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(10/22まで公開)「 ご夫婦で飛び、特攻をされた方がいました… 戦争も終わったはずの昭和20(1945)年8月19日でした。」 … 「77年前の10月21日。 日本で初めて、神風特攻隊が空へと飛び立ちました。」


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< 夫婦で飛んだ特攻兵 >


10月21日は
特攻隊が初めて日本を飛び立った日です。

「特攻とは何だったのか」
「あの大戦とは何だったのか」

西教授が特攻の “真の姿” を明かしています。

>今すぐビデオを見る (10月22日まで公開)

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「あの飛行機に女が乗っているぞ!」

この声が空に届くことはなかった。

1945年8月19日
妻を、恋人を乗せて、
満州から飛び立った特攻兵たちがいた。

*******

「まさか!」
と耳を疑いそうになりますが、
これは紛れもない史実です。

日本兵の男は
“在満邦人が逃亡する時間を稼ぎ、
ソ連軍の進撃を少しでも食い止めるため”

そして妻は
ソ連兵による強姦被害がでる状況に
“辱めを受けるくらいなら、
特攻して果てたい”

という理由で夫への同乗を願いました。

太平洋戦争末期、
特攻作戦によって散った命...
その数およそ4000人ほど。

それほどの犠牲者を出した特攻隊ですが、
戦後76年経った今でも、
その真相はあまり知られていません。

今日、10月21日、
特攻隊の初出撃から
ちょうど77年が経ちます。

そこで、
真相を知って頂きたく、
特別ビデオを公開しました。

今すぐこちらからご覧ください

>クリックして特別ビデオを視聴する (10月22日まで公開)

・・・

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< 件名: 敵国アメリカから見た特攻隊 >


【有料講座の一部を無料で公開中】

From 西鋭夫

「私は、アメリカで
個人的に話を聞いたり、
多くの映像を見ました。

面白いことに、神風特攻隊については、
書くこと言うことが
ほぼ全て同じなのです、、」

======

突然ですが、特攻隊に
どのような印象をお持ちですか?

戦後の日本では、
過剰な美談で語り継がれることもあれば、
逆に「無駄死に」と言い捨てる人もいるなど、
様々な意見がありました。

しかし、
世界ではその見方が異なるようです。

「特攻隊は世界の戦史に見られない
愛国心の現れであった。
今後数千年にわたって
語り継がれるに違いない」

これはビルマの初代首相
バー・モウが語った言葉です。

他にも、フランスの初代文化大臣
アンドレ・マルローは次のように語っています。

「日本は敗れはしたが、
その代わり替え難いものを得た。

それは、世界のどんな国にも
真似のできない特別攻撃隊である。

代償を求めない純粋な行為、
そこにこそ真の偉大さがある」

このように東南アジアやヨーロッパから
賛辞を受ける神風特攻隊ですが

日本の「最大の敵」アメリカには
どのように映っていたのでしょうか?

スタンフォード大学フーヴァー研究所にて
日米大戦・戦後の研究を
40年以上続ける西先生によると、

アメリカでは、上のどれとも違った
見方がされているそうです。

捨て身で迫り来る神風特攻…
戦線にいたアメリカ兵には
どのように映っていたのでしょうか…?

日本だけでは見えなかった、
アメリカ兵から見る「神風特攻」の姿を、
ぜひご覧ください。

>アメリカ兵が見た特攻隊の姿とは

・・・


< 件名: GHQが消した...77年前の “今日”    >


77年前の10月21日。
日本で初めて、神風特攻隊が空へと飛び立ちました。

「祖国を、家族を守らねば…」

とてつもない精神力を見せて戦い、
祖国を守ろうとした数多くの日本人。

壮絶な戦いが行われた地で、何があったのか?
先人たちが、私たちに残したかったものとは?

特攻とは何だったのか…
日米大戦とは何だったのか…

こちらのビデオで、その真相を明かしています。

> “日米大戦・神風特攻隊” の真実を知る

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「お世話になりました。今から行ってまいります」

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77年前の今日...
日本で初めて、
神風特攻隊が空へと飛び立ちました。

「祖国を、家族を守らねば…」

覚悟を決め「空の神兵」となった隊員たちは、
自らの命と引き換えに、敵空母への体当たり攻撃、
「特攻」を行いました。

とてつもない精神力を見せて戦い、
祖国を守ろうとした数多くの日本人。

その基盤の上で、平和に生活が
できているのにも関わらず、
誰もそこには触れないまま、、

むしろ現代の日本では
特攻隊を語ること自体タブー視され、
“悲惨なできごとだった...”と
話を終わらせてしまう人は少なくありません。

愛する家族を守るため、
命を賭して日本を守った先祖の姿を
歴史教育として教わることはほとんどありません。

当時の事実を日本では一切教えない理由...
それはあまりにも残酷なものでした...

戦後
「二度と強い日本をみたくない」
と願った占領軍GHQが、

日本人から真実の歴史を奪い
先人たちが託した想いを断ち切ることで、
日本人の精神を歪めることにしたのです。

今まで語られてこなかった
戦争の裏には何が隠されていたのか。

私たちの先祖がどんな想いで
苦難苦境を乗り越え、
日本という国を守ってくれたのか。

本当の戦争について、
裏も表も全て知ってもらいたい。

そして、日本人としての誇りを
強く持ってほしい。

そんな想いで作られたのが
真実の歴史講座「日米大戦」です。

スタンフォード大学で40年以上も研究を続け、
GHQ占領期研究の権威となった西鋭夫教授が、
一次史料をもとに、日米大戦の真実を解き明かしました。

誰のフィルターもかかっていない、
“本当の日米大戦”の歴史を
あなたも知ってみませんか?

>“本当の日米大戦”を知る

P.S.

「あの悠々たる白雲の間を越えて、
坦々たる気持ちで私は出撃して征きます。
生と死と何れの考えも浮かびません。

人は一度は死するもの、
悠久の大義に生きる栄光の日は
今を残してありません。

父母上様もこの私の為に喜んで下さい」

これは特攻隊員の
”想いが詰まった遺書”の一部分です。

世界で類を見ない戦術、神風特攻。

あの時、あの瞬間、
あの大戦で何があったのか、
その真実を西先生に語っていただきました。

>神風特攻隊の本当の姿を知る

・・・


< 件名: 18歳、特攻隊員の本音 >

「お母さん、私は後3時間で
祖国のために散っていきます。

今日私が戦死したからといって
どうか涙だけは耐えてくださいね。

でもやっぱりだめだろうな。
お母さんは優しい人だったから。

私はどんな敵だって怖くはありません。
私が一番怖いのは、母さんの涙です」

これは
「18歳の特攻隊員の遺書」の一部分です。

「祖国を・お母さんを守る」と口にはしつつも、
その胸の内では悲しみや苦しみなど、
様々な感情が渦巻いていたのかもしれません。

この尊い命の犠牲の上に今の日本があり、
私たちは平和を享受していることを
忘れてはいけない...

そうした想いを抱かせてくれる
18歳の若き特攻兵が書いた遺書。

こうした遺書の数は約4,000枚ほど...
つまり、4,000人もの命が
犠牲となったということです。

亡くなった彼らの本心は、
もはや誰にもわからないままと
なってしまいましたが、、

彼らはどんな想いで
飛んでいったのでしょうか?

自らの命を犠牲にし、
国のために巨大な戦艦に
突入した特攻隊。

彼らに、明日死ぬことを余儀なくした
日米大戦とは何だったのでしょうか?

米国との死闘を繰り広げた3年8カ月。
そこでは、本当は何があったのか?

昨日で神風特攻隊の初出撃から
ちょうど77年が経ちました。

そんな中、あなたにはこのタイミングで
日米対戦の真実を知って欲しい。

そうした想いから、
40年もの間、米国で歴史研究を続ける
西先生が一次史料をもとに
10年もの歳月をかけて作った講座が、

西鋭夫の歴史講座「日米大戦」です。

この講座を見れば、
改めて先人たちの想いや遺したモノに
触れることができ、
脚色のない真実を知ることができます。

今日、その表も裏もない、
美しくも醜い真実を知ることで、
あなた自身の中での誇りを取り戻しませんか?


***(レビュー)***

【日本人であることに誇りを感じます】

自虐的歴史観で育った私にとって
先生の講義の殆どは、
初めて知る内容で衝撃でした。

事実が教えられてこなかったことは深刻な問題です。

私の叔父は沖縄で戦死しています。
叔父をはじめ戦地に出向く人々の心情と
現地での戦い・生きざまを教えられないまま、
私は企業人として生き還暦を迎えました。

今は戦地で亡くなられた多くの人々を敬い、
そして、日本人であることを強く誇りに思います。

******

【感動しました….】

私が中学、高校で習ったことと
実際の証拠史料に基づく
西先生のものの見方では大きく違っている。

私たちはアメリカ中心の見方のみで
歴史を見ている。

もっと幅広い史実に基づいた見方をして、
魂の居場所を決めなければならない。

感動しました。
もっと多くの人に西先生の講座を薦めたい。

******

いかがでしょうか?正しい史実を知り、本来の日本人らしい歴史認識を取り戻したことで、日本に生きる、「私」という存在に誇りを持つことができる。そんな嬉しいご感想をいただきました。

・・・

( 西鋭夫氏の講座PRビデオ内容より )

77年前の今日、日本で初めて神風特攻隊が空へと飛び立ちました。とてつもない精神力を見せて戦い、祖国を守ろうとした数多くの日本人。特攻とは何だったのか。日米大戦とは何だったのか。神風特攻隊について西鋭夫氏が語っています。

特攻については、私(西鋭夫)も個人的に話を聞いたことやアメリカで多くの映像を観ました。アメリカの大学院では、第二次世界大戦というゼミがあり、そこでは日本攻略を専門にした方や日米大戦の戦術専門家の方など、いろいろなアメリカの先生方がいます。そのゼミの中で読まされた本は、アメリカの水兵、特に航空母艦に乗っていた水兵たちが回顧録で書いた『カミカゼ』についての史実でした。それぞれ違った州から集められ、アメリカの航空母艦に乗った水兵たちが書いた回顧録で、カミカゼに関するページで出てくるセリフはほぼ同じものでした。

日米開戦当時、アメリカではレーダー(電波探知機)が発達していました。ちなみに、レーダーが防空を使用目的として世界で初めて開発に成功したのは、1939年の日本陸軍によるものでした。しかし、日本の大本営は自国で開発に成功したレーダーを採用せず、逆にイギリスやアメリカに採用され、皮肉にもこれに改造を重ねられて航空母艦に搭載されました。

その航空母艦のレーダーにカミカゼが点々と現れると、水兵ら乗組員は一瞬にしてパニック状態に陥ったと言います。レーダーに写る点が大きくなると、恐怖のあまり機銃、機関砲で耳が聞こえなくなるほど、艦が揺れるほど、あるだけの弾を撃ちまくる。カミカゼが十分肉眼でも確認できると、機体は真っ直ぐ飛んでくるので、近くまで飛んで来たら必ず撃ち落とした。

しかし、時々いくら撃っても落ちない機体がある。神か悪魔か。
アメリカ水兵たちは特攻されたら全滅するのが分かっているので、必死に応戦します。そうすると、うねりながら旋回して弾を避けるカミカゼ。時間にすれば僅か5〜6分。ところが、水兵たちにとっては恐ろしさのあまり、とてつもなく長い時間に感じられた。

しかし、片道切符のカミカゼもとうとう燃料が切れ、艦目がけて突っ込んでくる。そこを艦に当てさすまいとカミカゼを機銃で撃ち落とす。最後に残った悪魔のようなカミカゼが海へ突っ込んで行ったときに、水兵たちの「うおおおおおおおっ!」
と大きな歓声が上がった。しかし、そのあとは必ずシーンとした静けさが漂う。

その理由を回顧録の中では、戦闘機に乗った男に対し、「あれだけ勇敢に戦って、あれだけ天才的な才能を見せて、なぜオマエは基地へ帰らなかったんだ?なぜ海へ落ちたんだ?」と言葉を残しています。

( 途中で当時の白黒の映像が映し出されます )

戦後、アメリカで公開された神風特攻隊の戦いの映像には、「なんて奇妙で、残酷なんだ」「狂気の沙汰とも言えるこの空軍は、敵を目がけて辛抱強く突っ込んでくる歩兵のようだ」「海には塹壕など全くないのに…」といった言葉が流れます。

「1945年3月13日から3月21日の間に、556機の日本軍機が撃墜された」「男たち(航空母艦乗組員)は寝る間を惜しみ戦った。あるものは機関銃で、またある者は斧を手にして戦った。トーチをかざしながら戦った者もいれば、消火器で戦う者もいた。(艦を)修理しながら、そして同時に戦う」と言った言葉が添えられた映像もあります。  

