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心のスキ

月曜日は梅雨の晴れ間に恵まれて、おまけに授業も無かったので、昼から不忍池を訪れた。僕はほとりのベンチに座り、蓮の葉が広がる池を眺め、柔らかな日の光と優しい風を感じた。そしてバッグから文庫本の小説を取り出し、1ページずつゆっくりと読んだ。

こんな風にのんびり過ごすのは、実に気持ちがいい。煩わしい日々のあれこれは一旦脇に置いて、ただ静かな時を味わうのだ。自然を愛し、本を愛す。その純粋で無垢な気持ちに身を任せるだけでいい。

そう、ただそれだけでいいはずなのだ...…

しかし残念かな。僕はそうやって無邪気にはなれなかった。その代り、(たぶんそういう言葉は無いと思うが)有邪気うじゃきな青年になってしまった。念のため健康食品っぽく言えば、邪気300mg配合の青年だ。

不忍池で本を読んでいる間、僕の心にあったのは純粋な楽しさと、その邪気、すなわち「自分は今、きっと周りから素敵な人物だと思われるような過ごし方をできている!」という気持ちである。

現に皆さんも心の底からそう感じているように、「青空の下、池の畔で本を読む」というのは、世界中すべての人が何の躊躇もなく素敵だな~と思う行為だ(Ide, 2022)。誰もが「映画のワンシーンみたいだよ」と思うし、「あの人は本当の幸せを知っているね」と感じる。

そのイメージにあやかろうとするせこい考えが、邪気だ。「青空の下、池の畔で本を読む」ことによって、周りから「いでってやっぱ心に余裕があって、休みの過ごし方も素敵で、なんつーか、かっこいいよな~」と思われようと期待する、せこい考えが。

もっと単純化して言えば、それは「他者の承認を求めようとする心」だ。さらに単純化して言えば「現象」だが、そこまで単純化する必要は無い。

結局自分は他者の承認を欲しがってしまう生き物なのだ。表向きは「そんなものいらないよ」なんてフリをしていても、そして自分自身にそう言い聞かせていても、本音は欲しくてたまらない。

それはつまり、「本当の幸せ(他者の承認など必要としない自分自身のための幸せ)」を知る人に見られようとして、かえって内実はそこから離れていくという皮肉な生き方だ。くだらない。「おいおい、こんなノロマどもと一緒にやってられっかよ。俺ぁ先に行くぜ」と言って真っ先にゾンビになる男以下だ。

だが一つだけ言わせてもらうと、インスタグラムに「不忍池で読書。# いい天気 # 午後はのんびり # 夏目漱石」みたいに書いて充実した生活と知的さを自慢するような真似をしていないところだけは評価できると思う。僕はあくまで見られるのを待っている奥ゆかしい人間なのだ。それはそれで情けないかもしれないが。

それで結局、僕はなんでこんな文章を書いているのか。何のために自分の愚かさを告白しているのか。許すため?許されるため?共感を得るため?

否。

変わるためだ。他者の承認を求めんとするよこしまな自分に向き合い、打ち砕き、そして自分の純粋なる心に従って生きるためだ。自分の好きなものを、自分のために好きでいるためだ。

だからここからは、自分に言い聞かせるつもりで書く。


自分よ、自分がスキだと思うものを、信じよ。

スキだと思うその自分を、信じよ。

青空の下で読書をするのは、他人に「なんつーか、かっこいいよな~」と思われるためか?いや違う。それがスキだからだ。

ビートルズを聞くのは、他人に「なんつーか、センスいいよな~」と思われるためか?いや違う、それがスキだからだ。

カントを本棚に並べているのは、他人に「なんつーか、知的だよな~」と思われるためか?いいいいい、いや違う。そそそれはス、スキだからだ。

もう一度言う。自分がスキだと思うものを信じよ。スキだと思うその自分を信じよ。

最初から100%じゃなくたっていい。1%でもスキだと思う気持ちがあるならそれでいい。信じ続ければ、いつか100%になるから。嘘から出たまことだとしても、それはやっぱり真実だから。

さあ、「スキ」を信じて生きよう!

大事なものは「スキ」!ただそれだけだ!


一応念を押しておくが、これはあくまで自分に言い聞かせているだけだから、読者の方々はあまり気にせぬよう。

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