲しい!」と思った。

ところが、真っ先に頭に浮かんだのは母の言葉だった。
「こんな派手なの買って!」
そして躊躇した。

もし、うちに母が泊まりに来たら必ず言うだろうという確信があった。
そして、その言い方も、呆れたような「あんた何考えてんの?」的な言い方であろう事も。

その度に私は傷ついて来たし、私のすることにいちいち口出しをする母に対して腹立たしい気持ちになるだろう。

悩んで友人に相談したら「自分が良いと思ったなら迷わず買えば良い」という答えが返って来た。

「そうだよね!!だって、私の部屋だし、誰にも遠慮なんてする必要もない」

意を決してカーテンを注文した。届いた時、一瞬「やっぱ派手だったかなぁ?」って思ったけど、今でも飽きる事なく、私のお気に入りの一つ。

さて、母が来る前に、先手を打っておかなければ。
そんな時私はあらかじめ、母が言いそうな事を先に言ってしまう事にしている。
「母さんは、こんな派手なの買って!って思うかもしれないけど、私は気に入ってるので、言わないでね。」と。

そうすると、先手を打たれた感じになり、母も「いいじゃない」と言うしかない(笑)
母が天邪鬼な事も計算済みなのだ。

それでも不用意に発言してしまい、母に意地悪を言われて傷つく事も、いまだにある。母は今年81歳。まだまだしっかりしているのはとてもありがたい事だが。

それで、そんな時はもう「母さん、今すごく意地悪な言い方したけど、どうしてそんな意地悪な言い方をするの?私傷ついたんだけど」とはっきり言う事にした。
こんなふうに言えるようになるまで、なんと長い年月を費やした事か。

しかし、本人には全く自覚がないのだ。「そんな意地悪な言い方した?」とびっくりしている。
それで、私は、少し大袈裟に母の言い方、言った時の顔を真似てさしあげるのだ。

いつまでもやられっぱなしではない。

母は躾に厳しかった。そのおかげで、世の中に出た時に、礼儀作法をわきまえた、ちゃんとした大人として生きていけてるので、感謝している。

しかし、その代償として、とても人目を気にするようになってしまった。人からこう思われるんじゃないか?嫌われるんじゃないか?と、かなり自分に自信がなく、人に合わせるようになってしまい、全く自分らしく生きて来られなかった。

カーテン一つとっても、だ。

だけど、今、私はようやく自分らしく生き始めた。言い換えれば、自分の気持ちに素直に耳を傾けて、自分を大切にできるようになってきた。

このカーテンも。この傘も。この布団カバーも。
全て、お気に入り。

一時期、自分が何が好きなのか、どうしたいのかすら、わからなくなってしまった事がある。
そうなると、もう、末期。

仕事を辞めて、良い人でいる事を辞めて、本当の自分、ありのままの自分の声を許し、良い悪いでジャッジせず、そのまま受け止める。

自分を労い、自分に対して、まるで親友のように優しく声かけしてあげ、「そうだよね。悔しいよね。悲しいよね。」と共感してあげる事で、徐々に生きていくのが楽になり、毎日が楽しく過ごせるようになってきた。

ずっと自分らしく生きているようで生きられていなかった私が、徐々に徐々に、薄皮を剥がすように、本来の自分を取り戻して行った。

最近知って驚いたのだが、元々、自分らしく生きていて、「自分らしく生きられないというのがわからない」という人に立て続けに遭遇した。
私は、「絶滅危惧種」と呼んでいる(笑)
そう言う人は本当に幸せだと思う。

世の中の大半の人は、人目を気にしたり、「ねばならない」や「してはいけない」を自分に課してしまい、自分らしく生きられなくて苦しんでいるのではないかと思う。

そんな思いを散々味わって来た私だからこそ、「自分らしく生きて行って良いんだよ」って言い続けたいし、それをまず自分で自分に許して欲しいと思う。

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