( 映像の説明はここまで。下記は、再び西鋭夫氏の講座での解説など… )

一人の勇敢な日本人と勇敢なアメリカ水兵たち、俗にいう戦闘機と航空母艦との一騎打ち。両方とも見事に戦ったので、アメリカ側は、
「もうこれくらいでいいだろう、もういいから帰ってくれ」と思っていましたが、もちろんカミカゼは帰りません。いや、帰る先がありません。そこを仕方なく水兵たちは撃ち落とした。気違いか、狂気か、それとも神憑りか。その当時の特攻隊員ら若者たち、特攻を志願したのか、それともプレッシャーがあったのか、
いろいろと諸説あり、本当のところは分かりません。

ただ、カミカゼが出てきたのは間違いありません。総数は約4000機。
特攻隊員の中には、不時着して生きながらえた人もいますが、その人たちは本土に帰っても特別な収容施設に入れられ、戦争が終わるまで出してもらえませんでした。特攻で死んだ者は、すなわち、『空の神兵』として扱われており、軍部では生きててもらっては困るという存在でした。そのため、姿を隠され続けました。

神風特攻隊が、狂った作戦だったのかどうかは、この身で体験していない私にはわかりません。無駄死にだったのか、それもわかりません。ただ、日本はもう戦争に負けていました。なぜ止めなかったのか、これもわかりません。大本営の意思か、それとも200万人、300万人、400万人を戦死させたために、止めるに止められなかったのか。…恐らく、これが答えではないかと個人的には思っています。

しかし、こういった説明を一度でも、戦後の日本政府はしたでしょうか。
今は既にお墓の中ですが、日米大戦を目の当たりにし、家で男たちが帰ってくるのをずっと待っていた私たちの曾祖母や祖母に、今を生きる私たちは、墓前でどう説明すれば良いのでしょうか。

日本国民に、あの戦争を説明してくれる日本のリーダーが今までにいたでしょうか。カミカゼは何だったのですか?学徒出陣は何のためにやったのですか?反省も無し、回顧録も無し、説明責任も無し。ただ忘れよう、ただ忘れようと、アメリカが言った通りの歴史を学んで、日本は永久悪者にされて、75年以上も経って、未だ戦争の節目だとか言って。戦後75年?昨年も、いい加減にしてほしいものだとずっと感じていました。

次の節目となる戦後80年で、日本のリーダーは何の話をするつもりなんでしょうか?隣国に謝る話ですか?それとも日本国民に、あの戦争の意義は何だったか?
あの戦争は何だったのか?日本国民がどれだけ苦しんだのか?
その説明が節目節目で未だにありません…。

あるのは、ただ一生懸命に忘れ、一生懸命に謝り、時が経てば許してくれるんじゃないかと思っている。この浅はかな日本の戦後歴史。もううんざりです。

きついことを言いいますけれども、私はこれが日本の舵を取る者たちの本心であり、本筋だと思っています。ここを解決しない日本。これから100年経っても、まだ同じことを言っていると思います。「戦後100年の節目、云々…」と。

『神風特攻隊』名前は残りました。しかし、現実はどうだったのでしょうか?
勇猛果敢な日本人ばかりでしたか?
学徒出陣のことを当時の国民は皆知っていたのでしょうか?

「お国のため」と口では言っていますが、内心悲しかったでしょう。
「お父様、お母様、さようなら」「恋人よ、さようなら」
「お世話になりました。今から行って参ります」案の定、敵艦に突っ込んで行けば、敵は撃ち落とそうと身構えている。

エンジン不調で不時着して日本海軍に助けられた男たちは、『国の恥』と思われていて隠れた施設に放り込まれ、「外へ出るな!」と憲兵に見張られ時を過ごす。そんな戦争をした日本です。

一部の軍国主義者たちがやった、そんな簡単な話でしょうか?国民が総力を挙げて戦ったのです。良い悪いの次元は超えています。生きるか死ぬかの総力です。この日本が、これだけの大戦争をしたのに、負けたらピタッと話を止めて、振り返りもしない。

振り返りもしないために、外地で死んでいった日本将兵の遺骨は、まだたくさん野晒しになっています。これを国の恥としない国なんぞ、これから大きくなれるはずもありませんし、偉大にさえなれません。

自分を見つめ直して、他所の人に向かって反省するものではありません。日本のリーダーは、日本の歴史を知ってリーダーになっているのか?それともアメリカの御用聞きなのか?

神風特攻隊で死んでいった男たち。この人たちについて、私たちは彼らの中身を知ることなく、名前だけ『神風特攻隊』と、あたかも墓石の戒名のような感じで口にしているのが現実です。男たちの出身地も、出身大学名も、もちろん名前も知らず、神風特攻隊は、日本が敗戦した時の墓石の戒名となって残っています。これは、戦後の日本が抱えている、未だ解決していない大きな大きな問題の一つでもあるのです。

77年前の今日、日本で初めて神風特攻隊が空へと飛び立ちました。さらに同日には、日本の将来を支えていく希望であった学生たちが、学徒出陣により戦争に駆り出されていきました。彼らはその時、何を想ったのでしょうか?

とてつもない精神力を見せて戦い、祖国を守ろうとした数多くの日本人。
でも、その代償はあまりに大きく、何十年と掛けて育ててきた大切な人材その貴重な命と引き換えに、日本は優秀なリーダーを失いました。
このことは、今の日本にどのように活かされているのでしょうか?

アメリカの戦後占領で歴史教育は歪められました。アメリカ兵が恐怖を感じた『日本の強い精神力』が、二度と蘇らないように教育は作り変えられました…。

それだけではありません。戦争を経験した祖父や祖母から話を聞ける機会は、確実に無くなりつつあります。戦争を経験した方であっても、凄まじいい記憶を語ることは憚はばられることもあります。こうして、日本では日米大戦で、「日本を守ろうと必死で戦った人たち」がいたことを知る機会が失われつつあります。

一方、アメリカでは、このことをしっかりと教えているにもかかわらず、小説、映画、マンガ、メディアを通して、神風特攻隊が美化されるような描かれ方があります。同時に、それを危惧する声もあります。でも、そもそも私たちは真実の歴史を知ることすらないまま、生まれ育ってきました。良いか悪いかを判断する以前に、真実の歴史を知ることなしには、考えることすらできないでしょう。

先人たちが凄まじい精神力で守ろうとした日本、文字通り、命を懸けて守ろうとした日本、先人たちが築き上げた現代の日本。その基盤の上で、私たちは豊かさを享受しています。でも、もしかしたら私たちは、先人たちのことを気づかないうちに忘れ去ろうとしているのかもしれません。あるいは、見捨てているのかもしれません。一人の日本人として、これを知らずに生きていて本当に良いのでしょうか?

今まで語られてこなかった戦争の裏には、何が隠されていたのか。私たちの先祖が、どんな思いで苦難苦境を乗り越え、日本という国を守ってくれたのか。本当の戦争について、裏も表も知ってもらいたい。。。

・戦後の日本では、過剰な美談で語り継がれることもあれば、逆に「無駄死に」と言い捨てる人もいるなど、様々な意見がありました。しかし、世界ではその見方が異なります。「特攻隊は世界の戦史に見られない愛国心の現れであった。今後数千年にわたって語り継がれるに違いない」これはビルマの初代首相バー・モウが語った言葉です。他にも、フランスの初代文化大臣アンドレ・マルローは次のように語っています。

「日本は敗れはしたが、その代わり替え難いものを得た。それは、世界のどんな国にも真似のできない特別攻撃隊である。代償を求めない純粋な行為、そこにこそ真の偉大さがある」。。。このように、東南アジアやヨーロッパから賛辞を受けている神風特攻隊でもあるのですが、このような賛辞は、現代の日本では語ること自体がタブーとされる有り様です。

・「あの悠々たる白雲の間を越えて、坦々たる気持ちで私は出撃して征きます。生と死と何れの考えも浮かびません。人は一度は死するもの、悠久の大義に生きる栄光の日は今を残してありません。父母上様もこの私の為に喜んで下さい」これは特攻隊員の“想いが詰まった遺書”の一部分です。

・「あの飛行機に女が乗っているぞ!」この声が空に届くことはなかった。

1945年8月19日。
妻を、恋人を乗せて、満州から飛び立った特攻兵たちがいました。「まさか!」と耳を疑いそうになりますが、これは紛れもない史実です。日本兵の男は、“在満邦人が逃亡する時間を稼ぎ、ソ連軍の進撃を少しでも食い止めるため”。
そして妻は、ソ連兵による強姦被害が出る状況に、“辱めを受けるくらいなら、特攻して果てたい”という理由で夫への同乗を願い出ました。

太平洋戦争末期、航空特攻作戦によって散った命…。その数3903人。それほどの犠牲者を出した特攻隊ですが、戦後76年経った今でも、その真相はあまり知られていません。。。世界で類を見ない戦術、神風特攻。


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 旧日本海軍の「神風特別攻撃隊」が初めての攻撃を実行してから、10月25日で70年を迎える。特攻隊戦没者慰霊顕彰会によると、特攻による戦死者数は6418人。彼らは何を思い、その後の日本人に何を託したのか-? 元特攻隊員の言葉などから英霊の思いに迫る。(編集委員 宮本雅史)

 毎年10月25日、愛媛県西条市の楢本神社で、「神風特攻敷島隊並びに愛媛県特攻戦没者追悼式典」が開かれ、今年で40回を数える。

 敷島隊は昭和19年10月20日、フィリピンのマバラカット飛行場で、海軍兵学校70期の関行男大尉=当時(23)、戦死後に中佐=を指揮官に5人で編成。25日、レイテ沖海戦で敵空母群に突撃し、護衛空母セント・ローを撃沈するなど戦果を挙げた。

 当時の新聞は朝刊1面で「身を捨てて国を救わんとする皇軍の精粋である」と報じた。

 関大尉は命令を受けた際「ぜひ、私にやらせてください」と承諾したとされるが、報道班員だった同盟通信の小野田政特派員は、出撃を控えた関大尉とのやり取りを回想録「神風特攻隊出撃の日」の中でこう記す。

 「関は腹立たしげにこういった。『報道班員、日本もおしまいだよ。ぼくのような優秀なパイロットを殺すなんて』『ぼくは最愛のKAのために行くんだ。命令とあらば止むをえない。ぼくは彼女を護るために死ぬんだ。最愛の者のために死ぬ。どうだすばらしいだろう!』」

 関大尉は当時、新婚5カ月。KAは海軍用語で妻を指し、その言葉からは苦渋に満ちた決断が伝わる。

×   ×

 特攻隊員が愛する者を守り、国の行く末を案じる気持ちが行動の芯であったのはまぎれもない事実だが、美辞麗句で片付ける前に、生への執着を断ち切るまでの想像を絶する努力と決断があったことは想像に難くない。

 ところが、軍神とあがめられた特攻隊員に対する賛美は敗戦とともに影を潜め、遺族を取り巻く環境も一変した。

 関大尉の母、サカエさんも、「軍神の母」からいつしか「戦争協力者の母」という批判を浴びせられる。

 訪れる人もなく、衣類を闇米に代え、草餅を作って売り歩いた。晩年は西条市の小学校に住み込みで働き、昭和28年11月、還暦を前に亡くなる。

 意識が混濁する床で、「行男の墓を建ててください」とつぶやいて息を引きとったという。

 サカエさんが亡くなった際、戦時中は「軍神の母」につきまとっていた新聞記者が、「そんなもの記事になりますか。軍神がなんですか」と吐き捨てるように言ったという。


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< 妻と飛んだ特攻兵 神州不滅特別飛行攻撃隊 > ・・・ こちらは、ねずさんのブログよりの転載です。

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戦争も終わったはずの昭和20(1945)年8月19日、ご夫婦で陸軍の練習機に乗って特攻を行った方がいました。
夫は飛行服、奥さんは白いワンピース姿だったそうです。
場所は満州北部で、特攻した先はソ連軍の戦車部隊でした。
一緒に11機の飛行機が飛び立っています。

この出撃隊は、「神州不滅特別飛行攻撃隊」といいます。
この実話が、8月に堀北真希さん、成宮寛貴さん主演でテレビ朝日の戦後70年ドラマスペシャル「妻と飛んだ特攻兵」として映像化されるのだそうです。

このお話は、同名で豊田正義著『妻と飛んだ特攻兵 8・19満州、最後の特攻』(角川文庫)でノンフィクションが出ています。
今日は、この実話をすこしご紹介してみたいと思います。

