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甲冑好きが勝手に刀剣男士の甲冑を考察してみた件(三日月宗近極編)

!注意! この記事は三日月宗近極の姿のネタバレがあります

ゆる審神者をやっている私ですが、今回は三日月宗近極の甲冑考察をやっていきます!
(使用しているイラストは私がざっくりトレースしたもので、綺麗に表示されない事もあると思いますがご了承ください。後諸々甲冑に関する書籍を読んで勉強していますが、もし情報に誤り等がありましたらコメント欄にご指摘のほうよろしくお願いします、フォローしに参ります🏃‍♂️)

改めて甲冑とは
頭に被る「兜」と体を守る「鎧」の2つの総称。
時代の戦闘方式の変化と共にその姿を変え、古墳~奈良時代には「短甲」と「挂甲」、平安時代には「大鎧」、南北朝・室町時代は「胴丸」「腹巻」、安土桃山時代には「当世具足」が主に用いられた。


三日月宗近(極)


平安時代以降の公家男性の正装である束帯の様な衣装に、特徴的な鳩尾板と左肩に大袖らしき物、胸に身に付けている弦走韋の様なデザインを見る限り、平安時代に誕生した大鎧ではないかと考える。
今回は参考に威毛の色目(デザイン)か近い紫裾濃甲冑を用意した。


紫裾濃甲冑
(武蔵御嶽神社所蔵)
鎌倉時代中期



大鎧の各名称

 

●大袖 両肩から両肘にかけて防御する物。
鉄や革製の長さ5〜7センチ程度の小さな小札をとじ合わせて作られる。
上から下に威す過程では、絹や鹿の韋を用いて染色した。
様々な色の威糸を組み合わせて威すことにより色目(デザイン)を作った。

主な威毛の色目

①逆沢瀉 三角形の形をした沢瀉という植物の名称から取られた。
それを逆に威しているため、逆沢瀉となる。
平安後期〜鎌倉時代に主に用いられた。
②黄櫨匂 上の段に行くほど色が濃くなる威し方。
図の黄櫨匂は紅葉を表していると言われる。
③小桜黄返 小桜柄を散らした韋を使用している。
④紫裾濃 下の段に行くほど濃い威し方。
⑤白糸褄取 角から色目が三角形になる様に威す。
南北朝〜室町時代初期に主に用いられた。
⑥黒韋肩浅葱 上から2〜3段の色を変える威し方。
室町時代に流行、図は浅葱色に変えてある。
⑦紅糸中白 中の2〜3段を変える威し方。
南北朝〜室町時代に主に用いられた、図は白糸に変えてある。
⑧色々威  3〜5色程度の色数でカラフルに威す、配色に幾つかパターン有り。
室町時代後期に流行。


●鳩尾板 左胸を守るための物、1枚の鉄板で出来ている。
大鎧は馬上で弓を使い戦う事が主であった為、弓を引く際に敵に最も近い左胸は心臓があり弱点でもあった。
そこで鳩尾板の隣にある栴檀板よりも強固に作る必要があった。
ちなみに栴檀板と一緒に発祥の平安時代から南北朝時代にかけて、形状が変化する。

●弦走韋 矢を射る時に弦が小札に引っかかるのを防ぐ。

余談ではあるかもしれないが、大鎧は甲冑の中でも時代の中で改良されてきた珍しい甲冑なので、どのように変化したか全ては解説出来ないが複数まとめてみた。

時代に伴う大鎧の変化

ここまで三日月宗近(極)の甲冑を考察してみて、公家の衣装である束帯と伝統的な裾濃威しの大鎧を見る限り、天下五剣にふさわしい衣装、甲冑ではないかと思います✨️
大鎧自体には沢山見て欲しいところがあるので、近いうちに大鎧メインの記事も書きたいな…

暫くは刀剣乱舞の甲冑考察になる予定です。
またぼちぼち待っててくださいませ🙇‍♀️

*前回考察したシリーズはこちらから*


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