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リア充死ね死ね団2023 ~おまいら何処へ行っちまったんだよ~

※人によってはそこそこ不快に思うかもしれない内容を含みます。気をつけてね。

好きな仕事に就いて、まあまあ満足できる人生を送っているけれど、「限界独身男性」の6文字が俺を縛りつけて幸せにしてくれない。

たしかに結構いい生活をしています。深夜まで仕事して、好き放題にスナック菓子を食べて、カップラーメンを啜っている。たまの休暇には一人でフラッと旅に出て、温泉に入って適当に帰ってくる。人によってはこれを「理想の人生」と呼ぶこともあるだろう。

しかし、どんなに良い人生に見えたって、「独身」で「限界」であることは覆しようがない。そう、パートナーがいないことが不満なのだ。

いやまあ、わかりますよ。独り身だっていい事あるでしょう。実際今の「理想の人生」は一人暮らしだからこそ成立しているもので、深夜に及ぶ雑な生活も、自由な一人旅も、家族がいないから出来ることです。

でもね。街に買い物に出ると、あるいは一人旅に行くと……思い知らされるんですよ。世界はカップルや夫婦ばかりだ。この世には、まだまだ独身の居場所が少ない。

3月、熱海にて。どこの店も満席で入れず、一人でコンビニの肉まんを食べながら行き交う人々を眺めていた。誰もが誰かと会話していて、一人で歩いている人はいない。海を眺めるのすら、少し気まずかった。

曇天

他に一人だけ、孤独な人を見かけた。その女性は、男性アイドルのグッズを片手でかかげて、海の写真を撮っていた。

……とても、救われた。自分の存在がようやく許された気がした。彼女がいなかったら、海は苦い思い出になっていただろう。

まあ旅に限った話でもない。会社でも……どんな濃いオタクでも、陰キャの過去を持つ人でも、パートナーのいる人が多い。もしくはTLもそうだ。10年前に、一緒に汚ったねえ下ネタで騒いでいた、しょーもない仲間たちが、家庭を持って幸せにしている。

思うに、もう孤独なオタクって「流行らない」んですよ。

20年前なら、オタクは非モテの代名詞だった。そっから時代が色々変わって、ファンコミュニティとかで出会ったオタク同士が結ばれるのは、当たり前になった。年齢層も上がってきたし、家庭があるのが多数派になってきた。

クリスマスを恨んでも、バレンタインを憎んでも、共感されなくなってきた。あの頃「カップル死ね死ね」と毎年言っていた俺たちなのに、今や「それなんてエロゲ?」な経験をした奴のほうが多くなっちゃったんだ。何しろ比喩でなく実際にセックスをしているんだから。

おまいら……いつのまに、どこでそんな出会いをしたんだよ。俺を置いて、何処へ行っちまったんだよ。

漫画の流行りとかで見ても、恋する男女をニヤニヤ見守るタイプのものが、かなり人気になった。昔のインターネットには無かった「まともな恋」が浸透し、今や一大ジャンルを築いている。俺はそれらをまともな目で読めない。

我ながら、醜いことを言っている。でも、幸せそうな人を見たら「いいなー」と思うのは、普通のことだ。もう少数派になったけど、誰かが言わなきゃいけない。羨ましいって。

まあ、相手がいりゃあ良いってもんでもないのでしょう。「結婚は人生の墓場」とかいう言葉、昔ありましたが、今でもあるんだろうか。誰かと一緒に住んでいればストレスも衝突もあるだろう。

さっき、これ書いてる最中に、ちょっと実家に帰って親に会ってきたんだけど、相変わらず両親の折り合いが悪くて、少し目が醒めた(父親がダメな人なのだ)。よほど良い相手に巡り会わなければ、マイナスになるのかも。

でも上手くいってるパターンは、やっぱ、いいよなあ。会社の人が言ってたよ。「結婚しても一人旅を奪わないでくれ」と頼んで、その権利だけは確保しているらしい。そう、結婚と一人旅は両立できちゃうのだ。こうなると純粋に俺の負けだ。まあ、彼は相当にデキる男なのだが。

で、これを解決する方法って大別すると2つしかなくて「恋人を作る」「恋人を作らずに満足する方法を見つける」のどちらかなんだけど……。

言うまでもなく前者は厳しい。自分が「男性的魅力に欠ける」「生涯年収がカス」「もう40手前」の三重苦で、さすがに現実的じゃないのだ。

人間は年齢じゃない、収入じゃない……。そんな綺麗事を言う人も、もう減ってきたと思う。だって僕らは現実を生きてる。現実は資本主義だ。そして自然科学的に見て、強いオスが子孫を残してきた。良いとか悪いとかじゃない。そういうもんだ。

さて、となると後者を探らねばならない。よく言われるのは「推しを見つける」とかで幸せになる方法だが……世の中には「推しも恋人もいる」人がいるのだ。勝ち目がない。比較しても仕方ないけれど、存在する以上は目に入る。推し活の最中に、みじめな気持ちになる。避けられない。

人を気にせず主観だけで満足するって、本当は出来ないんじゃないかと思っている。どこまでいっても相対評価は付きまとうのだ。それが社会だもの。

だから解決法としては「カップルを見てもムカつかないようになる」しかないのだ。そういうふうに自分が変わるしかない。そのための根拠を、見つけるしかない。

理想的な変化である「祝福できるようになる」は、まあ、ムリだ。少なくとも今は。

他人を下に見て「独りの方がマシだと考えるようにする」ほうがまだ現実的かもしれない。カッコ悪いけれど、時代に逆行しているけれど、それは俺にとって救いになるはずなんだ。

最近、どんなコンテンツでも、恨み妬み嫉みは、見せないのが鉄則になっている(見せるとウケない)。たとえばYouTube動画のサムネイルには明るい事しか書いてない。俺は……それが逆に、息苦しいと思う。現実には、その感情は存在する。無かったことにはできない。

なので、救いのない話だけれど、こっそり心の中で「こいつらも家ではケンカとかしてるんだろうな」と思っていこう。大事なことだ。上を向いて生きるためには。

ただひとつ、この状況に救いがあるとすれば「去年の自分にこんな嫉妬は無かった」ことですね。これは自分が多少なりと仕事で成功して、自己肯定感が得られたため「自分はもっと幸せでいいはずだ」と思えたから芽生えた感情。

もちろん自信を失うわけにはいかない。だからこのままでいい。胸を張って、堂々とカップルを見下しながら生きていこう。それだけが、たったひとつ、俺みたいな人間が表通りを歩くための方法なんだ。


鴨川等間隔
橋の上 見下ろしながら見下される
十六文キックでカミから順に
蹴落としたりたい気分だぜ

岡崎体育「鴨川等間隔」


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