この史実については、東京の世田谷観音に、石碑が立っています。
神州不滅特別飛行攻撃隊

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碑文には、こう書いてあります。
===========
【碑文】
第二次世界大戦も昭和20年8月15日
祖国の敗戦という結末で
終末を遂げたのであるが、
終戦後の八月十九日午後二時、
当時満州派遣第六七五部隊に所属した
今田均少尉以下十名の青年将校が、

国敗れて山河なし
生きてかひなき生命なら
死して護国の鬼たらむと
又大切な武器である飛行機を
ソ連軍に引渡すのを潔しとせず、

谷藤少尉の如きは
結婚間もない新妻を後に乗せて、

前日に二宮准尉の偵察した
赤峰付近に進駐し来る
ソ連戦車群に向けて、
大虎山飛行場を発進
全機戦車群に体当り
全員自爆を遂げたもので、
その自己犠牲の精神こそ
崇高にして永遠なるものなり

此処に此の壮挙を顕彰する為
記念碑を建立し、
英霊の御霊よ永久に安かれと祈るものなり
==========

碑文にある谷藤徹夫少尉は、まさに新婚ホヤホヤでした。
相思相愛、傍目に見ていても思わず微笑ましくなってしまうほど、お二人はお幸せな結婚生活を送っていたそうです。
そのお二人が、死出の旅に発たれた。
お二人の胸中はいかばかりだったでしょう。

******

谷藤徹夫少尉は、大正12(1923)年、青森県下北郡の田名部の生まれです。
田名部というのは、現・むつ市です。恐山の麓(ふもと)あたりです。

谷藤少尉の父親は、当時劇場や映画館、レコード店や蓄音機を販売するお店などを経営していました。
少尉はその家の長男でした。

幼いころの谷藤少尉は、勉強も運動も抜群の成績をあげるのだけれど、身長が低く華奢な体つきだったそうです。徹夫氏の姪(めい)にあたる小原真知子さんによると、
「徹夫おじさんが子供の頃、祭りのときに母の浴衣を着て、水色の腰巻きをつけると、まるで女の子のようにきれいだった」といいます。

勉強ができて、成績はいつも学年トップでした。
物静かで礼儀正しく、華奢で小柄な体型のため、当時必修科目だった柔道や剣道では体の大きなわんぱく少年たちに歯がたたなかったけれど、運動神経抜群の少女のように美しい顔立ちの少年でした。

小原さんによると、
「私の母は、徹夫おじさんの妹にあたるんですが、よく『兄さんのそばに座って、することを見ているだけで、温かくて優しい気持ちになれた』と言っていましたね。
徹夫おじさんは、窓際に座ってクラシックを聴くのが好きだった」

谷藤少尉は、昭和17(1942)年、中央大学の法科を卒業すると、青森に帰省して徴兵検査を受けました。
結果は不合格です。
正確には第二種合格といいます。
第二種というのは、予備役として合格、つまり現役兵士として徴兵には不合格ということです。
理由は、体が小さかったからです。

これは彼にとってたいへんなショックでした。
当時は、できの良い秀才は、祖国を守るため、愛する家族を守るために、自ら率先して兵役に就くというのがあたりまえだった時代です。

やむなく谷藤氏は、日本ビクター蓄音機(現:日本ビクター)に就職しました。
そして営業マンとして、毎日外を飛び回っていたとき、ある夏の暑い日、たまたま街で一枚のポスターを見つけました。昭和18年7月のことでした。

ポスターには、「学鷲募集」と書かれていました。
陸軍が航空戦力の増強を図るため、早急にパイロットの育成をしようと、大卒者を対象に「特別操縦見習士官(通称:特操)」の制度を創設したのです。

特操ならば、1年でパイロットになれます。
思わぬチャンスが、谷藤さんに到来しました。
募集枠は、第一期、第二期あわせて3000名です。
何と6倍もの大卒者が受験に集まった狭き門ですが、そこで谷藤さんは、青森県でただひとりの合格者となりました。

こうして谷藤さんは、昭和18(1943)年10月晴れて福岡にある「大刀洗陸軍飛行学校」に入学します。
同期は240名です。

この「大刀洗陸軍飛行学校」の訓練は、とても厳しいものでした。
なにせ、通常なら数年かけて仕込まれる飛行機の操縦や、軍事法規、国際法、航空力学などの知識を、たった一年で全部仕込まれるのです。

訓練学校の生徒たちは、入学時点で下士官のトップである曹長の肩書きをもらえます。
当時、曹長だった谷藤さんが母親に書いた手紙が残っています。

 ****
前略 お母さん、徹夫が立派な手柄をたてるまでは、何が何でも病気にならないでください。
自分は幸いに飛行機乗りに適しているらしく、数回の飛行で自信ができました。
将校は軍の根幹であることを自覚し、元気にやっています。
機上から遠く田名部の空を望見しています。
 ***
前略 いよいよ本格的な飛行演習がはじまっています。
願わくば一日も早く敵ボーイングに見参せんと念じ、自分の年齢が自分の撃墜責任数と思い、実現を誓っています。
 ****

体の小さな谷藤さんは、それだけで戦闘機乗りとしては有利です。
彼は懸命に努力し、パイロットとしての技能を磨きました。
谷藤さんが入隊して一ヶ月ほど経ったときの、母からの手紙です。

 *****
お前からの便りによると、いよいよ単独飛行の操縦を開始するとありますが、その訓練こそ魂を打ち込んだ訓練でなければいけません。
いまの母は、一刻も早く、お前が立派な学鷲として大空へ進発し、真珠湾以上の偉勲をたててくださるよう、ひたすら神に祈っています。

 はばたきて
 大空翔る姿をば
 みるまで母の 心もとなき

この歌はつたなきなれど、母の真心を思い下されますよう。
 *****

母の手紙には、偉勲をたててくれるよう祈っていますと書いてあります。
けれど、文字の表面だけ読んではいけません。

当時、飛行訓練生というのは、非常な危険を伴うものだったのです。
軍隊に入っても「飛行兵だけにはなってほしくない」というのが、世の多くの親の率直な心だったくらいです。
なぜかというと、今のように、航空シミュレーターがあった時代ではなく、訓練中の事故死は非常に多かったし、訓練校を卒業して戦地に赴けば、まず生きて帰って来れなかったのです。

私の中学時代の恩師は、このときの飛行兵の生き残りだった人です。
訓練中の急降下訓練でそのまま地面に激突すると、遺体は刺し身の切り身のような破片しか残らないのだそうです。
それを訓練生みんなで涙をこらえながら箸で拾ったことを、当時みんなに話してくださいました。
それくらい危険な訓練だったのです。

航空兵の親だって、世間の親となんら変りありません。
ましてとびきり優秀な若者と育ってくれた我が子です。
絶対に死んでほしくなんかないというのが親心です。
けれど、その心配の心をあえて押さえて、「しっかりやってください」と手紙に書いています。
そして訓練生たちも、そんな親心を、ちゃんと理解できるしっかりした子、そういうことのわかる優秀な子供たちだったのです。

だから母の手紙を、額面通りに読んではいけません。
心配で心配で夜も眠れないくらい我が子が心配で、愛(いと)しくて不安で、だから母の手紙には、「心もとなき」と書かれているのです。

そうした、死と隣り合わせの厳しい訓練の毎日にも、谷藤曹長に休暇の日はありました。
彼は、その短い休暇を利用し、福岡の親戚を尋ねています。
実は、谷藤さんの母は九州の福岡の出身です。

親戚の家を尋ねた谷藤さんは、そこで、ひとりの女性を紹介されました。
それが、二つ年上の朝子さんでした。

二人は互いに一目惚れだったそうです。
そしてお二人は結ばれました。

お見合いであろうがなかろうが、こういう「一目会ったその日から」ということは、やはり「ある」と思います。
生命の紐帯なのか前世の因縁か、そこまではわかりません。
けれど世の中には、初めて会ったのに、なぜか懐かしい人とか、こみあげるものを感じる相手といのは、たしかにいます。お二人もそうだったのではないでしょうか。

片や、紅顔の美少年で、成績優秀、スポーツ万能でクラシック音楽が大好きで、性格もとても温か味のある当時のエリート中のエリートの航空訓練生です。
そして朝子さんはとても美人でチャーミング、性格も温厚で明るく、とても働き者の女性です。

お二人は、何度か逢瀬を重ね、結婚を約束しました。

けれど谷藤曹長は、卒業すれば戦地に行きます。
卒業して任地に赴いたら、まず還らない。

だからこそ、優秀なパイロットの種を貰い受ける。
優秀な子を残す。残したい。そうした本能というか要求というか、これは言葉にできないものです。

お二人のご両親も、結婚に賛成してくれましたが、朝子さんの姉は、ちょっと心配だったそうです。
お姉さんの夫は、傷痍軍人です。旦那さんは大怪我をして、もはや普通に働けない体になってしまっていたのです。それでも、恩給はもらえるし、なにより「生きて還って」きてくれています。

けれど、パイロットは、怪我をして帰って来ることはないのです。
「私の夫は、それでも生きて帰ってくれたからまだいいわ。けれど軍人の妻になるということは、いつ未亡人になるかわからない身の上になるのです。朝子は覚悟の上?」と、お姉さんは妹に、そう迫ったそうです。

このとき朝子さんは、
「いつかは、別れなければならないときがくるでしょう。覚悟は、しています」と答えたそうです。
たとえ二度と会えない人になってしまうとしても、どうしてもこの男性と一緒になりたい。
真剣にそう思えるほど、朝子さんはすでに谷藤さんを愛していたのです。

そしてお二人は昭和19年に、晴れてご結婚されます。
もっとも夫の谷藤さんは、その時点ではまだ訓練生です。
ですから官舎を出て新居を構えるというわけにはいきません。
夫は、休日だけ妻の実家に帰って、お二人だけの時間をすごしました。そういう生活が続きました。

そして10月、谷藤さんは、訓練校を卒業し、晴れて陸軍少尉に任官しました。
「これでいよいよ戦地に行ける。」
そう思っていた谷藤少尉に与えられた任務は、なんと、満州で航空教官として少年飛行兵に基礎操縦法を教える、というものでした。
少年飛行兵というのは、戦線押し迫って来た中で、特攻隊員として知覧から飛び立つパイロットたちです。
しかも場所は、当時、この時点では戦場にさえなっていない、平和な満州です。

これは、驚くべきことです。
そもそも谷藤少尉が卒業した訓練校は、「特別操縦見習士官(通称:特操)」であり、パイロットの「即戦力」を養成するための学校です。
ですから卒業生は、全員、そのまま南方の激戦地に送られていたのです。

ところが谷藤徹夫少尉に届いた命令は、その時点では戦闘地域が存在しない満州です。
しかも実戦経験もなく、訓練を終えたばかりで「教官」だという。
このことは、当時の日本陸軍を考える上で、とても重要なことです。
谷藤少尉は、長男で新婚です。

日本陸軍は、そうした谷藤少尉の身上をよく把握し配慮し、人事を行っていたのです。
もっといえば、谷藤少尉を訓練した教官は、そういう谷藤少尉の身上、いやそれだけではなく、他の生徒たち全員の身の上をきちんと把握し、それを陸軍省の人事局にまでしっかりと上申し、その配属を受けて陸軍省は配属を決めていた、ということです。

昨今では、会社勤めをしていても、単に社内の業績だけで人を判断し、それをもって能力給制度だなどと自慢げに制度化している会社が多くなりました。
会社には、私生活や、個人の事情は関係ない、というわけです。
けれど、人は会社生活だけではなく、その人それぞれの家庭がある。私生活があるのです。
そういうものをきちんと把握して行うのが本来の人事というものです。
すくなくとも、私はそのように思います。

昨今は、平等主義なのだそうです。
一生懸命人の倍働く人も、文句ばかり言って人の半分しか仕事をしない人も、給料は平等だ、などと言われます。
けれど、それは人事考課を行う上司にとって楽なだけで、非常に狡猾で小ずるい人事考課です。
一生懸命頑張る人と、そうでない人には、ちゃんと差をつける。
それが「公平」というものです。

さらにいえば、谷藤少尉は、人柄や成績などから判断して、南方戦線でただ死なせるにはあまりに惜しい男だ、ということです。
だからこそ上官(教官)は、彼の私的事情を考慮し、そのまた上の陸軍の人事にまでかけあって根回しし、話を通して、彼の命を守ろうとした。
そうしたことが日本陸軍ではあたりまえだった。
そして、そういう配慮をしてくれる軍の上層部に、兵士たちみんながとても感謝し、信頼していたというのが、日本陸軍だったのです。

