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NPB公式戦開催球場 高岡高専グラウンド(現・県立高岡高校グラウンド)

先日、尾道西高校グラウンド(現・尾道商業高校グラウンド)でNPB公式戦が開催されたことを紹介しました。

本日はNPBの公式戦が高校の校庭で行われた5校の内のひとつ、高岡高専グラウンドを紹介します。


高岡高専は、1924年に官立高岡高等商業学校が前身で、1944年4月に高岡工業専門学校に転換されます。
しかし、1949年の5月に富山大学工学部に転換・昇格。
5年ほどで廃止されることになりました。

1946年7月22日の写真です。

この1週間前、一リーグ時代に公式戦が開催されています。

7月15日に行われた変則ダブルヘッダーで、
グレートリング(近畿日本軍)‐ゴールドスター(金星)
セネタース‐阪神の2試合が行われました。
これが富山県で初めてのプロ野球開催になります。

NPB記録が2つ誕生します。

1試合目の近畿グレートリング‐ゴールドスター戦。
この試合近畿は8回裏の1イニングだけで12得点。
26-0という大差で勝利します。
26点差はNPB歴代3位の記録。
1イニング12得点は1位15点、2位13点に次ぐ記録です。
26-0は最多得点完封記録のNPB記録。

2試合目のセネタース‐阪神戦でもNPB記録が誕生します。
学校の校庭ということで、地面の固さ・凹凸、試合前に小石を拾っていたというコンディションで阪神8失策、セネターズ6失策。
この両軍合わせて14失策はNPB記録です。
阪神は10失点ながら、投手についた自責点は3。
阪神14-10セネターズと大荒れの試合になってしまいました。


結局この試合を最後に、NPB公式戦は開催されませんでした。
試合内容が影響したのもあると思います。


その後、グラウンドは小さくなり、

1976年の写真ですが、完全に姿を消しました。
隣にグラウンドが見えますが、これは現在の高岡工芸高校のグラウンドです。

高岡高専は、富山大学工学部に昇格しましたが、1985年までこの場所で存続していました。
グラウンドの跡地には、1965年に鉄骨建ての新校舎が完成しています。

その後、富山大学工学部は1985年9月に富山市五福地区に移転し、この跡地に現在ある県立高岡高校が1988年に移転します。

現在の写真です。
ホームベースの位置はプロ野球が開催された時とほとんど変わっていません。

高岡高校は旧制中学時代に、正力松太郎を輩出しています。
プロ野球の父とも言われ、現在はその年のプロ野球界の発展に大きく貢献した人物に贈られる「正力松太郎賞」で名前が残っています。
高岡市の読売会館には胸像もあり、生まれ故郷の射水市にも銅像があります。

高岡高専はプロ野球選手を輩出していませんが、高岡高校は2人のプロ野球選手を輩出しています。

河 文雄氏は、旧制高岡中学を卒業しています。高校三年の夏は1945年で、戦局悪化により県予選も行われなかった年。プロに入ったのは26歳の1950年の時で阪神に入団します。
しかし、もうそのころには肩は故障しており、翌1951年にNPB初勝利を挙げますがこの年限りで引退しています。

横田斉夫氏は、強打の打者として高岡高時代から本塁打を量産。1965年に外木場義郎や衣笠祥雄と同期で広島へ入団しますが、1軍出場もなくこの年限りで現役を引退されています。



現在は高岡高校のグラウンドとなっている、高岡高専グラウンド跡。

富山大学の校舎が建つなど、一時はグラウンド自体が消滅していましたが、プロ野球が開催されたその場所には再び球音が響いています。



参考
NPB 球場情報 高岡工専 | 球場詳細 | 球場情報 | NPB.jp 日本野球機構
富山大学 旧富山大学50年史 旧富山大学50年史 – 富山大学 (u-toyama.ac.jp)
地図・空中写真閲覧サービス 地図検索表示画面 (gsi.go.jp)
高岡市 高岡市公式ホームページ ほっとホット高岡(Takaoka City Homepage)
射水市 射水市[いみずし] (city.imizu.toyama.jp)

2022.9.1 筆


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