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創作「里桜」第三部

 退院後、ギブスが取れるまでの間、母さんの車で送迎してもらっていた。
「あれ、里桜ちゃんじゃない?」
 学校からの帰り道、ぼんやりと窓の外をながめていた僕は、母さんの指さす方に目をやった。田んぼの中をまっすぐに伸びる農道を、二匹の子犬に引っ張られるように歩いている里桜の後ろ姿が見えた。
 いつもすっぽりと被っていたフードは外していたけれど、達也のものらしいキャップを深々と被っていた。
「まるで、男の子だな」
 つぶやいた僕の言葉に、母さんが返す。
「里桜ちゃん、ベリーショートにしたんだって。きっと慣れない髪型が、恥ずかしいんだよ。いつもポニーテルだったしねぇ」
 母さんの声がしんみりする。
「あれ、何で二匹なんだ?」
「一番小さかった子がいたでしょ?・・・その子がね、あんまりミルク飲まないって心配してたら、中山のおばあちゃんが預かるって。今はおばあちゃんとこにいるの。里桜ちゃん、おばあちゃんの畑に向かってるのかなぁ。寄ってみる?」
「あぁ、いい。ここで降ろして。少し歩いてみる」


 母さんの車が心配そうにゆっくりと進む。きっと、バックミラーで僕の姿を確認しているだろう。車は静かに進んで住宅街の方へと消えた。
 実際に歩いてみると、車が行きかうバス通りから農道までは、近そうに見えて、松葉杖で歩くには結構大変だった。
 やっと農道にたどり着いた頃には、どこにも里桜の姿はなかった。
「しまった。こんなことなら、真っすぐ帰れば良かった」
 ブッブー!
 その時、後ろからクラクションが聞こえた。松葉杖が邪魔にならないように、僕は道幅ギリギリによけて立った。
「あ、おばあちゃん」
「学ちゃん、もうええんか?」
「うん、里桜の姿が見えたから、母さんにここで降ろしてもらったんだけど、見失ったみたい」
「そうかぁ、私が畑におらんだから帰ってしもたんやなぁ」
「あっ、でも、おばあちゃんにも会いたかったんだ」
「うれしいこと言ってくれるねぇ」
「学ちゃん、うちまで送ったげるわ。乗んまっし」


 僕の足も完全復活した頃、里桜に呼び出されて自転車で迎えに行った。自転車を壊してしまったのは僕だし、仕方がないが。
「かぜ、気持ちいいね」
 のんきな声が後ろから聞こえる。
「そりゃ、そうだろ」
 荷台に乗っかってるオマエは気持ちいいだろうけど、こっちは汗だくだ。
「おまえ・・・太った?重いんだけど」
 パシッ!
「痛ってえ!」
 キキーッ!
 びっくりして急ブレーキをかけた。
「気を付けてよぉ、まなぶ」
「おまえなぁ、いきなり叩くなよ」
「学が太ったなんて言うから」
「坂道だぞ。重いって。いい加減、新しい自転車買えよ」
「だって・・・」
 里桜はまだ学校へ行けていないし、その理由もはっきりしないままだ。新品自転車なんて買う気分じゃないのもわかる。
「わかったよ。自転車を壊したのはおれです!さあ行くぞ。つかまってろ!」
「うん」
 後ろから両手を回してしっかりとつかまっている里桜の息づかいを背中に感じながら、僕の心臓は激しく動き出す。
「まなぶ、どうかした?」
 ギョっとした。
「なっ、何がだよ」
「だって、急に話さなくなって」
「腹へってきたんだよ」
「そっか、わたしも、お腹ぺこぺこ!」
 里桜が苦しまないですむなら、学校なんて行かなくていい。
 僕たちの前だけなら、元気な里桜に戻ってくれた。
 もうそれだけで、今はじゅうぶんだ。

「ただいま」
「学も手を洗って手伝って。里桜ちゃん、そこのエプロン使ってね」
「はい」
 毎年ひな祭りの時季になると、里桜がうちに来て一緒にお菓子を作る。
    和希さんはずっと仕事だし、いつの間にか、母さんの楽しみの一つになっている。
「その丸めたあんこをこうやって包んでね」
 里桜がうすく伸ばした餅であんを包む。
「学は、そのおそうめんをコロコロって付けて、ここに並べてね」
「この細かい白いのってそうめんなんだ」
「えっ、わたし、ずっと、ゴマ団子だと思ってた」
 里桜の言葉に母さんがおかしそうに笑う。
「ううん、里桜ちゃんは間違ってない。去年まではゴマ団子だったの」
「なぁんだ。そうか、そうだよね」
 あっけらかんと納得してしまった里桜。
「何で、今年はそうめんなの?」
「買い忘れたの。でもね、調べたらすごいことに気が付いたのよ」
「なになに?」
 団子をクルクルしながら尋ねる里桜に、母さんが自慢げに話を続ける。
「七夕の日にね、土地によってはおそうめんを食べる風習があってね。七夕自体、おそうめんみたいなお菓子と一緒に日本に伝わってきたんだって。びっくりした?」
「うん、したした。すごい!」
 女子?二人の会話の意味がわからない。この話のどこにすごいが潜んでいるんだか。
 母さんと話している時の里桜は、昔のまんまだ。
「学、またボーっとしてる。あっ、そうだ。里桜ちゃん、パパはいつ行くの?」
「確か九月だからお盆過ぎじゃないかな」
「一人で行くんでしょ?」
「たぶん」
 里桜のお父さんは建設会社に勤めていて、地元にいた時間の方が少ないくらい、ずっと単身赴任だった。
「和希はやっぱり行かないって?」
 母さんの質問に里桜が無言でうなずく。
「でも大丈夫。里桜ちゃんのパパなら、海外行ってもお仕事がんばるよ、だいじょうぶ」
「海外?」
「あれ?学、知らなかった?シンガポール」
「聞いてない」
「そう、言わなかったかなぁ」
「手、洗ってくるね」
 洗面所に行った里桜の背中が寂しそうだった。
 元気になったんじゃなくて、元気になろうとがんばっているんだよなぁ。