さて、いよいよ谷藤大尉が満州の任地に向かうために旅立つ日がやってきました。
その日、下関から釜山に向かう連絡船に乗る谷藤少尉を見送りに来た朝子さんに、少尉は次のように言ったそうです。
「満州は平穏な状況だと聞いている。将校は家族を呼んで、官舎で一緒に暮らせるそうだ。必ずお前を呼ぶから、そのときまで田名部で待っていてくれ」

妻の朝子さんが、黙ってうなづいたのか、「ハイ」と返事をしたのか、それはお二人の記憶の中でしかわかりません。
けれど朝子さんは、夫のいいつけをちゃんと守って、故郷の福岡から、青森にある夫の実家に向かいました。

もし夫のいる満州に呼んでもらえるなら、出発は下関から釜山に渡り、そこから鉄道で満州に向かうのですから、博多の実家にいたほうが、楽です。
けれど、お嫁に行った以上、朝子さんは谷藤家の女性です。
だから夫のいない青森の夫の実家で、夫に呼ばれる日を待つことにしたのです。
結婚したら嫁いだ先の家の人。
それが当時の常識だったのです。

その青森の実家では、長男が軍務で家を出てしまっています。
それも危険な航空兵です。
心配で心配で、火が消えたようになっていた青森の実家に、兄嫁の朝子さんがやってきたのです。

青森にやってきた朝子さんがどのような女性だったのか、義弟の勝男さんが次のように述べています。
「初雪を見ると、朝子さんを思い出すんですよ。九州育ちの朝子さんにとって、雪国の生活は何もかも新鮮だったのでしょうね。初雪を見た朝子さんは、『雪を見るのは初めて』と、飛び上がらんばかりに喜んで、屋根に上がったかと思うと、雪をたくさん詰めたバケツを抱えて戻って来て、お皿に雪を盛って砂糖をかけ、『美味しいわ』と言って食べてました。」

明るくて朗らかで、笑顔がたえなくて、働き者で美人の若い奥さんです。
家の中の空気も、いっぺんにほがらかなものになった。そんな様子が伺えます。
谷藤家の実家の誰もが、朝子さんをとっても大好きになりました。

昭和20(1945)年7月上旬、青森の実家に、谷藤少尉から手紙が届きました。
「官舎が空いたから、一緒に暮らせる。満州に来てくれ」
待ち焦がれた便りです。
朝子さんの嬉しそうな顔が、まるで目に浮かぶようです。

朝子さんは、いったん故郷の唐津に戻り、下関から釜山港行きの船に乗りました。
このとき、朝子さんのお母さんが、港まで見送りにきました。
お母さんは朝子さんに、
「徹夫さんの勤務にしっかりとついて行くんですよ。一生懸命、内助の功をつくしなさい」と言いました。
そう言いながら、可愛い我が娘の身が案じられてならない。

一人旅で、満鉄を乗り継いだ朝子さんは、やっと大虎山駅にだどり着きました。
その朝子さんを、夫の谷藤少尉が出迎えました。
夫は、ようやく板についてきた将校服を着ていました。
谷藤少尉にとって、洗い立ての将校服は、愛する妻に最大限の敬意を払った服装です。

お二人は、まる9ヶ月ぶりに再開しました。
どんなになつかしかったことでしょう。
どんなに嬉しかったことでしょう。

お二人は、官舎で二人だけの新婚生活を始めました。
当時の様子について、お二人の隣の官舎で暮らしていた第五練習飛行隊長の箕輪三郎中尉の奥さんの証言があります。
「谷藤さんが出て行くとき、いつも奥さんが『いってらっしゃい』と手を振って投げキッスをするんですよ。
うちの子供がそれを見て、
『かあちゃん、谷藤のおばちゃんがこういうふうにしたけど、あれって何なの?』って尋ねるから、
『いってらっしゃいの合図よ』って答えましてね、
それを聞いたうちの子は、お父さんがでかけるときに、真似して投げキッスをするようになったものでした」

お二人の幸せな新婚生活が目に浮かぶようです。
これが、終戦も押し迫った、昭和20(1945)年7月のことでした。

谷藤少尉が勤務していた北満州の大虎山の日本陸軍第五練習飛行隊は、知覧から飛び立つ特攻隊員を育てる訓練隊でした。
陸軍の特攻隊は、満州各地でも続々と編成され、満州各地にある訓練隊で訓練を積んだあと、鹿児島にある知覧飛行場などから沖縄の米艦隊に向けて出発していました。

訓練は、もっぱら急降下を繰り返す特攻を意識した操縦法でした。
当時の満州には、こうした特攻兵養成のための航空練習隊が、数十カ所ありました。
そして大虎山飛行場には、11機の九七式練習機がありました。

大虎山飛行場での谷藤少尉の様子について、当時17歳の訓練生だった前田多門さんが、次のように書いています。
「温厚で教え方も丁寧でやさしかったです。日本国内の飛行訓練では、下士官上がりの教官からしょっちゅう殴られましたが、大虎山では一度も殴られたことはなかった。たしかに操縦はうまい教官だとはいえませんが、人格は立派な方でした」

谷藤少尉の上官だった前出の箕輪中尉の妻、哲(てつ)さん(96歳)は、
「谷藤さんは主人の副官役をされていたのですが、よく主人は『谷藤には教えられることが多い』と言っていました。少年兵がミスや規律を犯したとき、主人はカッとなって声を上げたようですが、あとから谷藤さんに、『ああいうときは人前ですぐ叱っちゃだめですよ。こっそり部屋に呼んでゆっくり諭さないと』と言われ、意見を素直に聞き入れたようです」

そんな、やさしさを見せる谷藤教官ですが、彼が育てる訓練生たちは、ここを卒業したら特攻隊員です。
生きて還ることはありません。
彼は「からなず後から行く」と、生徒全員に言っていたそうです。
けれど、彼の意に反して、谷藤少尉に特攻出撃の命令が下ることはありませんでした。

そして、昭和20(1945)年8月9日、ソ連が突然日ソ不可侵条約を破って、満州に侵攻してきました。
ソ連軍は、行く先々で虐殺、強姦、略奪を繰り返しました。

大虎山の第五練習飛行隊からは、8月18日、谷藤少尉の同僚である二宮准尉が、大虎山から300kmほど離れた赤峰(せきほう)で、ソ連軍の行状を偵察飛行して確認しています。
その報告は、
「ウサギのように逃げ回る邦人を、露助が機関銃で撃ち殺し、戦車で轢き殺していました」というものでした。

そしてその日、関東軍総司令部から第五練習飛行隊に、「ソ連軍に対して武装解除し、飛行機は全機、錦県の航空基地に空輸し、ソ連軍に引き渡すように」との命令が下りました。

その日、飛行場の近く似合った伊予屋という小料理屋に、飛行隊の有志が集まりました。
少年兵の教官を務めていた少尉やあ准尉の面々です。

「戦わずにおめおめと降伏なんぞできるか。俺たちは露助と戦うぞ」と気炎をあげる彼らには、けれど空からソ連軍の戦車部隊をやっつけるための爆弾等の装備がありません。

唯一の戦法は、空からソ連軍の戦車に体当たり突撃です。
爆弾を搭載しない飛行機で体当たりしても、もちろんたいした損害は与えられません。
けれど、それでもソ連軍が特攻を受けるのは初めてのことです。
彼らに相当な心理的ダメージを与えることはできるはずだ。
そうして彼らの進撃を遅らせれば、日本人居留民が、たとえひとりでも余計に帰還できる時間を稼げるに違いない。
彼らの心は決しました。

彼らは、自分たちの特攻隊を「神州不滅特別攻撃隊」と命名しました。
自分たち亡き後も、祖国が未来永劫、栄えてもらいたい。
そういう気持ちから付けた名前です。

一夜明けて、19日の早朝、11名の飛行機乗り達は、将校集会所に集まり、最後の作戦会議をしました。

たまたまそこに箕輪隊長が入ってきました。
隊長は、黒板に書かれた文字や図、ただならぬ気配から、彼らが軍の上層部の命令に従わず、ソ連軍に特攻するつもりであることに気がつきました。
そして若い教官達は、箕輪中尉に、作戦を打ち明けました。

箕輪中尉は、「それなら俺が指揮して行く」と言いました。
それを諌めたのが谷藤少尉でした。
「私たち以外にも、この航空隊には隊員がいるのです。隊長には、大勢の部下達をまとめれいただけねば困ります。見て見ぬ振りをしてください」
箕輪中尉は、「成功を祈る!」と言い残して、集会所を出て行きました。

いよいよ出発のときがやってきました。
11名の教官達は、箕輪隊長の前に整列しました。

隊長は言いました。
「これが諸君らの最後の任務である。残った兵士は陸路、錦県に向かう。向こうで合流する」
もちろん、箕輪隊長は、彼らが錦県に行かないことを知っています。
知っていて、公式にはこう言わざるを得なかった箕輪隊長は、そう激励しながら、嗚咽をこらえることができなかったそうです。

11機の飛行機に、隊員たちが乗り込みました。
そのとき、見送りの人達の中から、谷藤少尉の飛行機に、白いワンピース姿の朝子夫人が現れ、谷藤少尉の飛行機の少尉の後ろの席に乗り込みました。

大蔵巌少尉の飛行機には、前夜、みんなで打ち合わせした伊予屋の女中さんだったスミ子さんが、やはり白のワンピース姿で乗り込みました。

飛行機のエンジンが始動しました。
離陸の爆音が響き渡りました。
一番機は、谷藤少尉です。
そして次々と機体が空に浮かびました。

11機は飛行場の上で旋回し、隊列を組みました。
そのとき、伴元和少尉の飛行機が、エンジントラブルで飛行場のはずれに墜落してしまいました。
残る10機は、青く澄み切った大空を、錦県のある西ではなく、赤峰のある北の空へと消えて行きました。

新婚だった谷藤少尉が、どのような経緯で妻の朝子さんを特攻機に乗せることになったのかは、いまとなっては謎です。
けれどひとついえることは、一緒に飛び立った仲間たちは、全員、朝子さんが一緒に逝くことを知っていたということです。

おそらくは、前日、伊予屋で打ち合わせをしたときに、谷藤少尉の口から、「妻も行く」という言葉が発せられ、みんなもそれを理解したのではないか、と思うのです。
であるとすれば、朝子さんと谷藤少尉の中で一緒に死のうと交わされた言葉は、その前であったはずです。

おそらく、ただならぬ表情で帰宅した夫の様子に、朝子さんは夫が死ぬつもりであることをするどく感じ取ったに違いありません。
そして、どうしても一緒に逝くと言い張った。
二人の間には、喧嘩もあったかもしれません。
けれど、朝子さんは、どうしても、と言って聞かなかったのでしょう。

そもそも、女性を特攻機に乗せるなど、前代未聞です。
けれど朝子さんを置いて行けば、11機が飛び立つことによって、大虎山周辺は、守備兵力が完全に失われます。
そこにソ連兵が来たら、朝子さんはどうなるかわからない。
「置いていくというなら、私は先に死にます」
朝子さんは、そう言ったのかもしれません。

実際、出発の日である19日の早朝、一緒に散って行かれた岩佐少尉は、その日、許嫁とその母を失っています。
岩佐少尉は、出発の日の朝、許嫁の母娘に、別れの挨拶のために訪れたのです。
すると、許嫁は、母親と一緒に白装束を来て、いまから自刃して果てるという。
そして二人の母娘は、岩佐少尉の介錯で、見事に自決しています。

朝子さんは、知っていたのです。
夫の谷藤徹夫は、同級生の二瓶少尉が、前年の12月、レイテで特攻隊として散って行ったことを、です。
そして夫が、死に場所を求めていることにも気付いていたのでしょう。
ソ連軍がせめて来たとき、そしてあらん限りの暴行をしているという事実に接した朝子さんは、そのときにはなにがなんでも愛する夫と一緒に空の旅に出ようと心に決めていたに違いありません。

伊予屋に勤務していたスミ子さんは、名前がスミ子ということ以外、いまではまったく何もわかりません。
けれど、彼女は、前日の打ち合わせのときに、谷藤少尉が奥さんを連れて行くというのなら、私も一緒に連れていってと頼み込みました。
結局、大倉少尉が、スミ子さんを乗せました。

こうして二人の女性は、それぞれの愛する男性とともに、一緒に飛行機に乗り込み、満州の空へと飛去りました。

11機が飛び立ったあと、小出宏元少尉は、今田達夫少尉から受け取った図嚢をそっと開けてみました。
そこには一通の封筒と、30cmほどの短刀が納められていました。
そして封筒の中には、和紙に墨書きされた檄文がはいっていました。

