イマサラってかっこいいよな?(布教)

noteの書き方を忘れそうなのでゆるめの話をしてリハビリします。

①前置き

私はイマサラのかっこいい成分が好きなのだが、巷ではイマサラはおふざけ寄り、トンチキソングとして扱われている。正直あんまり納得していない。
別に解釈違いとかではない。もちろんMVやライブでの演出のことを考えるとそうなるのは分かるというか、至極当然なのだ。
しかし、曲そのものだけ聴いたらかっこいいのでは?と思う。というわけで、そういう方向性の布教文です。

②イマサラ、かっこいいよね

短調なのがまず良い。短調である時点でかっこよさは担保されている。他に短調の曲といえば通りゃんせなどの名だたる闇堕ち曲、風のイタズラなどのしっとり系、人生芸無などのかっこいい系などが挙げられる。ムーディな方のドレコ専用曲であるDRESS CODE、正夢スキャット、Noise cancelもそうだ。ったはず。
ここまで書いて気づいたが、恋の歌謡日とかチャイナタウンも短調である。しかしこれらも実はかっこいい。曲以外の情報がちょっと多いだけで曲だけ聴いたらかっこいいシリーズと呼ぼう(長い)。
歌詞も良い。T.W.Lとかもそうだったが、北川さんはこういう韻が上手いのである。韻を踏みまくるのかっこいいよね。

「こりゃなんだ 懲り懲りだ 効きすぎた コリアンダー」
「感性磨きたゆまぬ努力で完成 上がる歓声 SAY」

すごすぎんか?
あんなに香辛料やインドにまつわる言葉が入っているのもシンプルにすごいと思う。なお私はコリアンダーがパクチーのことであると後から知った。確かにパクチーはちょっとなら食べやすいけど入れすぎるとしんどいよね。あれタクシーみたいな味するもんね。

③イマサラ、歌詞がシリアスだよね

私が初めてYUZUTOWNを聴いた時、イマサラは通りゃんせとかのポジ、つまり2013年〜2018年のアリーナツアーに存在した「闇堕ちパート」(名付け:私)の曲になるのだと思っていた。実際はライブの闇堕ちパート自体が消滅したが。コロナがなければイマサラで闇堕ちしてたのかもしれないが、まあ正史はあれなので考えても仕方ないことである。
しかし、イマサラには闇堕ち曲の素質が十分にある。
イマサラの歌詞を勝手に一言でまとめると、「やけくそ」である。この曲の主人公は、甘口も辛口も泣きながら食べているのだ。
カオスに次ぐカオス。世紀末。自分で自分の首を締める不条理。誰も助けてくれない蟻地獄。
「犠」という漢字、他だと「犠牲」でしか見ない。「談合烏合のご都合主犠」という歌詞は自分たちの利益のために他人を犠牲にするのを普段から集団でやっているということだろう。
そういうのが横行しているのだから世紀末であるのは共通認識、「何言ってんの今更」なのだ。蟻地獄みたいな世の中を、誰もが黙認しているのである。この曲マジで時期が時期なら闇堕ちパート担当してたかもしれん。
こういった闇成分を含めて甘口も辛口も表現するためのMVや演出だと思うのだが、「甘口」の部分だけ独り歩きしている気がしないでもない。

④武道館のイマサラを見よう

イマサラという曲自体に対する私の考えがこれなので、かっこいいイマサラは大好物である。もちろんオンラインライブやMVのイマサラもいいのだが、個人の好みとして。トンチキの部分を否定する気は毛頭ないが、それ100%というわけではないと思うのだ。
というわけで、PEOPLE初回限定盤の特典である武道館ライブのイマサラを見てくれ。これに関しては私が語るより見てもらう方が万倍いい。
このイマサラ、弾き語りである。すごい。そしてかっこいい。
かっこいい曲をかっこよく演奏してくれたのだ。さながらRitaの表裏一体、HIBIKIのREASONである。
ちょっと言い過ぎたかもしれない。でも本当に良かったから見れる人は見てくれ。以上。

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