見出し画像

本の匂い人の匂い

玄関のチャイムが鳴った。
ポストに投げ込まれることもなく手渡されたそれは本の梱包にしては珍しい厚みのある箱だった。段ボールを開けると桜餅の匂いがした。
以前も同じ匂いがしたような気がする。
上下をエアクッションに挟まれて堂々と鎮座している本が目に飛び込んできた。さぁ読みたまえ。
はい読ませていただきます。

箱からそっと取り出して手に取ると風に吹かれてざぁっと木々の揺れる音が聞こえたような気がした。添えられた手紙とともにしのばせてくれたのかもしれない。しばらく空を見上げる。
3月になった。もうすぐ雪柳の花が咲くだろう。

いい本には匂いがある。何かを放っている。
新しい本ばかりではない。古本屋にも時々わずかではあるけれどもそういう本が隠れている。
どんなにぼろぼろでくたびれていたとしても大切に扱われていたことがわかるような本。

モノにも人にも宿るものがある。
気品のようなもの。威厳のようなもの。
誰かから大切にされてきた、あるいは自分で自分を大切に扱ってきたモノや人には独特の匂いがある。近づけばきっとわかる。

20歳の頃。今のあなたには色もなく匂いもない
無色透明だと言われたことがある。
長い年月を経て少しはわたしにも色がついただろうか。匂いはどうだろう。

雨はたしかに上がったけれど
袖口は未だ濡れたまま乾きはしない。
風になびいていつまでもはたはたと揺れている。
忘れた頃に乾くだろう。

ここにはいないひとの匂いを感じ取る。
嗅いだこともないくせに。
なんだかひとり可笑しくなって
菜の花を揺らしたら
桜のような花びらがわたしを埋め尽くした。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?