 夏休みに入るのを待っていたように、蝉がいっせいに鳴き始めた。
「シンガポールってもっと暑いのかなぁ」
 僕の部屋で漫画本を広げていた里桜がつぶやく。
「どうだろうなぁ。ていうか、オマエ、さっきからひとのベッド占領してるけど、マンガ読むだけなら自分の家で読めよ」
「ムリムリ!達也は受験生なんだよ。ピリピリしてて、下手に近づいたら怪我するかも」
「達也はハリネズミか!あれっ?さっき何か話あるって言ってなかったっけ」
「うん・・・」
 里桜は手に持ったマンガ本をわけもなくパラパラとめくっている。
「何だよ。言いたいこと我慢してると、よくないぞ」
「がまん、してるわけじゃないけど。ちょっと、心が揺らいでる。だから」
「だから?」
「学に宣言してしまおうと思って」
 それだけ言うと、里桜はまた黙った。
「はっきり言えよ」
 里桜はベッドから降りると正座して姿勢を正した。
「な、何なんだよ。かしこまって」
「わたしね、決めた」
「何を?」
「私が・・・パパと、一緒に行く」
「えっ、シンガポール?」
 里桜は、一度ギュッと口を閉じてうなずくと、また話を続けた。
「ママも、初めから行かないって決めてたわけじゃないんだ。そりゃあ、仕事バリバリ頑張って来たから辞めたくないのは本心だろうけど、本当は、達也の受験のことだと思う」
「そうか、もう三年だもんな」
「うん。達也もはっきり言わないけど、高校でもサッカー続けたいって前から言ってたし」
「そうだったな」
「だから。私が行く」
 里桜が、いなくなる。
「ただ、ちょっと、心配なの」
「何が?」
「私、KYだから、また知らないうちに、誰かを傷つけたりしたら」
「違うだろ?傷つけられたのは、里桜だろ」
「ちがう」
 消え入りそうな里桜の声だった。でも、僕は黙って待つことにした。
「詩織ちゃんが」
 あぁ、あの二年になってすぐ仲良くなったって子かな。
「迷惑だって。友達だと思われたたら、迷惑だって」
 ひざの上で握りしめている里桜の両手に力が入る。
「はっきり言われるまで気が付かなかった。私って、サイアクだよね」
 黙っていられなくなって、思わずつぶやいた。
「そうなのかなぁ・・・おれ、その子と話したことはないけど、二人が楽しそうに話しながら歩いてるの、何度かみかけたんだ」
 里桜がひざの上の自分の手からやっと顔を上げた。
「嫌いなやつと、あんなに楽しそうに話なんかできないと思うけどなぁ。もう一度、話してみたら」
「無理だよ、ムリ!だって、私の・・・」
 のどに何かつかえたように押し黙った里桜が、じっと自分の手を見つめる。
「もしかして、髪のこと?」
 うつむいたまま、里桜がうなずく。
「そっか。なら、なおさら、会ってけよ。おれの勝手な推測だけど、誰かにやらされた、とか?」
「わたしなら、私なら、そんなこと絶対しない」
「絶対は、ないよ。もしもだよ、どうしても避けられない理由で、誰かにやらされたとしたら、詩織ちゃんも、苦しんでないか?」
 やっと顔をあげた里桜の目は、真っ赤だった。
「わたし、そんなこと考えもしなかった。自分のことばっかりで・・・」
「じゃあ、行くか?」
「どこへ?」
「確かめに」
「今から?」
「あたりまえだろ」
 僕は立ち上がって里桜を引っ張り上げた。
「自転車で送ってやるよ。いくぞ」
「あっ、待って」
 里桜は被って来た帽子を深くかぶりなおした。まだ外に出る時の里桜にとって帽子は必須アイテムだった。
 

「つかまってろ!」
「うん」
 里桜の気持ちが変わらないように、全力でこぎ続ける。
「まなぶ」
「うん?」
 バス停に向かう坂道にさしかかった時、里桜がもう一度聞いた。
「詩織ちゃんが、本当にわたしのこと嫌いだったら?」
 この道が間違っていたとしても、この道を進むことが無駄じゃなかったと思える日が、必ず来ることを信じよう。
「そん時は、そん時だ!」
 そう答えて、坂道を勢いよく下る。
 「うん!あっ」
 里桜の帽子が風にあおられて飛んだ。帽子はまるで羽が生えているように風に舞い上がり溝に落ちた。
「あぁ・・・どうする?」
「仕方ないよ」
 そうきっぱりと答えた里桜が、濡れた帽子を拾い自転車のかごに放り込む。
「冷てぇ!」
「あぁゴメン!まなぶ、ありがと。行こう」
 元気な声といっしょに笑顔がこぼれた。
「よしっ、行くぞ!つかまってろ!」
 僕は力いっぱいペダルを踏み込んだ。 


 
 
 

 
 

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