耳に届くはあの音楽
音楽を共有することで心がほぐれていくような
味方でいてくれるような体験をしたことが何度かある。一言も言葉を交わさぬまましばらくの間
音楽に身を委ねる。大学生の頃はだいたいそんな感じで人と繋がっていたような気がする。
歌詞カード見せて。いいよ。
いつしか誰かと同じ場所で過ごすことも少なくなり部屋でひとり音楽を聴いているとどこまでもひとりである自分が浮かび上がってきて悲しくなった。サブスクのない時代。
音楽は自在に形を変えてゆく。
そんなに突き放さないでおくれよ。
近年誰かと音楽を共有することは容易くなった。
じっと携帯を見つめては名前も顔も知らない誰かが聴いているであろう音楽にそっと触れてみる。今あなたの耳にこの音が届いているのですね。
眠れない夜にプレイリストが切り替わる。
ただそれだけで救われていた夜もあった。
何かを共有するという行為は時に寂しさを紛らわすことができるけれども一方でさらに孤独を浮かび上がらせることもあるということを最近は痛感している。
届かない触れられない言葉を交わすこともできない。それでも画面の中にはたしかに存在している。
存在している?
耳に届くはあの音楽。
繋がっている。繋がっている?
幻想か。
軽快なリズムが
くるくるとわたしの周りを取り囲む。
耳に届くはあの音楽。
友達になろう。
ありあまる孤独を胸に抱えながら
今夜もわたしは音楽を聴く。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?