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再生の焔

農村部に住んでいると“火”は身近である。
消防の観点からは「危険行為!今直ぐやめてください」になるのだが、野焼きや薪ボイラー、囲炉裏に薪ストーブ、神社の行事、、

火が燃えているのが嫌いな人は少ないと思う。
だがそれはとても危険で、場合により命を奪うこともある。

“畏れ”

と同時に、焼かれて灰(炭化、炭素に戻る)になることは“再生”の象徴でもあるからだ。

神の技を人が擬似体験できる。
それが『火を放つ』こと。

蔵や納屋に貯め込まれた不用な木材や木製品(傷んで再生不可能な家具や道具)を畑の肥料とする。

木はその年輪が語るように重ねた年月の気候をレコードのようにため込んでいく。
一度火を与えられると、その年月が一気に解放され、柔らかく力強い、太陽の熱にも似たエネルギーとなり身体を貫きながら温めていく。。

22世帯、50人程の町で数十年休止していた『獅子舞』が諏訪神社に奉納された。

日本という国が何百年、数千年と刻んできた“火に寄り添う日常”は“電気”という使用する人に見えない場所の自然を消費破壊するエネルギーにより淘汰されてしまった。

神の高原(たかはら)から、海に沈みゆく宙の焔を見送る

人はやがて元素へと還元されていく。

その「当たり前」を日々の暮らしに刻み込む、

この土地から“再生の焔”を掲げて。

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