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【禾乃登】こくものすなわちみのる処暑/末候🍀『勇者のお稲荷さん』


子供の頃、家族で出かけたり、遠足や運動会のお弁当と言えば、必ず稲荷寿司だった。
小さな三角の油揚げに包まれた、じゅわっとしみ出すあの甘辛い味付け、ひと口でもいけちゃうサイズが好きだった。


だが、ヨッシー家に嫁いでみて驚いた。
義母が作るお稲荷さんは俵型、要するに長方形の油揚げを半分に切ったサイズ、とにかくデカイ。
2個程食べれば、もう満腹になる。
まぁ、この大きな稲荷寿司は、3人息子を育てる上で役に立った。


お稲荷さんと言えば、安宅住吉さんにも、本殿右手にお稲荷さんがある。
正しいお参りの作法は分からないが、私は必ずお稲荷さんに手を合わせ、次に本殿、続いて左手奥にある金比羅さんと順に回る。


神社が子供の頃から好きだった。
小さい頃の遊び場だったのが、金沢の児安神社、安産の神様らしい。
ままごとをしたり、かくれんぼをしたり、大変お世話になった懐かしい場所。
私が参加している児童文学同人誌の勝尾先生が、児安神社に伝わる話を書いて下さった。
『先人群像七話』三百年前の金沢でという御本。
それまで、私は子安神社だとずっと信じていたので実際に見に行った。
さすが先生、児安神社で正解だった。
思い出は勝手な思い込みで上書きされていく物らしい。



稲荷寿司から話はそれだが、もうひとつ思い出深い稲荷寿司がある。
金沢大学附属病院で食べた稲荷寿司。


一番の仲良しのKちゃんの入院中の話である。
私がガンで入院した時に、怖くてお見舞いにも来れなかった程の怖がりのKちゃんが、その2年後リンパ腫になった。
手術や抗がん剤を続け、その後臍帯血移植をし命を繋ぐ事が出来た。
長い闘いだった。


いろんな後遺症は残って薬三昧の日々だが、最近は私よりもりもり食べるようになったし、体調も落ち着いている。
検査は定期的に受けていて、結果を聞くと
「何か、まだ影があるけど大きくなってないみたい」
と、サラッと言ってのける。


怖がりだったKちゃん、私の中で屈指の勇者となった。
彼女の闘病生活の中で、一番大変な時期は、やはり臍帯血移植の後だった気がする。
移植によって血液型まで変わったが頑張り拔いたKちゃん。
性格まで変わった気がするのは、血液型のせいか、病気を乗り越えて強くなれたからか?


入院中、抗がん剤の後遺症か何を食べても砂を噛んでいるみたいで、ずっと食べられない期間が続いたある日、お見舞いに行くと
「いなり寿司なら食べれそうな気がする」
「わかった!」
すぐに売店に走って、稲荷寿司ゲット!
でも、ひと口食べて
「やっぱり無理、ナツメ食べて」
「後で食べるね」
いつもは無神経な私だが、いくら何でも食べることが出来ない人の前でパクパク食べるなんて。
「ここで食べれば」
「じゃあ、頂きます」
結局、食べた。


色々あったけど、今でもKちゃんは一番心許せる友人だ。
Kちゃんが言った。
「私、ナツメより長生きするかも?」
「何歳まで生きるん?」
「90才くらい」
「ふぅ~ん、勝てるか?ビミョー」
不敵な笑いを浮かべるKちゃん。


友達を作るのが下手っぴだった私に、Kちゃんを出逢わせてくれた神様に感謝している。
そしてきっと、私はずっ〜と、稲荷寿司が好きだ♡






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