そこには次のように書いてありました。

******
戦い得ずして戦わざる空の勇士11名
生きて捕虜の汚辱を受けるのを忍び難し
ここに神州不滅特別飛行攻撃隊を編成し
昭和維新のさきがけたらんとす
******

大虎山を飛び立った10機は、一路、赤峰のソ連軍戦車部隊を目指しました。
けれど隊員のひとりである宮川次郎少尉の飛行機は、途中でエンジントラブルに遭って墜落し、地元民に救助され、錦県の本部に帰還後、ソ連によってシベリアに抑留されています。

残る9機が、その後どうなったのかは、杳としてつかめません。
私たちとしては、たとえ一機でもいい、見事ソ連軍戦車を粉砕していて欲しいと願わずにいられません。


この物語には、後日談があります。
出撃の際に、飛行場で墜落してしまった伴少尉、途中で不時着した宮川少尉、第五練習航空隊の隊長であった箕輪中尉など、生き残った関係者は、その後、全員、ソ連軍によって連れ去られ、シベリアに抑留されました。
そして伴少尉は、シベリアの収容所内で、若い命を落とされています。

彼らが抑留されている間、日本国内では、最後の特攻を敢行した11名については、軍の正式命令に基づく特攻ではなく、自らの判断による特攻だったということで、戦後の日本政府による正式な調査も行われず、また靖国神社への合祀も行われませんでした。

シベリアの抑留生活から帰国した箕輪元中尉らは、このことを知り、粘り強く厚生省と折衝を続け、やっっと昭和32年になって、彼ら10名は戦没者として認められ、靖国神社もかれらを合祀を実現しています。

そして箕輪元中尉らは、さらに募金を集め、昭和42(1962)年5月に、東京世田谷区の世田谷観音内に、神州不滅特別攻撃隊の顕彰碑を建立しました。
そしてその碑文に、「谷藤少尉の如きは、結婚間もない新妻朝子夫人を後ろに乗せて」の一文が刻まれたのです。

その顕彰碑が建立されたころ、朝子さんは、この時点で戸籍上はまだ生きている人として登録されていました。
朝子さんの母親である中島トヨノさんは、九州の唐津で、愛する娘さんの帰りを、このときもずっと待っていたのです。
事情を知る人が、朝子さんは徹夫さんと一緒に特攻機で旅立たれたのですよ、と話しても、トヨノさんは、娘は生きていると、絶対に信じようとしなかったそうです。

昭和43(1968)年箕輪元中尉が、朝子さんの特攻出撃の日のことを詳しくしたためた死亡証明書をトヨノさんに手渡したとき、トヨノさんは、泣き崩れたそうです。
「朝子が(釜山に渡る)連絡船に乗り込む時、『徹夫さんの勤務に喜んでついていくんですよ。一生懸命内助の功を尽くしなさい』と言って別れたんです。まさか、特攻にまで付いて行ったなんて・・・」

出撃されたときの白のワンピースは、戦時下でのせめてもの死出の旅立ちの衣装だったのかもしれません。

朝子さんは、ご主人のことを本当に愛していらしたのですね。
どこまでも一緒にいたい。ずっと一緒にいたい。たとえ命がなくなっても、魂は夫とともにありたい。
昔は、肉体と魂は別々なものと考えられていたのです。
死ねば肉体は滅び、命はなくなる。
けれど肉体に宿っている魂は永遠です。また輪廻転生するか、あるいは神になり、あるいは地に落ちる。そう思われていました。
そんな魂は、次に転生するときには、二つの魂が一緒になって一つの肉体に宿ったりすることもあるのだそうです。
お二人の命はなくなりましたけれど、お二人の魂は、きっと平和な世の中に生まれ変わって幸せにお暮らしになられたのではないでしょうか。

スミ子さんも、隊員の方々が大好きだったのだろうと思います。
日頃隊員の方々と接していて、この人達が大好きになったのでしょう。
宿屋の女給とお客さんという立場を越えて、彼らと彼女には男と女の情が通ったのだと思います。
だから一緒に死のうと思った。

隊員たちは、まさに神州不滅を信じた特別飛行攻撃隊の荒鷲たちでした。
彼らは何故死んだのか。
祖国の不滅を信じたからということができるのではないでしょうか。
魂は、ほんの数十年の人生で滅びてなくなってしまうような、ちっぽけなものではありません。
彼らの魂は、永遠に神州の守護神となって生き続ける。

戦争が終わった後、生き残る人々もいます。
生きて、神州をもう一度再興する人々がいます。
その人々を信じたから、彼らは散っていったのだと思います。
そしてその「信じられ、託された」人々というのは、他でもない、いまを生きている私達なのではないでしょうか。



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「神風特別攻撃隊」の本当の戦果をご存じか?(栗原 俊雄) | 現代ビジネス | 講談社(3/3)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/50088?page=3

「大西が特攻々撃を始めたので、この特攻々撃の創始者だということになっておる。それは大西の隊で始めたのだから、大西がそれをやらしたことには間違いないのだが、決して大西が一人で発案して、それを全部強制したのではない」
 
特攻は、大西一人の考えで始まったものではなかった。たとえば軍令部第二部部長の黒島亀人である。同部は兵器を研究開発する部署であった。奇抜な言動から「仙人参謀」と呼ばれた黒島は、戦争中盤から特攻の必要性を海軍中央に訴えていた。

黒島以外にも、海軍幹部たちが特攻を構想・準備していた証拠はある(拙著『特攻 戦争と日本人』)。しかし戦後、特攻を推進した者たちは、自分が果たしたであろう役割を語らなかった。
 
大西は敗戦が決定的となった1945年8月、自殺した。若い特攻隊員を送り出した将軍のなかには「自分も後から続く」などと「約束」しながら、敗戦となるとそれを破って生き延びた者もいる。そして大西以外の特攻推進者たちは、「死人に口なし」とばかり、大西に責任を押しつけた。
 
巨大組織である海軍には様々な部署があったが、メインストリームは砲術つまり大砲の専門家であり、あるいは雷撃すなわち魚雷の専門家であった。そうした中、大西の専門は創設間もない航空であった。自分が育てた航空部隊への思い入れはひときわ強く、部下思いでもあった。

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( 講座のレビュー )

・西鋭夫の歴史講座「幕末・明治維新・日清日露戦争」, 2020/3/14
By 阿部 康二
西先生の講義は、裏付けを紹介しながら話をして頂けるので本当に面白いし、歴史に興味を持たせてくれます。
この歴史の裏・背景にはこんなことがあったのか、それを知らないで歴史のうわべだけを覚えてきたのか言う思いが、至るところにありました。
戊辰戦争・征韓論・台湾出兵の項では、国内の武士の反乱が続いて政府が、外に目を向けさせるために戦争をしたがったこと。
三国干渉と日英戦争では、英国の国益から日英同盟がされたこと等々
小村寿太郎の失策というのも初めて聞きました。帰国後散々な非難を受けたこと、なんでもっと交渉が出来なかったのかという点だけが言われていたように思いますが、知りませんでした。ロシアの交渉上手は聞いたことがありますが、最近の北方領土の交渉を見ていると、上手く交渉がいくような印象を与えてどんでん返しをされているような感じを受けます。
“坂の上の雲”のような歴史小説を読んで感動したことも確かですが、西先生がお話になる日本人の情緒を優先させるということには、本当にそうだと思います。

・感想, 2020/3/2
By hs
高校時代に日本史と世界史両方選択科目として学び、更に司馬遼太郎氏の著作を全て読了しており、龍馬がゆく、坂の上の雲、花神、等の明治時代の著作を読んでおり、そうした基盤がありますので、今回の講座は興味深く受講させて頂きました。
学校の歴史勉強、司馬史観では、まだ歴史の本質に届いておらず、歴史から学ぶためには、西先生のレベルまで落とし込んだ学習が必要に感じました。
今の日本社会に、私レベルの歴史認識を認識を持つ人材は多くないと思いますので、どのように今の日本社会に還元していくか、考えて、実践に移して行きたいと思います。

・西鋭夫の歴史講座「幕末・明治維新・日清日露戦争」を見て, 2020/2/29
By 大嶋
内容はもちろんですが、西先生の語りが素晴らしい。
当時の状況が見えるかのようにリアルに感じます。
何度見直しても価値のある講義だと思います。
日本人の切なさも含めて良い学びになりました。
ありがとうございました。

・歴史講座, 2019/12/19
By かたよしつね
大変面白い内容で、西先生の歴史観の深さに感動いたしました。ついつい、時間を忘れてしまうほどです。

・明治維新, 2019/12/11
By 澁谷春壽
昭和20年代後半、百貨店の特設会場で開催された国宝展で展示品の裏側に寄贈者として益田、
井上などの名前が朱書されていたのを垣間見て、高校生の自分はとても驚いた。
また、京都南禅寺付近の道路沿いにある別荘群を山県が
払い下げ売却したとの説明をガイドから聞き大きな疑念を抱かされた。
所謂、明治の遺臣は何故巨万の富を私有できたのか。
そのご半世紀以上経過し、ご著書を読む機会に恵まれ明治維新が虚飾で何重にも
上書きされたことが理解できました。東京裁判史観とかいって歴史観を正そう
という傾向が強くなっていますが、その前に明治維新観を正さなければ世界に冠たる日本にはなり得ないと確信します。

・全体的な感想, 2019/12/9
By 宮崎直幸
全体的には満足ですが、人物の間違いが多いです。
お金を払って受講する立場から言わせてもれえれば、
取り直しなどをしなければ、失礼になりませんか?
それが無ければ★4つです。

また、先生が言われると間違いではなく、別の新規の事かと勘違いします。

画面表示があり、助かりました。小村寿太郎を避難した事は印象的でした、
個人的に小村寿太郎は評価していました。講和の後、どのような避難を受ける事も覚悟で平和条約を結んだので。
ハリマンを退けなければ、大東亜戦争は起きなかった可能性はありましたが、
アメリカと満州で共栄共存できたか不明です、でもソ連の防波堤になったのかも知れません。

歴史にIFはありませんが、それを考えどう生かすかは読者次第ですかね。
司馬遼太郎の坂の上の雲を意識していた事も面白かったです。
その裏話(金)的な内容と感じました。また、乃木を評価していた事は共感出来ました。

・幕末、明治維新、日清日露戦争, 2019/12/7
By 山本恒夫
面白く聞かせていただきました。細部までよくご存じでびっくりしたところもありました。
ところどころ 気が入りすぎて早口になり 
何を言っているのかわからない箇所がいくつかありました、気を付けてほしいと思います。

・西鋭夫の歴史講座「幕末・明治維新・日清日露戦争」個人的感想, 2019/12/4
By makoto
この時代の歴史を、司馬遼太郎史観「坂の上の雲」の感動物語から決別して、
背後に見え隠れしていた欧米列強の冷徹な国際政治の中で踊らされていた現実を
明快に描いて見せた、という観点で大変貴重な、ここから多くを学び取らなくてはいけない内容の講義と感謝します。

他方、「歴史にifはない」という原則に照らしてみると違和感を覚える箇所も多々あります。
日英同盟の破棄は日本が第一次世界大戦に兵を送らなかったから、とか、
米国の反日路線への転換はハリマンが望んでいた満鉄の共同経営を拒否したから、と強調されておられます。

このような歴史のifは物語として、あるいは講談としては興味深いものの、
逆の対応であったらどうであったか、うまくことは運んだのか、これは現実に起こらなかったこと、
さらに言えば、現実と逆の対応をしていたらその後の世界はどうなっていたのか、
我々は今生きているさえわからないので、この論法を推し進めることには学術的に無理があります。

そのような観点から歴史のifについては慎重に取り扱われるべきと思った次第です。
失礼をお許しください。以上

・日清日露戦争, 2019/10/5
By 高橋義昭
内容分かりやすく、また、時系列で、具体的な事柄が、大変興味深かった❗️

・真実の歴史, 2019/9/30
By 前田美幸
西先生のお話は難しくなくとても興味深い事ばかりで引きずられてしまい、寝不足気味です、笑。父も祖父も戦争に行き嫌なことは話してくれなかったが写真などを見せて話をしてくれました、過酷な状況から生き抜き、今我々が生きている。先人に感謝をすべきですね、今迄考えた事が無かったです、ありがとうございます。文献を紐解き真実の歴史を話されるので、最近はTVでの特に大河ドラマは見る気にもなりません。安倍首相に聞かせたい、1人でも多くの人に教えてあげたいなと、、。西先生いつまでもお元気で我々にパワーを下さい。ありがとうございます?

