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大学生だった私が、休学してまで世界一周した理由

こんにちは。フリーライターをしている田中亜由美といいます。
私は大学生3年生を終えたとき、大学を1年休学して世界一周の旅にでました。

・どうして世界一周することにしたのか
・旅をすることで何かが変わったのか
を綴ってみました。

美しいノルウェーの景色

はじめてのひとり

大学の入学が決まり、地元を離れ、初めての一人暮らしを始めた。
引越し初日は、街中に大きなエキシビジョンがあることに興奮していた。大学のある街はそんなに大きな街ではないけど、田舎出身の私にしては大都会に感じたのだ。

今まで生きてきた人生では、夜に出歩くなんてことしたことがなかったし、夜はお風呂に入ってから家族でテレビドラマを見るのが“普通”だった。

その夜は、初めて1人で夜ご飯を作って食べて、音のない部屋で1人で布団を敷いて寝た。親が心配して電話してきたけど、何でもない風を装って話した。電話を切った後に涙が出たのを、今でも覚えている。

それでも、初めての大学の授業に、サークル活動。徐々に友達もでき、夜は友人の家に集まってご飯を食べることも増えた。

そうなると、一人暮らしは楽しい。どんなに毎日遊びに出かけたって、どんなに友達と長時間を過ごしたって、干渉されることがないのはとても自由だ。

「やりたいことをとことんする」という経験は、私の本当にやりたいことを見つめたいという気持ちを刺激した。

研修室の学生たち

受講していたのは工学部というバリバリの理系だった。とにかく課題が多いし、試験は激ムズだし、4年生になると研究室に配属されて1年間かけて研究をする。
多くの学生はそのまま大学院まで進学し、研究を続ける。夏休みもほぼ毎日研究室だ。

げー!と思うかもしれないが、そんなに辛いことではなかったと思う。今、思い返しても青春だったなぁと思えるくらい。

テスト週間には何人かで集まり朝まで勉強するのが辛いけど楽しかった。
研究室の仲間は、毎日会うのだから兄弟のようになり、みんなで学食に行ったり、研究の合間にくだらない話をした。

言うなれば文化祭の準備をしているときのような。みんなで一緒に頑張るのって楽しいもんだ。

だけど、研究室にこもっていると、他の世界のことがわからない。
大学3年生になり、就活や大学院の院試の話題がでるようになると、このまま卒業して研究職に就職してもいいんだろうか、という引っ掛かりが心に生まれた。

決心を固めるのはいつも偶然だ

スペインの市場。色とりどりで楽しい。

友人と街をぶらぶらしているとき、たまたま路上で字を書く人と出会った。
路上パフォーマンスに特に興味はなかったし、一度通り過ぎた。しかし、その道を引き返して字を書いてもらうことにしたのだ。

まだ駆け出しの人だったが、どうしてか惹かれた。
そして書いてもらったその言葉は、休学する決意を固める後押しをしてくれた。

「私が信じる私だけの道を行け」
そう書かれた紙を受け取ったときには、なぜともなしに涙が出た。
きっと、心の奥底の言葉を拾ってくれたのだろう。

その文字を書く人は、今、世界で活躍されています。なんと嬉しいことだろう。

実家に帰り、休学して世界が見たいと相談した。
話し合って、半年はアルバイトをしてお金を貯めて、半年の旅に出ることにした。

あんまり覚えてないのだけれど、親は相当びっくりしたんじゃないかな。
まだインターネットも普及していないその時代に、よく許してくれたと今でこそ親のありがたみがわかる。

モンゴルでの出会い

モンゴルの大草原

そうは言っても、21歳の小娘だった私も1人で外国だなんてやっぱり怖かった。海外旅行なんて高校生のときに修学旅行で行った北京だけだ。

だから、外国でボランティアをする団体に参加して、いくつかの国へ行こうと計画した。だいたい1〜2週間ほどのプログラムで、10人ほど集まって現地でボランティアをする。その間、泊まるところや食べるものは団体が手配してくれている。

