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フィールドワークがしたくて住み込みで働いてみた

無計画な転職活動をした後(「無計画な転職活動したこと」)、
住み込みの仕事で各地を転々としていた。

なぜそうしようと思ったかは、実はつい最近までうまく言葉にできていなかった。

「どこでも生きていける人間になりたい」
「いろんな地域に住んでみたかった」

どの言葉も本当のことなのだけれど、しっくりくるわけではなかった。
ぽつりぽつり会う人たちと「なんでそうしようと思ったの?」というやりとりをしたおかげで言葉が整理されていってゆっくりと姿を現した感じだなのだが、

今のわたしが的確だと思う表現は
フィールドワークがしたかったからだ。

思えば、学生時代からわたしの興味関心は暮らしの深いところにあるものだった。
会社員になって旅行をしていたときもずしりとひっかるものは、王道の観光地心よりも、たとえばたまたま入った喫茶店での飾らないやりとり、スーパーマーケットの品揃え、居酒屋のメニュー等々、地域の片隅に集積されたものだったりした。

食べるのに困らず、さらにその地域に溶け込むことができる住み込みの仕事はわたしにはうってつけだった。
住み込み生活に飛び込むおまけとして住みたい場所をみつけてどこへでも生きていける人間になれたらいいなと思っていた。

結果的に住み込みに特化した派遣会社の在籍期間が1年ほどで、
初めは八丈島の飲食店に一か月、
次に伊勢志摩のホテルに四か月、
その後、島原のホテルに二か月、
熊本の旅館で半年、
熊本ではそのまま正社員になって4年ほどいた。
どこの地域ももともと縁があったわけではなく、
ほぼ仕事の条件で決めた。日本語が通じるところだったらどこでもフィールドワークはできると思ったからだった。
実際、どこも暮らしてみると日本は均一なわけじゃないんだと肌で感じることでとてもたのしかった。

八丈島では仕事終わりに八丈富士を眺めながら散歩をして温泉に入りにいった。この猫はおそらく黄八丈のはぎれでつくられたもので直売所の片隅で売られていた。とても愛くるしいので連れて帰ってきた。
三重では仕事場がストレス過ぎて、どこかの街へ休みのたびに飲みに繰り出していた。どこもおいしくて、人々もフレンドリーだった。ここは四日市の朝からやってる酒場。
島原もおもしろい食文化だった。お正月だけじゃなくて年中食べられる具雑煮。
店の名前が思い出せないけど、ここの具雑煮がいちばんおいしかった。また島原に行ける日があったら行きたい。
熊本は水道のお水が本当においしかった。ただおいしくない地域も存在するらしく、熊本各所の水事情を聞くのもおもしろかった。

誰もがそうだと思うのだが、振り返るとところどころに軌道修正のタイミングがあって、わたしはなんやかんや考えたあげく、結局純粋に興味があることを選んでいる。
節目節目でやりたいことに素直になるほうに進んでいる気がする。10代20代は素直になることはこわかった。だから、ゆっくり軌道修正をしていると思う。
今は少し前のような不安は不思議となくなった。今、周りで遊んでくれる素直な人たちの顔が本当に朗らかだから。

あんころうをみつけてくださってありがとうございます。 つくって、それをおもしろがってもらって、またつくって、、という循環のなかで生きています。 つくるものの形は変わっていくと思いますが、おもしろがって見守ってみようかなと思ったらサポートよろしくお願いします。よろこびます。