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創作「里桜」第二部

 ゴールデンウイークが終わっても、里桜が学校に出てくることはなかった。
 あの大泣きしたあと、気持ちを少しだけ切り替えることができたのか、里桜はおばあちゃんの畑に手伝いに行くようになった。
 おばあちゃんと話をし、体を動かし汗を流すこと、今の里桜には、それが一番の薬なのかもしれない。たとえ学校へは行けなくても、和希さんもみんなもそれでいいと思っていた。反抗期に突入中の弟の達也でさえも、勢いがそがれて里桜を気遣っているようだった。
 道で偶然、達也に会った時に聞いた話によると、里桜がフードをかぶって顔を見せようとしなかったのは、後頭部の髪がごっそり切られていたからだと。怒った和希さんが学校に怒鳴り込みに行きそうな勢いだったのを、里桜が必死で止めたらしい。
「姉ちゃん、誰にやられたかも絶対に言わないんだ。だから、学も知らんぷりしてやってよ」
「達也。おまえ、一人前の男になったな!」
 そう言って首根っこをつかまえて髪をクシャクシャしてやった。
「まなぶ、やめろ!」
 一人っ子の僕には、弟がいる里桜がうらやましい。

 
 
 里桜は午前中おばあちゃんの畑を手伝っていても、午後は相変わらず家に閉じこもっていた。同級生に会いたくないどころか、下校中の小学生にさえ会いたくないらしい。
 週に2度ほど、学校の帰りに里桜の家に寄ることが僕の日課になった。
 玄関に向かう途中、庭に面したサンルームに里桜の姿があることに気がついた。パーカーを深くかぶってうつむいたまま動かない。庭にまわってサンルームのガラスをそっとノックする。
 ビクッと飛び上がりそうになった里桜の足元には、汚い段ボールが見えた。
「何、それ?」
 箱を指さし、身振りで質問する。
「・・・いぬ」
 里桜の唇がゆっくり動く。立ち上がりサンルームの鍵を開けてくれた。
「えー、どうしたんだ?」
 段ボールの中にはよく似た子犬が3匹くっついて眠っていた。中の一匹が眠そうな目でこっちを見た。鼻の先っぽだけが黒い茶色の子犬。目を閉じたまま匂いを確認するように鼻をぴくぴくと動かす。モゾモゾと動き出した子犬たちは、ふわふわしていて温かかった。
「公園のベンチの下に置いてあったんだ。さっきまでクンクン泣いてたのに、疲れて寝ちゃった。お腹すいてるんだよ、きっと。どうしたらいい?生きてるのに、捨てるなんて、信じられないよ。かわいそうに」
 子犬はもちろんかわいそうだったけど、自分の方からこんなに話してくれた里桜の姿をみて、僕はうれしかった。
「そうだなぁ、ドッグフードはまだ無理か?ミルクだ。おれ何か調達してきてやるよ、待ってろ。里桜、自転車借りるぞ」

 玄関わきにとめてあった里桜の自転車は、サドルとハンドル以外が全部オレンジでちょっと恥ずかしかったが、今はそんなことを言っている場合じゃない。
 垣根越しにちょっと庭をのぞくと、里桜が手を振っていた。微かだけど、ちゃんと笑顔もある。うれしくなって鼻歌まじりにおばあちゃんの畑に向かう。
 僕たちが子供の頃、中山のおばあちゃんは犬を飼っていて、おまけにその犬はメスで、家で子犬を産んだと聞いた覚えがある。子犬はペットショップで買うものだと思っていたので驚いたことを思い出した。おばあちゃんなら子犬に何をやったらいいか分かるはずだ。
 昼間はあんなにあったかかったのに、顔に当たる風はもうひんやりしてきている。
「あっ」
 おばあちゃんの軽トラが農道から大通りに出て左折して見えなくなった。
「あぁ、行っちゃった。あっちなら買い物に寄るのかも。よしっ!」
 曲がった先には昔っからの商店街が続く。僕は自転車のペダルを思いっきり踏み込み、軽トラを追いかけた。
 大通りに出る直前で信号が青に変わった。前方から来る車を確認し、僕は大きく円を描き左にカーブした。その時だった。
 ガッシャーン!
「・・・」
 何がどうなったのか分からない。
 小さな女の子が見えた。避けようとして、大きくカーブしただけだ。
「大丈夫ですか?」
「いま、救急車・・・」
 声が、どんどん遠のく。体が動かない。足に、力が入らい・・・真っ暗な中、耳元で誰かが読んでいる。
「名前は・・・」
 僕の名前、名前は・・・答えようとして、わからない。僕の名前は・・・