・詳細な歴史講座をありがとうございます, 2019/9/30
By 冨吉 英之
その当時から国外のことを理解する感性を養えて来ていなかったのは
国造りをしてきていた官僚たちにも問題点があるつづけたのか、大化の改新以来何も変わらない日本。
太古からユダヤの民が入ってきているとされてますが、表舞台にはなかなか取りだたされないのは巧妙に隠されてきてるとしか思えません。

日本人の意識はどのようにしたら変わってゆくのでしょうか、
西さんの講義を聞いて真実を知っていって他へ伝えていっても
様々な意味で間に合わないような気がしますが、自然災害、特に地震、洪水でかいのが来続けないと
腐れきった精神は立ち直れないと感じてます。

とか大それたことですけども幾ばくかの役にたつためには伝えるしかないので
ダイレトさんのことも周りのみんなに伝えることを諦めずに
粛々と生きてゆこうと感じます。

講義は衝撃が度々走ります。関わっておられる方々も
お身体を管理して元気でおられるようにしてください。
宜しくお願いします。
ありがとうございます。            
冨吉 英之

・幕末・明治維新・日清日露戦争, 2019/8/22
By 斎藤悦子
とても勉強になりました。学生の頃、歴史の勉強にない内容が多く、それも具体的で、たまに、アメリカ人記者がとった白黒のビデオを見ると、凄くリアルでショックを受けました。日本人はもっともっと本当の自分の歴史を知って行くべきだと思います。西先生のお陰で、いろんな世界と日本の歴史を知る楽しみを教えて頂きました。これからも、いろいろな勉強をさせてください。宜しくお願いします。

・アヘン, 2019/8/15
By 村田健治
アヘンを利用して資金を作り、金を収集したことなどは、公文書に残されているのでしょうか。アヘンについては、NHKが以前、特集で報道していたように思いますが、信じられない気持ちでした。大阪府や和歌山、奈良などで高品質のものが生産されたとのことでしたが、チェストひと箱で数千万円するようなものであれば、自家製のものが発達するようにも思いますが、自家製のアヘンはできなかったのでしょうか。

・西鋭夫の歴史講座「幕末・明治維新・日清日露戦争」, 2019/8/1
By 門間 通
世界の大きな流れの中で日本がどのような影響を受けて今日に至ったのか、分かりました。特にシーボルト事件のシーボルトの果たした役割や影響を与えた人たち、アーネスト・サトウという人物についても非常に興味深いものがありました。またその後の日清日露戦争に至る経緯も非常に興味深く、いままで考えていた歴史観、大局的な歴史観ですが、間違っていたように思います。

・感想, 2019/7/31
By 三溝 直人
楽しく、聞かせていただきました。歴史というものは、後からどうにでも、書けるものですネ。まさに、講談師観てきたようなウソを言い。世の中の出来事の、ほとんどが片方からしか見ていないような気がします。真実は、本人でも、よほどの信念がなければ、わからないのだと思います。
西先生の研究は、素晴らしいと思います。その後、高橋 是清の伝記も読みました。
歴史上の人物は、それぞれ、自分なりに、時々で一生懸命なのだと思います。
ありがとうございました。

・「目から鱗」でした, 2019/5/30
By 松村人志
日露戦争の勝利の後に、なぜ米国の日本に対する態度が急激に変化したのかに関する西先生の分析・洞察には、深く得心するところがありました。大変興味深い講義でした。

・幕末・明治維新。日清日露戦争, 2019/3/18
By 古川 正人
学校で習った歴史は単に点としての出来事でしかなく、これが連なって線として出来上がるところに現在とのつながりがある。これが歴史であろうと思います。
特にシーボルトが国禁を犯して地図を持ち出そうとしてつかまったのは知っていたが、塩漬けにされて、後に斬首には当時の幕府の状況がうかがえる。またペリーに日本のほぼ現在の地図と変らないものがシーボルトからペリーに渡ったことで私の中の大きな疑問点が
氷解した。また、ロシアの皇帝にもシーボルトの地図は売られたと聞いています。そのために、幕末あれだけのロシアの船が北方の島や蝦夷に来たのだと分かった。対馬も一時期ロシアに占領されていた。すべてシーボルトが持ち出した地図が引き起こした。実に首肯できる講座である。実に面白い。

・西鋭夫の歴史講座「幕末、明治維新、日清日露戦争の感想, 2019/2/27
By 有村 晶義
西先生の歴史講座全巻を揃えて、聴いてます。このような、授業を中学、高校で日本の歴史を学べば、今の10代から、愛国心が芽生えてくるのではないかと感じてます。戦後70年、弱小国家に転落した今の日本人に必要h、講座と思いました!

・今までも様々な動画を拝見いたしました。, 2019/1/24
By 髙木秀樹
こちらの動画も、今日本の歴史教育では、教えられない多くの事を学ぶ事ができます。
常に、自身で探し求める事を忘れないようにしたと改めて感じました。
感謝。

・西鋭夫 歴史講座 「幕末、明治維新、日清日露戦争」, 2019/1/1
By 松村晴恵
明治維新からの歴史について、中、高等学校で習っても事柄の羅列で流れがわからず、突拍子もなくそして、なぜ戦争ばかり続けたのかわからないもどかしさがありました。が、この歴史講座のお話を聞いてやっと世界の中の日本の出来事として物語性を持ってとらえられてきました。幕末から日本は海外の人を受け入れ、その頭脳とやり取りしながら、育てられ学びつくってきて強くなりまた、外国勢力にやられたりもしながら今に続いているという感覚をやっともてたように思います。
区切られてブツンブツンと切られたあるようでないような日本の歴史を人の行動に結びついたものとしてとらえることができる見方にかわったかなと思います。
戦争というものがなぜなくならないのか、私達が思う戦争とは全く違う経済的な政治的な背後があるのだということも垣間見えました。

・西鋭夫の歴史講座「幕末・明治維新・日清日露戦争」感想, 2018/12/9
By T.ishikawa
講義は西先生の語りが身近に師の謦咳に接しているようだ。
時に熱情自信などがあふれ出て圧倒されてしまう。
師の母上が語ったという二百三高地の日本兵の血で黒くなった土について、
小生は竹山道夫のビルマの竪琴の映画にある「ビルマの土は赤い岩もまた赤い」という文を連想した。

日本人は西師のような善き師の下に学び常に眼を見開いていなければならない。
近代、主に明治維新以降、日本人・日本兵の血が世界に散って英霊となり
日本を守護してくれていることを我々は忘れることとならないように祈りたい。

西師は、金やアヘン(薬)が人間の欲望に作用して、
今現在も如何に強力に世界を動かしているかを私の盲眼をこじ開けて真実現実の一端を目薬にして注入してくださった。感謝します。

・たった一つの行動ミス, 2018/8/16
By steinchen
第二章については、もちろん他の章と同様、中身が非常に濃いですが、最も強い印象を受けた点は「小村寿太郎の失策」でした。
ここから、全ての歯車が狂い出したのだな、と感じました。痛恨のミス。いや、痛恨では済まないレベルの話です。それを初めて理解できました。
それだけでも、非常に大きな価値のある章です。

・西鋭夫の歴史講座Vo1,Vol2。, 2018/8/5
By 佐伯照明
勝海舟と西郷隆盛の対面がシナリオだったと宣伝されていたが、誰が誰に金を渡したのか一切触れていない、誰がシナリオを作ったのかも言われていない。幕末・明治維新でも記載されていなかった。思わせぶりな口調だけでがっかりした。此処迄は分かったが、以後は分からいという事ならば、その事をはっきり言ってもらう方が良かった。

・感想, 2018/7/13
By 川眞田一喜
目から鱗とはこのことかと感銘した。ただ、西先生のお話がよく聞きずらく、とくに語尾が聞き取れなかったり難儀しました。だからもう一度、最初から学習したいと考えている。

・ユダヤ人について, 2018/7/9
By 若狹 陽子
私はユダヤは2通りあると認識しています。1つは先生が語られたように血統的にアブラハムからの生粋のユダヤ人,もう1つはカザール国から生じた途中からのユダヤ人です。後者は自分たち以外をゴイムとよんで獣と同じものだときめつけているということです。この人種はユダヤと名乗っていながら,全くの白人です。カザール出身のユダヤといわれる人種は将来何が目的なのでしょうか。歴史認識はこの辺からはっきりできればと思っています。教えて下さい。

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・幕末・明治維新・日清戦争, 2018/7/8
By 若狹 陽子
私は68歳です。小さい頃はよく中国人は臆病で,弱虫だという印象を持っていました。どうしてか今となっては良くわかりませんでした。今回先生の講座を聞いてはっきりしました。阿片の影響で国全が弱体化してしまいました。また,乃木将軍については203高地での戦いによってロシアを追い払ったとしか知りません。捕虜を許して命を助けたというかなりの人道的な人物であった事は知りませんでした。戦前にこのような人物がいることを知ったら日本人も自虐史観から抜け出すことができるかもしれません。明治の重臣たちがいかに立派に日本のことを思いながら命を賭して戦ってくれたかを今理解できました。しかし,もっと知りたいことがあったのですが,残念ながら期待外れでした。それはフルベッキと明治天皇,坂本竜馬はなぜ暗殺されたのか。また,だれに。これによって明治維新はどのような影響を受けたのか

・ユダヤについて, 2018/7/7
By 松崎
伊勢神宮は神武天皇と関係ありません。ユダヤ人は今はともかく古代は黒髪のアジア人の風貌であったと思っています。金髪はありえません。六芒星のマークが伊勢神宮にあったとしてもいつからそれがあったかということを調べなければならないでしょう。ユダヤと日本に共通点があったとしても別に不思議はありません。日本語とシュメール語にも多くの共通点があるといわれていますし、アラム語やヘブライ語などもそこから派生したのだろうから似るのは当然。米大陸のインディアンも日本語を使っていたと言われています。世界各地でみられるペトログラフも日本の神代文字で解読できるとか。。日本の方が元だと考えています。戦前にもユダヤの悪について命をかけて研究していた先輩たちがいます。彼らは暗殺が得意ですから。日本だけがユダヤを差別していないとのこと、ユダヤの洗脳工作に最も弱いからだと考えられるのではないでしょうか。「悪」について認識が不得手なのです。

・初めて聞くもう一つの日本近現代史, 2018/7/5
By 松宮克昌
すべてに表と裏があるように歴史も例外ではない。とくにこの講座は、教科書的歴史観で触れられない、もしくは、触れたくない史実が多々あり、とても興味深った。明治維新は日本の近代化をもたらしたが、同時に、大量発生させた侍階級の救済のために、また帝国主義がアジアに押し寄せる背景の中で、軍国主義、帝国主義に走った必然性、さらに、日露戦争の勝利が、太平洋戦争の誘因の大きな要因と指摘する西先生の指摘は、アッと驚くような指摘、かつ、説得力を感じた。
 高橋是清、乃木希典、金子賢太郎,小村寿太郎の人物評は生き生きしている。また、ミッションスクールで学んだことのある者として、フルベッキやヘボンが講座に登場したのも、とても
興味深った。西先生、感謝です。

・小村寿太郎の件について, 2018/3/13
By 池部純一
講義内容、とても素晴らしいものでした。
よく資料を分析され、ここまでこられたことに敬服します。
また、話し方もわかりやく、言葉、体全体を駆使しての表現、楽しく学ぶことができました。
学校での歴史の勉強は、ともすると単調で面白くないものでしたが、西教授のお話しを聞いて、歴史を知ることの重要性を感じました。真実の歴史を知ることは、ほかのどんな学問より大事なことと思いました。

ところで、自分自身で考えさせられたことがありました。
小村寿太郎の誤った対処の件です。
といいますのも、当時、国家予算の5倍もの借入金があったということを国民に知らせていなかったことが、国民の暴動や、ひいては小村寿太郎の行為になったのではないかということです。

しかも困ったことに、現在も当時と状況は同じで、国債の相当額を日本銀行が肩代わりしていること、平成元年以来10年ごとに、確実に2倍に増え続けて現在まできていること、アメリカに対する貸付金が100兆円以上になっていること等です。これらのことは非常に重要なことなのに、政府、マスコミは積極的に公表、報道していません。私自身、懸念しているところです。

・日本人の多くの人に知ってもらいたいです。, 2018/2/12
By 秋元邦夫
西先生の講義はわかりやすく歴史の勉強に興味を持てなかった私でも楽しく学ぶことができました。

・中学時代におかしいなと感じていたことがやっと腑に落ちました。, 2018/1/31
By 岩田康太郎
私の卒業した中学は大阪学芸大学附属池田中学校と申します。戦前の第二師範ですから、かなり右寄りの教育だと思いますが、それでも随分空白の明治史、矛盾だらけの昭和史を習いました。もうすぐ70才になるこの年でやっとすっきりとしました。

