見出し画像

NPB公式戦開催球場 美吉野野球場 跡

阪神甲子園球場が完成した2年後の1926年に完成した美吉野野球場は、奈良県吉野郡に建設されました。

陸上競技場や、相撲場、テニスコートを併設する総合運動公園でした。

当時は野球場よりも陸上競技場の方が有名で、”日本人初の100m10秒台を記録した”谷三三五、”暁超特急”吉岡隆徳、”日本人初のオリンピック金メダリスト”織田幹雄、”走り幅跳び世界記録元保持者”南部忠平ら数々のオリンピアンを輩出。

日本人初の女子オリンピックメダリストの人見絹江は、この美吉野競技場で三種競技と200mで世界記録を更新し、400mと100mでも非公認ながら世界記録を更新しています。


1946年11月の航空写真ですが、球場は確認できますが、東隣にあった陸上競技場は原形をとどめていません。
吉野は木材産業の街で、もうこの頃には吉野木材協同組合連合会の木材の貯木庫になっていました。

球場は、この写真から3年半後の1950年5月にプロ野球の公式戦を開催します。

吉野木材協同組合連合会の事務所建物の落成を記念して、プロ野球を招待しました。
この建物は現存しています。


今回は早めですが、早速吉野に行きましょう。

洋風な建物で、周辺から見たら異質です。
立派で風格があります。


1950年5月19日、変則ダブルヘッダーが行われプロ野球が美吉野野球場で初開催されます。
1試合目の阪急‐東急戦は、延長10回に大下弘氏の2ランを含む4得点で東急が9‐5で阪急に勝利しました。
2試合目は近鉄‐南海戦で、南海が14‐1と近鉄を圧倒しました。

1試合目には阪急の植田武彦氏が7番セカンドで先発出場、また東急の片岡照七氏は2番ライトで先発出場し、地元奈良県出身のプロ野球選手が出場しました。
2試合目には県出身の選手は出場しませんでしたが、天理外国語学校出身の南海松本忠繁氏が8回から2イニングをリリーフしています。


この2年後の1952年再び近鉄が主催し、2試合開催されました。
近鉄球団が鉄道の利用客の増加とファン拡大を狙ってのものでした。
南海とのダブルヘッダーが組まれましたが、2試合とも近鉄が完敗しています。
南海には森下正夫氏、木塚忠助氏、飯田徳治氏ら、
近鉄には田中(武智)文雄氏、関根潤三氏らが出場していました。

しかしこの年を限りに、美吉野球場での開催から撤退します。
吉野はやはり遠すぎたのでしょう。

1963年の航空写真には球場はかすかに残っているように見えますが、この4年前の1959年の伊勢湾台風で水没しています。

1966年の航空写真ですが、1959年に伊勢湾台風で水没したことから、吉野川を拡張。
この工事に伴い、全ての施設が解体されました。

現在の姿ですが、吉野川の拡張工事で当時とは道も大きく様変わりしています。



再び行ってみましょう。

現在の場所は吉野木材協同組合連合会の貯木庫になっています。
さすがは木材産業の街ですね。

本当に広い場所に多くの木材が置かれていました。

夏休み中でしたので子供の声は聞こえませんでしたが、向かいには吉野小学校が建っていました。
この、私が立っている道も球場跡です。


吉野川沿いの細くなる道に、案内板がありました。

競技場や球場を囲むようにプラタナスの木が植えられていました。

球場や陸上競技場は解体され何も残っていませんが、この場所に残っているプラタナスの木が唯一当時から現存しているものです。

私が訪問した時は真夏日でしたが、吉野川が涼しげでした。


甲子園が完成した2年後のこの吉野に、オリンピアンが活躍した陸上競技場と、プロ野球が開催された球場がありました。本当に信じられません。



NPB公式戦開催4試合


参考
NPB球場情報 美吉野 | 球場詳細 | 球場情報 | NPB.jp 日本野球機構
地図・空中写真閲覧サービス 地図検索表示画面 (gsi.go.jp)
奈良県立図書情報館 ふるさと吉野懐古写真集 トップページ | 奈良県立図書情報館 (pref.nara.jp)
日本プロ野球記録 ウスコイ企画 日本プロ野球記録 (2689web.com)
NHK 人物録 NHKアーカイブス 人物|NHKアーカイブス
JAAF 日本陸上競技連盟 日本陸上競技連盟公式サイト - Japan Association of Athletics Federations (jaaf.or.jp)
吉野川沿いの案内板「美吉野グラウンド跡とプラタナス」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?