 目の前に白いカーテンが見える。
「気がついた?」
「痛っ!」
 起き上がろうとして気が付いた。右足が全く動かない。
「動いちゃダメだって。右足骨折してるんだから」
「どうして?」
「母さんの方が聞きたいわよ。里桜ちゃんの自転車乗ってて、信号無視してきた車にはねられたみたいなの」
「ああ・・・」
「お年寄りで、一つ先の信号に気を取られていて、信号見間違えたらしいの。さっき息子さんと一緒に謝りにいらして」
「女の子は?女の子がいたんだ」
「あぁ、あの子なら大丈夫。あんな小さい子事故にまきこまれなくって、本当に良かったわよねぇ。あの子を避けようとしたんでしょ?」
 ぼんやりと事故の瞬間を思い出していた。そうか、そういうことか。
「お兄ちゃんにお礼って、ほら」
 母さんがサイドテーブルに置いてあった折り紙を見せてくれた。
「ワンちゃんだって」
「あっ、そうだ!里桜・・・」
「動いちゃだめでしょ。里桜ちゃんには、さっき電話した。自転車も壊しちゃったし。心配して泣いてたから、母さんあとで寄ってみるね」
「・・・」
「事情は全部聞いたから。今日はおとなしく寝ていなさい」
「わかった」
 いつも、おっとりせている母さんが頼もしく感じた。
 反対に自分のドジさ加減に嫌気がさした。


 ポツポツ・・・
 病室の窓をたたく規則正しい雨音が、眠りの世界に僕を誘う。指先のふれたタオルの柔らかさで、子犬の温かさを思い出す。
「捨てるなんて、信じられないよ。かわいそうに」
 久しぶりに聞いた里桜の力強い声。それが怒りの声であっても、僕はうれしかった。
 それにしても、こんな肝心な時に・・・
「はぁ・・・」
「どうしたんや、あんちゃん。でっけぇため息ついて」
「びっくりしたぁ」
 枕もとのカーテンをよけて顔を出したのは、となりのベッドのおじいさんだった。頭は真っ白で八十をゆうに超えていそうだ。
「驚ろかしてすまんすまん」
「こちらこそ、ため息ばっかついて。うるさかったですよね」
「うるさかないけど、そんな足の骨くらいで、そんなため息つかんでも」
「そうなんですけど、僕がもうちょっと気をつけていれば、自転車も壊れなかったし、ぶつかったおじいさんも嫌な思いをせずにすんだのに」
「まぁ、事故のあとは誰でも落ち込むもんやけど、長い人生からしたら、それくらいですんで、かすり傷みたいなもんやわ」
「そうですか」
「そうやそうや。あんたが誰かを傷つけたんとちがうやろ」
「はぁ、まあ、それは・・・でも、大切な友達との約束も守れなかったし」
 またため息をつきそうになって、あわててのみこんだ。
 おじいさんは、天井を見つめて「そうや」とうれしそうに手を打った。
「人生ゆうたら真っすぐに進めんことが山ほど起こるもんや。おとろしい風が吹いて台風ん中に放り込まれたみたいになったり。そんな時は、休めばいいんや。人生の休み時間や」
 おじいさんは自分の言葉に満足そうに笑った。
「人生の休み時間か」
 自分の足のギブスを見つめている僕におじいさんがさらに続けた。
「まっ、あんちゃんみたいな若い人やったら、心配せんでもすぐに退院やわ。頭とかほかは、どうもなかったんやろ」
「あっ、はい」
「そんなら、わしが保証する。明日には退院や」
「えっ、明日?」


 僕が驚いて聞き返した時、病室の入り口に立っている里桜に気が付いた。
「里桜」
「彼女さんかな?なるほどぉ。こりゃあ、あんちゃんため息もでるわな」
「ち、違います」
 おじいさんは、にんまり笑ってカーテンをそっと閉めた。
 入り口に立ったままもじもじしている里桜に「ひとり?」って聞こうとした時、和希さんの元気な声が聞こえてきた。
「ねぇ、こっちでいいの?何号室?」
「だから、302だって」
 母さんの声も聞こえた。
「あっ、いた!学くん、だいじょうぶ?ワンコたちのために、こんなことに」
「学がそそっかしいだけよ。里桜ちゃんの自転車まで壊しちゃって」
「自転車なら買い替えればいいのよ。それより足、痛かったでしょ」
 相変わらず元気のいい和希さんのうしろに隠れるように立っている。
「いや。もうギブスでかためられて痛くないし大丈夫です」
「そうなのよ。だいじょうぶって言ってるのに、和希がどうしてもお見舞いに行くって」
「わたしより里桜が心配して、昨日の晩だって眠れなかったんだよねぇ」
「お母さん!」
 大きな声でそう言ったあと、すぐに下を向いてしまった里桜。
 久しぶりに里桜の大きな声を聞いた。
「里桜。子犬どうしてる?役に立たなくて、ごめんな」
 下を向いたまま、力強く首を振る。
「昨日のうちに子犬用のミルクを中山のおばあちゃんに聞いて買ってきたの。それがまあ、あの子たちすごい勢いで飲むのよ。ねえ」
 和希さんの元気につられて里桜もちょっとだけ笑顔になる。
 やっぱり、里桜には笑顔が似合うよ。
「中山のおばあちゃんも心配してらしたわよ」
 母さんの声で、里桜の顔を見つめていたことに気がついて、あわてて目をそらす。
「あの時に救急車が学だなんて思わなかったって」
「うん」
 あの瞬間を思い出して、思わず身震いする。
 びっくりしてしゃがんだ女の子。自転車のぶつかる音、誰かの叫び声。遠くで聞こえた救急車のサイレンの音。
「まなぶ」
 母さんの声で我にかえる。
「先生が、明日退院していいよって」
「えっ、そうなんだ」
 カーテンの向こうで「あたり」とうなずいているおじいさんの顔が目に浮かんだ。
 

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