そうして初めて参加したところはモンゴルだった。移動型住居のゲルに泊まり、電気も水道もない生活をした。
冬から春になる時期で、到着したときには一面枯れ野原だった。ところがあるとき、朝目が覚めると一斉に新芽が出てきたのた。見渡す限り茶色の土が続いていたところが、一晩で瑞々しく青くなったその光景を見たときは、震える想いだった。

参加者は日本人だけだったが、出身や年齢、性別も様々な人が来ていた。そこで知ってしまった。それが、「世界一周旅行券」。

もうチケットの名前からして、なんて魅力的。
しかも、結構安いのだ。その当時で20万円くらいだったと思う。
※現在はもうちょっと値上がりしています。詳しい使い方などはこちら。

兎にも角にも、世界一周券を知ってしまったからには、その誘惑には勝てなかった。
こうして、ところどころの国でボランティアに参加しつつ、世界一周の旅へと出ることになったのだ。

世界一周の旅へ

あるインドの町中

世界一周の旅の内容についてはまた追々書いていけたらいいなと思う。

楽しいこともあったけど、辛いこともたくさんあった。
日本に電話して泣いたこともあった。
見たことのない絶景や文化にたくさん感動した。
その日出会った人と、仲良くなったりした。

道端で地図を見ていたら、駆け寄ってきて道を教えてくれた。
サッカーの試合を見に行ったら、隣にいた兄ちゃんがお菓子をくれたり、
オペラを劇場に見にいったら、背が小さくて見えないだろうと紳士が席を変わってくれた。
(私が童顔で背が小さいから、子どもをあやしているような感じではあったかもしれないが)外国で出会った人は、優しい人が多かった。

そして、当たり前かもしれないが、日本とは違う考え方をして、違う生き方をしている。知っているけど、感じたことは初めてだ。
肌で感じるということは、その意味を体に染み込ませるということかもしれない。

この先どうしていいかわからず宿で途方に暮れていたときに、旅の心得を教えてくれた先輩旅人。
バスで隣り合った女の子と、きっと私を覚えててね、と拙い英語で言葉を交わしたこと。

その全ては刺激的で、あたらしい世界を見せてくれるもので、私を受け入れてくれるものだった。

旅を終えて

エジプトで仲良くなった子どもたち

旅をしてきて、劇的に性格が変わった、考え方が変わった、とは言い難い。

変化というのは、日々自分にあるものだし、旅のおかげでこの考えを見つけました、なんて言えるものではないと思う。

ただ、私は復学して、広告代理店という今まで勉強してきたこととはまるで畑違いの分野に就職した。
その後、退職して自分のゲストハウスを持つことになるのだが、そういうことかなと思う。
すごいね、とか、変わってるね、とも言われるが、ただ、自分がどんなことをしたいか、どんな仕事をしたいかを考えただけだ。

今、改めて振り返ってみてここが変わったのではないかと思うところを言葉にしてみた。

  • 大学に進学し大企業に就職できることいいとは思うけど、そうでなくてもいいと思う。

  • 年齢やキャリアを知らずに仲良くなることができる。

  • 文化や生き方の違いを知るのが面白いと感じるし、知りたいと思う。

  • そのとき出会った知らない人に優しくありたいと行動する。

  • やりたいことをやってみる。

  • 好きなことをしている人や、自分で考えて行動している人に魅力を感じる。

言葉にしてみるとまだまだ出てきそうだけど、つまりはこういうこと。

人生はどんなことしてもいいし、どんなことしても自分らしいということ。

一つの会社で定年まで勤めることも、起業することも、フリーターでいることも。
働かなくたって、学校の授業をひたすら真面目に受けたって、大人になって勉強始めたって。
性別とか年齢とか国籍とか言語とか、なんだっていいってこと。

その全てが素晴らしい。

やっぱり、世界一周行こうか悩んでいる人には、行ってみてごらんと背中を押したいと思う。


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