・西先生凄すぎる, 2017/12/1
By 石橋みつ子
本当に素晴らしい内容で驚きました。知らなすぎたことがてんこ盛りでした。明治維新の志士達の既成の群像が音を立てて崩れました。この時代の歴史の細部にわたって詳細な情報をゲット出来て感謝致します。太平洋戦争が日露戦争からの尾を引きずっていたとは驚きました。高橋是清の話し、ダイヤモンドの話しが特に印象に残りました。西先生は偉大ですね。大ファンに なりました。

・幕末・明治維新・日清日露戦争, 2017/10/11
By 齋藤裕史
目から鱗、出まくりです。
鎖国を解いたら、英国シナリオ通りの
シェイクスピア戯曲だったとは…。
『ターニングポイント』がポーツマス条約だったとは…。
協調的な日本人が残念です。

・目からウロコ, 2017/10/9
By 高田由紀
読んで、なるほどと納得いくお話でした。今まで、日本に対して胸を張れなかった自分から、日本に胸を張って生きていける自分に変われそうです。

・ポーツマス講和の前後におけるルーズベルトの日本に対する行動の変化, 2017/9/11
By 若松義男
ずっとルーズベルトの行動が不審でした。新渡戸稲造に傾倒し、自ら日露の仲介を買って出るほど日本に好意的と思える行動をとっていたのが、講和以降、人が変わったように日本に対する敵視政策を始めました。この不審な行動を説明するいかなる背景があったのかについて説明するものは見たことがありませんでした。ハリマンの満州鉄道利権をめぐる日本政府と小村の対応も知っていましたが、これらがどうつながって、どのように作用したかも、表面的なこと以外にはわかりませんでした。
 このたび、西先生のビデオを拝見し、ルーズベルト、ハリマン、シフの3名がつながっていたことを知り、ハリマンの満州鉄道利権に対する日本政府の最終的な拒否が、その後のすべてのルーズベルトの政策につながり、それまでと打って変わって日本に対する手のひらを返したような対応と、日米戦争への準備(ホワイト艦隊の日本寄港、オレンジ作戦など、西先生はこの作戦に関する言及はなさりませんでしたが)開始の動きなどが理解できました。

・幕末・明治維新・日清日露戦争, 2017/7/27
By 上月敏彰
幕末を研究していますが、前回購入の教材で1850年代のアヘン戦争やクリミア戦争が大きく日本の幕末に影響していることがわかりました。
 今回、英公使館通訳のアーネスト・サトウを取上げられていましたが、彼こそが英国策論を出して、「英国製」明治政府をつくらせた張本人であると思います。
 薩英戦争時、薩摩の軍船3隻を拿捕し、五代友厚と寺島宗則が英側の「捕虜」になった件、アーネスト・サトウの「一外交官の見た明治維新」には、捕虜というあからさまな表現はなく、五代と寺島ははじめから英国艦に行こうとした出来レースだったのではないかと疑っています。
 オランダ系米国人宣教師のフルベッキも謎に包まれた人物です。あのフルベッキと群像写真は特にNET上で論議が激しく交わされており、通史論者らは、あの写真は佐賀の藩校の生徒の写真だと言って、維新の有力な群像ではないとやっきになっています。ではなぜ、原版が外国にあるのか? 西先生言うところの、通史論者に都合の悪いものが写っているからだと思います。

・西鋭夫の歴史講座「幕末・明治維新・日清日露戦争」, 2017/7/16
By 鎌形佳正
表に出てこない話が満載で、非常に驚きました。
時々出てくる「何らかの力」が裏で歴史を動かしている様です。
ユダヤ教の話は気になります。ユダヤ人の第13の部族の末裔が日本に流れてきている!?とは???
日本陸軍がまったくそれを信じていたとは!?頭が混乱してきます。でも有意義な講座でした。有難うございます。

・グローバリズムってこんなに昔から始まってたの?, 2017/7/15
By 茶々
明治維新は、先進的な西欧諸国の考え方を取り入れ、日本の目覚めを促すための歴史的必然だと認識していました。英米諸国という相手側からすれば、純粋に西欧の考え方を啓蒙しにくるほど、お節介ではなく、鯨を追うための基地が欲しかったり、市場が欲しかったりしただけのこと。むしろ日本が大陸への進出をするほど欲を出すことは西欧諸国からすればまさに想定外かも。(もうそろそろやめましょうよグローバリズム!)
 特典映像のなかで、西先生が「自国の立場を国際社会に訴えて、エネルギーを自国で賄う方策を考えて鎖国することも検討してもいい」と悲鳴のように嘆かれる意味がよくわかりました。
 この講座、土下座外交しか展開できない外務省の要職にある方々に一度見ていただきたいです。そしてもう一度あの明治維新がどんな意味をもつものかを検証してもらいたいものです。我が国は、ペリー来航時、むしろ自然との共生や文化の受け入れ方については、世界に先駆けて洗練された国だったことをむしろ欧米列強に分からせるべきだったのかもしれません。

・「幕末・明治維新・日露戦争」の感想, 2017/7/11
By かたよし
お金の流れから歴史を見る。うーんとうなってしまいました。語り尽くされていない日本の歴史がこんなにも多くあることを知り、勉強の楽しみが増えた思いです。ありがとうございました。

・不知だった。, 2017/7/11
By 大塩和重
一体今まで何を知ったつもりでいたのでしょう。西先生のご講演は目から鱗が落ちるどころか、盲目であった目が落ちてしまうような衝撃です。真実を知りたい!知りたい!と益々聞き入ってしまいます。

・歴史の確認, 2017/7/10
By 三宅成見
幕末から日露戦争までの流れが美化されたものであることを知ることができました。現在の北朝鮮の行動には怒りを感じていましたが、日本においてもアヘンが栽培されていたことや戊辰戦争や西南戦争が新政府を維持するため、つまりは保身のために行われていたことなど、どこの国も大差はないなと思いました。
 イギリスを中心とした列強のパワーゲームの中で若者たちが踊らされていたという事実も腑に落ちます。講義を聞いたのが若いころだったらがっかりしたかもしれませんが、今は人間の多面性を理解できる年になったので、欲望や憎しみにひきずられながらも何とか国を作ろうとした、その行動力にむしろ感心します。
ただ、そんな実利や名誉を重視する者の中で、高橋是清は神格化されることを拒否しているのかと思えるほど純粋な人間に思えました。

・歴史講座 幕末・明治維新・日清日露戦争, 2017/6/7
By 萩原 正俊
私は64歳の小さな会社の経営者です。
高校時代の日本史最後のテストでテストには何も書かず、裏に何故 近代史を教えてくれないのかと書いたところ、先生に呼ばれ、いろいろ質問されて結果は5段階の3の成績を
もらいました。大学は理工学部のため今まで近代史を勉強する機会もありませんでしたが
今回の講座を聞いて、歴史が映像をみるように解り、長年の願いがかなったと感激しています。西先生 ありがとうございます。

・感謝, 2017/4/28
By S
知らない事を沢山教えて頂き、本当に感謝しております。
内容は本当に充実しており、素晴らしいの一言でありました。
ただ一点気になるのは、分かった様で分らない部分があったり、結局何が正しいのかがよく分からないところがあったりします。
一つの場面を切り取れば、これは凄い、これは酷いがあると思いますし、難しいとは思うのですが、総括の様なものが欲しいと思いました。
明治維新は内容的には酷いとしても、それは必要だったのか?など。

・「幕末・明治維新・日清日露戦争」, 2017/4/21
By 淡輪 泰雄
西 先生の飾らぬ話口調での知られざる歴史の事実を初めて視聴し、今まで学校教育では習ったことのない史実を知る事が出来ました。
正に目からうろこ とは、この事だと思います。
「國破れてマッカーサー」「富国弱民ニッポン」も現在購読中です。

今まで西先生の講座を何回聞いたことでしょう!(感動いたしました)

我が国、日本は謝り続けて72年、いつまで謝り続けるのか、先生もご指摘のとおりであり、開き直って、言うべき事をしっかり言う これが次の世代への引き継ぐ糧となると思います。(遅きに失していますが・・・、必ずやらねばなりません)また、教育改革の早期の大胆な転換が求められます。有難うございました。淡輪 泰雄(68歳)

・見えてくるものが違って輝いてきた。, 2017/4/14
By 小澤 潔
日本とユダヤの関係が、こんなに奥深いものだということを、西先生の講義で初めて理解しました。確かに、皆、伝説だと言ってその根拠を真剣に探求するのを辞めて、思考停止になっているところがあるな、とあらためて思いました。歴史というのは、切り口を変えると、本当に見えてくるものが違ってくるのだな、と感じました。今まで、特に日本の歴史は、暗い話が多いと思って、深く勉強してきませんでしたが、今後は、見る視点を変えて見ていこう、と思いました。新たな目を開かせてくださった西先生に感謝です。

・大切な教訓を得ることが出来ました。, 2017/4/7
By 入江 康仁
世界の標準的な感覚、考え方を教えられたような気がします。
俯瞰的に見ること、お金の流れを常に見つめること、真意は行動に現れること。
大切な教訓でした。

・小村寿太郎, 2017/2/23
By 岸田 長三
どこからアメリカが日本を敵視しだしたのか、小村寿太郎の失策は、眼にウロコであった。

・「幕末・明治維新・日清日露戦争」, 2017/2/21
By 匿名希望
第二次大戦は何が原因だったのかがやっと分かりました。
「アメリカの鏡・日本」を読みましたが、今ひとつ原因が分からないでいました。
義理堅いはずの武士道精神の日本人一人の失策が、壊滅への原因となっていくのに
驚きました。
次の講座を早く聞きたです。

・幕末明治維新日清日露戦争, 2016/12/26
By 長田安弘
歴史は人間の欲(特に財欲,色欲,食欲,名誉欲)からつくられていることがよくわかりました。失われたユダヤ支族と伊勢神宮とのお話しは大変興味深いです。新たな発見がありましたら是非紹介っして頂きたくお願い致します。

・幕末・明治維新・日新日露戦争の講義を聴いて, 2016/11/26
By 川井田 誠
現在の自分に直接関わってきている歴史の講義は、感動と焦りとを感じさせてくださいました。そして、小さな自分がまたひとつ少し大きく強くなった気がしています。リアリズムという言葉がありますが、正に先生はそれを伝えてくださっています。事実を正確にとらえるということを改めて学び直しました。

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・日清日露戦争, 2016/11/26
By 丸山義幸
西先生の言われるフォローザマネー、白人の非道で卑劣な戦略、日本は手のひらで踊らされ騙され、金の為に操られ、食い物にされ、歴史をきちんと正確に知ることは非常に有意義でありそこにこれからの日本の在り方が見出されると思います。
有りがたく拝聴させていただきました!

・幕末・明治維新・日清日露戦争, 2016/11/25
By 吉野 浩視
この講座で私の歴史の見方を根本的に変えなければならないと心底思います。先生の人間人格に対する鋭い見方を通して、眞正の歴史はその人間が刻む歴史に眞正の真っ向からなるスポットを当てれるものと確信されます。その底辺に先生の真実をつかもうとされる膨大な時間をかけた資料の探索がベースにあることも学ばせていただいております。素晴らしい価値ある歴史講座です。楽しい眞正の歴史をまだまだご披露いただける事を願っております。吉野浩視 拝

・幕末・明治維新・日清日露戦争, 2016/11/24
By 小山
休みの日に集中的に見ました。司馬遼太郎の坂の上の雲は何度も読んだ愛読書でしたが、今まで知らなかったことが多々出てきて興味深く拝見しました。日本史は高校のときにやりましたが、近代の日本の歴史は明治維新の時ぐらい迄で後は殆ど授業がありませんでした。
日本人は2000年の歴史があるのに正確な歴史教育を受けていません。歴史を正しく知ることは、自分の座標軸をしっかり持つための基礎だと思います。
 今、トルコのカレホユックの中東文化センター考古学研究所で付属日本庭園の管理指導をしていますが、所長の大村先生は、鉄が専門でヒッタイト帝国以前から鉄は造られていたとの仮説に基づき40年間も発掘を続けられ、傍証はいくらでもあるのですが、残り10%の確証を求めています。これが発見されると世界の考古学の学説の塗り替えられるそうです。歴史は本来事実の積み重ねですが、余りにも事実と異なることを教えられているのですね。

