NPB公式戦開催球場 神戸市民運動場野球場 跡
1928年に建設された神戸市民球場は、一リーグ時代を含め公式戦を30試合開催しました。
球場の隣に陸上競技場が確認できますが、1950年頃にテニスコート2面に整備されました。
プロ野球公式戦の初開催は一リーグ時代の1939年5月14日。
巨人‐阪急、タイガース‐ライオンの変則ダブルヘッダーでした。
1試合目は巨人スタルヒンが完封、2試合目はタイガース西村幸生が完封しています。
1939年~43年に15試合、1953年~55年に14試合行われ、1961年の試合を最後にNPBが撤退します。
これは、1952年に西宮球場が、1956年には甲子園にナイター設備が完成したことが影響していました。
さらには1988には神戸総合運動公園野球場(ほっともっとフィールド神戸)が完成したこともあり、アマチュア野球の公式戦開催も神戸総合運動公園野球場に移ります。
その後も草野球や、アマチュア非公式戦等で使用され続けていましたが、1995年の阪神淡路大震災で被災します。
球場があった長田区は被害が大きかった地域としても知られ、家屋倒壊率は57.2%と平均30.8%を大きく上回った地区でもありました。
震災から翌月の2月には仮設住宅が神戸市民球場のグラウンドに建てられます。
ピーク時には500人が暮らしていた西代仮設住宅です。
その後、復興住宅が完成したことから、神戸市民球場も2000年に閉鎖されます。
バックネット裏の内野スタンドが最後まで残っていましたが、2002年の初めごろに完全に解体されました。
跡地は西代蓮池公園に整備され、遊具やジョギングコースがあります。
真ん中にグラウンドも確認できます。
それでは行ってみましょう。
山陽西代駅から徒歩すぐのところにあります。
投球プレートを真ん中にダイヤモンド型のモニュメントとでも言うのでしょうか、1塁2塁3塁にもベース型の石が設置されています。
ただ、これは実際にあった場所ではなく、レフトポール付近の場所に設置されていました。
本当にあったマウンド付近には盛り土もされており、小高くなっていました。
これは西代蓮池公園内にある小さなグラウンドですが、大人の球技の使用は禁止されています。
”大人の”と言うのがミソですね。一体何歳まで大丈夫なのでしょうか。
「球場跡」と書かれた碑のようなものはありませんでしたが、ベースを模した石が置かれており、球場があったことを教えてくれます。
本当に何もない場所もありますので、こういう形で残されているのは嬉しいです。
NPB公式戦30試合
ベストワン試合
1961年10月11日(神戸市民球場最後の公式戦開催)
阪急 1 ‐ 3 西鉄
1‐1で迎えた9回表に豊田泰光が勝ち越し2ランを放ち西鉄が勝利。
8回から登板していた稲尾和久が勝利投手となり、シーズン歴代最高の42勝目を挙げた。
神戸市民球場はこの試合限りでNPB公式戦開催から撤退。
参考
NPB球場情報 神戸市民 | 球場詳細 | 球場情報 | NPB.jp 日本野球機構
神戸市 神戸市:ホーム (kobe.lg.jp)
地図・空中写真閲覧サービス 地図検索表示画面 (gsi.go.jp)
日本プロ野球記録 日本プロ野球記録 (2689web.com)
2022年夏訪問
2022.9.12 筆
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?