#95【雑記】「半殺し」にするか「皆殺し」にするか「手打ち」にするか・・・婆がニヤッとするお話。
「半殺し」か「皆殺し」か「手打ち」かとは、タイトルとして、穏やかではない。しかし、ピンとくる人には、ピンとくるだろうw
時は江戸時代、一人の商人(あきんど)が、江戸から遠く離れたこの辺の地域で、年老いた爺と婆が、こじんまりと営む宿に、一夜の宿をとった。
「さぁさ、お疲れになったでしょう?お床が出来ましたから、どうぞ、ごゆっくり、おやすみください。」
そう言って、婆が、にこやかに商人の部屋の襖を閉めた後、しばらく経って、何やら、ヒソヒソと声がする。
婆「いいお客が来たねぇ、明日は”半殺し”にしようか・・・。」
爺「そうさな、この時期じゃ、”皆殺し”より”半殺し”だんべ。”手打ち”もいいなー。」
婆「あぁ、そうだね、じゃ、”手打ち”と”半殺し”にしようかねw」
爺「それがいい。”半殺し”も、久しぶりだなぁ~。ヒヒw」
二人のヒソヒソ声を聞いた商人は、震え上がった。しかし、もう外は真っ暗闇で逃げる事もできない。商人は、布団の中で、護身用の短刀を胸に抱くと、安心したものか、疲れが出たものか、不覚にも、そのままグッスリと寝込んでしまった・・・。
翌朝、ハッと目を覚ました商人は、慌てて旅支度を整え、宿から逃げようとしていた所、婆が、朝食を持ってきた。
「あれ、もうお立ちですか? 何もない所だけども、どうぞ、朝飯を食べて行って下さいまし。」
そう言って、差し出された朝食には、見るからに美味しそうな”おはぎ”(半殺し)と、温かい”手打ちうどん”が用意されていた ―――。
めでたし、めでたしw
私の住む地域に古くから伝わる有名な民話だ。落語の演目にもあるらしい。皆さんも一度は聞いたことがあるやも知れない。
・「半殺し」とは、ここら辺では、「粒あん」の「おはぎ」のこと。
・「皆殺し」とは、ここら辺では、「こしあん」の「ぼたもち」のこと。
・「手打ち」とは、ここら辺では、「手打ちうどん」のこと。
今では、あり得ない、この呼び名wwww
しかし、今でも、年寄りの中には、「もうすぐお彼岸だから、"半殺し"
だな~🩷」「いや、俺は、”皆殺し”の方が好きなんだけどねー🩷」という、信じがたいデンジャラスな会話が、楽しく成り立つw
元々この辺りは、平安時代からの”もののふ”気風の強い土地柄で、平家物語に出てくるような、名高い武将を何人も輩出している。
また戦国時代には、大きな戦場になることもしばしばで、例え「百姓」と言えども、自分達の土地を守る為に、常に戦の準備をしていたという、「半武半農」の人達が多かった。そういった、ご先祖から連綿と引き継がれた”気性の荒さ”が、ウリでもある。
そんな所から、「半殺し」だの「皆殺し」だの「手打ち」だのと、ふつーに使う。大工や左官などの職人の間でも、例えば、釘が抜けない様にする加工を「打ち殺す」とか、部材の「ここは殺して・・・、こっちを活かす」とか、結構ふつーに使っている。(思えば、恐ろしい地域ですねーw)
その為、「おはぎ」や「ぼたもち」を作るとき、中のうるち米やもち米の粒感を、半分ぐらい残して潰すのを「半殺しにする。」といい、全て、潰して、なるべく滑らかに仕上げるのを、「皆殺しにする」と言う。
ちなみに、「ぼたもち」のあんこは、「こしあん」なので、「皆殺しの上に皆殺し」なわけですw
対して、「おはぎ」は、中身も餡も「半殺し」なわけですね。
春のお彼岸に作るのは「ぼたもち」で「こしあん」。
「ぼたもち」というのは、「牡丹の花」が咲く季節だからという説が有力。
小豆に関しては、昔は、前の年の秋に収穫した小豆を使っていたので、皮が固く、口当たりが悪かったので、「こしあん」仕立てにしたのだとか。
対して、秋のお彼岸に作る「おはぎ」は「粒あん」が基本。
「おはぎ」は、「萩の花」が咲く季節だから。小豆に関しては、秋の収穫して直ぐの小豆を使う事ができたので、皮が柔らかく、「半殺し」で、「食感と、採れたての小豆の風味を楽しんだ。」というのが、ここら辺では有力説ですね。
この「おはぎ」と「ぼたもち」の定義は、地域によっても違います。多分、関東と関西でも、だいぶ違うのではないかと思いますね。
私は、”半殺し”が好きですwww
「手打ちうどん」は、「お切り込みうどん」に派生して、地域の冬の名物となっています。
”半殺し”がいいか?😍
”皆殺し”がいいか?😍
”手打ち”もいいねぇ~w😍
と、いう、美味しいお話でしたw