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NPB公式戦開催球場 和歌山県営球場 跡

和歌山県営球場は1952年に建設されました。

NPB公式スコアには「和歌山県営球場」とありますが、土地名や県営紀三井寺球場との混同を避けて、向之芝球場とも呼ばれています。

「向ノ芝」と「向之芝」の2つの表記があり、「向ノ芝」表記が多い印象ですがここでは「向之芝」表記で統一します。


建設当時、県内には本格的な野球場はなく、高校野球の公式戦も和歌山中のグラウンドを使用していたほどでした。

県民待望の野球場として開場したことになります。


陸上競技場も併設する総合運動公園でした。

1952年に開場した向之芝球場は、同年に県下初のプロ野球が開催されます。

4月13日松竹‐名古屋戦が行われました。
この試合地元和歌山の海南中出身の平野謙二氏が2番ライトで出場しました。

この試合を含めて4年間で18試合を開催します。

ただ、紀三井寺球場が建設されたことを機に球場はたった10年間の使用で閉鎖され解体されます。


解体後は和歌山県立体育館が建てられました。


それでは行ってみましょう。

県立体育館です。

球場跡のような碑はありませんが、現在もスポーツ施設になっています。


近くには旧制和歌山中学、現・桐蔭高校があります。

向之芝球場が完成するまで、和歌山大会の開催地となっていた場所です。

1921年、22年と全国高校野球選手権大会史上初の連覇を達成した旧制和歌山中学は、1922年11月にコンクリートスタンドを建設します。

そして12月2日、当時皇太子殿下でおられた昭和天皇が、初めて野球を観戦なされました。
対戦カードは和歌山中現役軍‐和歌山中OB軍の紅白戦でした。

ご観戦は30分の予定でしたが、延長され3回終了まで観戦されます。

この和歌山中のグラウンドは、今日紹介した県営球場が完成するまで和歌山の主要球場として和歌山大会公式戦を開催して、和歌山野球を支えることになります。

2021年には文化庁の登録有形文化財に指定されました。





和歌山県営球場NPB公式戦 18試合
ベストワン
1955年10月11日 
巨人 9 ‐ 0 広島


4回裏に7点をとった巨人は5回から藤本英雄を投入。
肩を痛めていた藤本はシーズン最終戦のこの試合に、シーズン初登板。
残りイニング5回を投げ切り勝利投手になると、これが自身通算200勝目になった。藤本はこの試合限りで現役を引退した。



参考
NPB 球場情報 県営向之芝 | 球場詳細 | 球場情報 | NPB.jp 日本野球機構
野球伝来150年特設サイト 和歌山県営球場(向ノ芝球場)跡(現:和歌山県立体育館)|聖地・名所150選|野球伝来150年特設サイト (japanesebaseball150th.jp)
地図・空中写真閲覧サービス 地図検索表示画面 (gsi.go.jp)
和歌山県 和歌山県ホームページ Wakayama Prefecture Web Site
和歌山県立桐蔭高等学校 桐蔭高校ホームページ - 桐蔭の歴史 (wakayama-c.ed.jp)
日本プロ野球記録 日本プロ野球記録 (2689web.com)

2022年初夏訪問
2022.9.15 筆

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