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【桐始結花】きりはじめてはなをむすぶ『ヤクルトの分配方法』大暑/初候🍀

うちの3人の息子たちの名前は、夫ヨッシーさんが考えた。
長男が生まれた時、ヨッシーさんの名前から一文字をとり、姓名判断に詳しい方に相談しながら、名字とのバランスやらを考え抜いて付けた名前だ。

この一文字、ヨッシー家の男子には代々付いている。
義父にもその上のお祖父ちゃんにも曾祖父ちゃんにも、ヨッシーさんのお兄さんにも。
うちの長男で5代目らしい。
義父が作った家系図があったので分かったのだが、その先は不明。


私も、昨年実家の父が亡くなった時に、父の戸籍を取り寄せ、その際に家系図を自分なりに作ってみた。
私は、こんなにたくさんのひとの命を受け継いで生きているんだと改めて思った。
父の場合は石川から外へ出ることは無かったが、母の場合はもっと大変なことになりそうなので、母が元気なうちに母のルーツを辿る旅をしておくのも悪くないかも、なんて思ったりもした。


女の子が生まれたらナツメが決めていいよとヨッシーさんに言われていたが、我が家は男子3人、私の出番は無かった。
次男三男の命名は、長男の時に完璧な画数だと言われていたので、2人とも同じ画数の漢字を当てはめた。
後で聞いた話によると、そんなことをしたら長男と次男三男の力と同等になって、長男が家を継がなくなるよと言われたそうだ。


う~ん?
姓名判断とは関係ないが、私が知る限りヨッシー家はもともと長男が継いでいない。
ヨッシーさんは次男坊だし、義父も次男。その前のお祖父ちゃんは末っ子だったらしい。


まぁ名前ってどうなんだろ?
3人の息子たち、画数は同じだけど、性格もバラバラ、兄弟なのに顔もあんまり似ていないとよく言われる。


長男は長男らしく真面目だし、真面目だからこそ要領が悪く1番叱られることが多かった。
母もまだ新米で要領がつかめずガミガミばっかりだったと反省している。
ごめんね(^^)


年子の次男は、そんな長男を見て成長しているので、幼稚園の頃から中学生まで手のかからない子供だった。
その分、高校生になったら爆発して大変身をとげた。
ピアスやら何やら、長男では全くなかった事を、親として経験させてもらった。
母としてパワーアップできたのだから、ある意味感謝している。


三男坊は、生まれた時からすごかった。
ヨチヨチ歩きが出来るようになった頃、家の中で神隠しのように姿を消した。
家中あっちこっち探したが見つからない。
よくよく見ると、中庭の向こうにある離れの縁側の隅っこで硝子にへばり付いた格好で寝ている姿を発見!
それも斜めに傾いたまま、気持ち良さそうな寝顔。
バアちゃんがひと言。
「大物やわ」
本当にいつも、力いっぱい遊んでストンと寝る子だった。


バアちゃんが言うように大物かどうかは別として、三男坊の幼稚園時代のこと、この子はどこへ行っても生きていけるんだろうなぁと実感した思い出が1つある。
それがタイトルの『ヤクルトの分配方法』だ。


ヤクルトは今でもそうだけど、5本でワンパッケージになっているはず。
このパッケージをパキンと上手に開けた幼稚園児、まずは台所にいた私に
「ハイ、お母さん」
と一本手渡してくれた。
「あら、なんて優しいK君、ありがとう」
と喜んでいる私と一緒に自分も美味しそうに飲んだ。
残った3本を持って茶の間へ行き、遊んでいた小学3、4年の兄たち2人に、
「ハイ、お兄ちゃん」
「ありがと」
と、3人仲良く再び飲む。
みんなから感謝されつつ、ひとの2倍楽しんでいた姿を思い出し、今でもそんなところあるなぁと、常々思っている母である。


人生の荒波を渡るには必要な人間力かもしれないが、言っておかねばならないことがある。
「世渡り上手な罰当たりにはなるな!」


アッ、これは私の言葉ではなく、三男坊の数々のエピソードを知っている、私の人生の師匠ともいうべき方から教えて頂いた言葉だ。


三男坊は19才でカメラマンになると、夫ヨッシーさんの反対を押し切り、リュック1つで家を出たが、その夢は数年たたずに破れた。
だが、東京でいろんな仕事を転々とし十年間頑張り、現在は山梨の土地で人生のパートナーとも出会いかわいい娘も授かった。

そして、たくさんのひとに助けられながら農業に携わる仕事を続けている。


がんばれ!我が家の三男坊!
世渡り上手の人間力は、人生の荒波を乗り越える大切な竿かも知れないが、貴方を支えて応援してくれている人たちを決して忘れないように、もう一度だけ言っておく。

「世渡り上手な罰当たりだけにはなるな〜💞」

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