・歴史講座vol.2-幕末・明治維新・日清日露戦争, 2016/11/24
By 菅原智
西鋭夫先生の新説・明治維新(CD付き)に続き、本歴史講座を拝聴し、近代日本がいかに多くの尊い犠牲を払い、歩んで来たのかがとても判りやすくて、感銘しました。特に高橋是清の人物像が大変面白く、歴史を動かした数々の影響力を持った欧米人との運命的な出会いと生き様、日露戦争での戦費調達に尽力した裏方の偉人であることが判り、更に興味が湧きました。更に、本講座の付録として拝聴しました「GHQに消された英雄-乃木希典」におきましては、西先生が12歳の時に母親から聞かされた師範学校女子学生当時の母が修学旅行で
203高地での土が何故黒いのかを説明された時に全員が泣いたお話、そして日露戦争が終わり、乃木希典が長野師範学校校庭において、壇上に上がらず全学生の前で、君達の兄弟を沢山殺してしまったことを涙目に話された時、多くの師範学生が貰い泣きした所が、私も泣いてしまいました。もっともっと歴史の真実を知りたいと思いました。

・歴史講座 日清・日露戦争, 2016/11/23
By 守屋 惠美子
素晴らしい!! の一言でした。一時、時間の関係で先生の講座受講を中止しておりましたが、やはり最優先で取り組むべきであったと後悔をしております。

歴史の真実とは? を常に考えて物事を判断する必要があることを再認識いたしました。

ただ一つだけ残念なことがあります。
実は内容によっては先生の話の裏を読み取ることが難しく、『だからこの時日本人は具体的にこうすればよいのでは…』というところまでアドバイスを頂きたと思うことがあるのです。
『それは一人一人が自分たちで考えていくのだよ!』ということでございましょうが、ここ数年の日本を取り巻く状況を考えたときに、自分自身が不安になってしまうことが多くあり、是非強くご指南を頂ければと思っております。   有難うございました。

・幕末、明治維新、日清日露戦争の講話について, 2016/11/22
By 藤木俊雄
西教授の講話は毎回聞かせて頂き、聞いてなかったこと、想定してなかったことを多く知り得たことに大いに感謝しております。 今回の講話では
要望1.和清通商条約が不平等でひどい内容と説明されていますが、ひどい内容の一端を説 明して頂ければと思いました。
要望2.日本は共産党が「きらい」と説明されましが、理由は当時は現行組織を壊すため排 除したと思っております。いかがでしょうか。
質問1.日清、日露戦争の開戦、戦費の経過は先生のご説明で判りましたが、当時の日本は 近代化ができたてであり外交力なく開戦に至ったと思われます。今 シリア内戦で戦争が くり広げられ、北朝鮮では核開発などされ、えらく金がかかりますが、これらは援助国と のバーター取引のようなので返済しないことで、あとあと借金返済で苦しまないと思われ ます。戦争がビジネス処理?
 アフリカの内戦の戦費は誰が払うのでしょうか。

・戦後日本と戦争, 2016/11/19
By 加賀 勲
明治維新と日露戦争に対する内容を詳しくは知り、大変な時代劇が有ったことを教えて頂きました。このような状況にあった日本をよくもまあ、持ち越したものと感心しました。歴史を詳しく説明した本当の内容を教えられて、現在も同じ様な偉人がおられたら有り難いと思いました。

・感想、日清日露, 2016/11/18
By 伊東 孝司
西先生へ ありがとうございます。
まったく我が意を得たりで興奮しています。
ジョン万帰国も維新側アドバイスも、そのタイミング良さは 超ド級ゆえ、
また西欧米の事情の伝達の効率、それらのすべてが上級過ぎました。 
なので、彼の功績の陰に、絵も言えぬ不思議がありました
視察訪欧団という、我が国にとっては事例の無いミッションです
たとえば訪欧団実施は、度合超えて驚異的です、まず団構成、まず視察日程、そして渡航先での面会セッティングなど、いろいろが、余りにも鮮やかです。
そのことに、多くの国民が深い疑問を呈しない、それはある意味、恐ろしい。
いま学んだことは、折に触れ活かしたい、自身アクティブへ良き影響で、結果が楽しみです。


・充実のコンテンツに満足!, 2016/11/17
By 横山賢来
気が向いたときに何度か見返していますが、今回のアップデートで200点以上の画像やキャプションが追加されたことでかなりわかりやすくなったと思います。

あくまで主観ではありますが、歴史記録動画が4点程挿入されたのも、さらに全体的な質をバランスよく深める形になったのではないかと感じました。

・幕末・明治維新・日清日露戦争の講座を聞いて, 2016/11/17
By 森 孝良
西先生の歴史講座は大変わかりやすく楽しいので、時間を忘れて聞き入ってしましました。
今まで日本の歴史(幕末・明治維新・日清日露戦争)には疑問点があり、この講座を聞いてすべてが納得できました。特に日本人の弱いところが見えてきました。どうにかして日本人も変わらなければいけないとしみじみ思い「これからどうすればいいのか?」を考えるようになりました。
日本は教育が完全にコントロールされ、私たちもその中で教育を受けてきたのですが、これからの未来の日本人のために何かできることをしたいですね。まず、皆さんにこの講座を聞いてもらいたいです。

・講座受講しました。, 2016/11/16
By 渋谷隆
歴史 学んだ知識はなんだったのでしょうか
教育 刷り込み 等々 いろいろと経験しました。 次世代の子供たちには
正しい歴史認識 学習法を、 責任を持って伝えていかなければなりません。

・Follow the money❗️, 2016/11/15
By 本田 宏
明治維新の真相(英国アヘンマネー)を理解することによって、現在の日本や世界の問題の深層を考える良い物差しとなりました。
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「幕末・明治維新・日新日ロ戦争」改訂版, 2016/11/15
By 山田順一
「幕末・明治維新・日新日ロ戦争」改訂版の連絡ありがとうございます。
本と同じで、改定し内容が充実していくのは大変結構なことと思います。
今回の改訂、増補がなぜ行われたのかはわかりませんが、歴史講座、あるいはフーバーレポート、有料でもいいので、質疑応答ができるといいですね。
山田

*「国敗れて‥」は購入、読了済なので、不要です。
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・幕末明治維新日清日露戦争, 2016/11/14
By 小林 いづみ
この中で、所々知ってます。大室寅吉や、ヤハェが、日本でヤハタになり、八幡になったこと。ヤハェは、軍神で、日本を守ったこと。やまと言葉は、神界の言葉で、日本地図が世界地図の型であることなど。聞いたことがあります。
実は、古事記は予言書で、1500年後に建て替えがあるとか。今が、「最後の審判」旧約聖書よりも痕跡の古いチグリスユーフラテスの地は、7日で世界を創った神の話と矛盾するので、爆撃して破壊されたのだとか。

宣教師が、日本に入り込み、日本人が売られて行ったので、キリスト教が禁じられたこと。キリスト教の弾圧は、神界的にも日本国を守るためだったとか。

お米よりもパン食になったり、色々と洋風かぶれになって、日本よりも、西洋の方にあこがれてしまう風潮も、日本人が劣っていると思うGHQの愚民化政策にもはまり、もっと大切な大和魂もダメになったのだと、痴呆症の老人、若い男の偏執狂的なストーカー事件、親による我が子の虐待、昨今の事件を見てそう思います。

世界中の権力者の悪意が、信じられないという思いでいっぱいです。
ペンは、武器よりも強しとありますが、一番安上がりな方法は、真実を知ることです。もうお年寄りは、手遅れなので、若い世代の人に知って貰いたいです。

また、教えて欲しいのですが、日本人が?日本偏信郵船?で売られて、その金が天皇のスイス銀行に隠し財産になっていると、韓国女性のブログで見たのですが、本当ですか?

・幕末・明治維新・日清日露戦争, 2016/11/14
By 井上治樹
・小学校5年生の時,新しい憲法が出来たというので読んでみて,最初に感じたのは,「何だこれは?これが独立国の憲法か?」という思いでした。そして,これから,日本はどこの国の保護国になるのだろうか,日本人が奴隷にならなければよいが,というのが,当時小学校5年生だった私が第一に感じたものでした。
・果たしてその後の日本は,アメリカの保護国となりながら,中国の保護国になることからは,現時点では免れてれています。
・「日本はまだ謝り方が足りない」という言葉も,マスコミに登場する「偉い」先生方がよく口にする言葉です。私は,多少の海外での経験から,「国際感覚から言えば。謝ればよいとゆうものではない」と,内輪の会合などではよく言ってきました。
・今回,西先生のような偉い方から同じような考え方を披露され,大いに意を強くしました。西先生本当にありがとうございました。

・日露戦争, 2016/11/12
By 大橋俊弘
ロシヤ艦隊を対馬沖で殲滅、シベリヤで陸軍が戦ったことが話の中に出てこないで、行き成り、ルーズベルトが日露戦争終結への、いま少し説明が欲しいです。

・幕末・明治維新・日清日露戦争, 2016/9/15
By 城戸善一
具体的なエピソードを交え、物語としてお話しされる西先生は素晴らしいです。とても説得力があります。お願いが一つだけあります。学生さんの質問内容がはっきり音声として入っていると評価の星は5になります。残念です。

・西教授の考え方が、分かったような感じがする。, 2016/9/11
By 八木東一
明治維新とイギリスの人たちの関係が分かった。
乃木大将の偉大さを、世界の人が分かったのが理解できた。
日露戦争の背景に、金子堅太郎と高橋是清の活躍があったことが分かった。
シフやハリマンの活躍。
日露戦争後、満州の鉄道事業の共同運営をハリマンが持ちかけた話。小村寿太郎がそれを、なかば追い返すようにした、愚劣な行動も分かった。
アメリカが人情の国で、そのアメリカが小村しいては日本の愚劣さに激怒して、それが太平洋戦争の遠因になったというのも良く分かった。
フルベッキ写真と、フルベッキが死んだときの日本の近衛兵の出陣と明治天皇の関係が分かった
日本とユダヤの関係が、良く分かった。
断片的に聞いていたことが、西教授の話を聞いてつながった。

・衝撃をうけました, 2016/8/31
By yamachan
歴史は面白い
歴史の見方が180度かわりました。

・幕末・明治維新・日清日露戦争, 2016/8/16
By 近藤 達也
学校の教科書や受験雑誌には記載されていない、色々な話が聞かれて大変興味深く拝聴いたしました。今まで誤解していたことが、今回の講座で非常にすっきりしました。西先生には、是非、今後も日本の歴史についてこのような講座を設けていただき、拝聴できたら幸いと思います。

・幕末・明治維新・日清日露戦争, 2016/8/8
By 宮本 一成
私は赤穂山鹿素行研究会の理事会員で、明治維新の精神的リーダー吉田松陰や日露戦争の乃木希典大将の活躍を興味深く調べています。その延長で「幕末・明治維新・日清日露戦争」を興味をもって見させていただきました。
日露戦争の平和条約調整をしてくれたセオドア・ルーズベルトはその功で米国初のノーベル賞を受賞しますが、アジアの小国日本が大国ロシアに勝った理由に、素行先生の武士道、その代表的存在の赤穂義士を新渡戸稲造の「武士道」から知り日本対策を進め。フランクリン.ルーズベルト、そしてマッカーサーに繋いでいき、日本を落とし込みました。
私は赤穂人として、「浅野城主の恩恵没世忘れるべからず」の信条から、浅野家の藩儒・素行先生の成果が上記の通り図らずも日本の道徳崩壊につながる結果になった事を最も嘆いているのは、浅野城主、山鹿素行先生、赤穂義士、吉田松陰、乃木さんと思い、赤穂から日本再生を願って活動してます。件名の資料は大いに励ましてくれました。

・日露戦争の停戦交渉と小村寿太郎, 2016/8/8
By 山下国明
日露戦争の莫大な戦費を融資してくれた見返りとして、鉄道王ハリマンやユダヤ財閥の南満州鉄道、や満州を共同で開発しようとの申し入れを、破棄した小森寿太郎の怒りが、太平洋戦争への導火線となっていたとのお話に、歴史を細切れで学んできた私の目を大きく開いてくださいました。 歴史を大きな流れの中で長期にわたって因果関係を知ることと、それに関係する金の流れを知ることの大切さを学ばせていただきました。 有難うございました。

・歴史の裏を知ることはとても有意義である, 2016/8/4
By 宮坂忍
西先生、初めて感想をメールします。いつも素晴らしい講義をしていただきありがとうございます。私は歴史が好きです。今多くの歴史の本が書店など出回っておりますが、その中で好きな方は、上智大学の渡部昇一先生です。
何故なら、今から20年以上も前に私の歴史観を大きく変えた方だからです。

しかし、西先生の歴史講座を視聴して、当時の渡部昇一先生の書籍に出会った以上の衝撃を受けております。
渡部先生の書籍すら書かれていない新しい事実が述べられており、
裏の歴史を知ることができたからです。アヘンと金ですね。
大阪と奈良と和歌山が、日本のアヘン大産地であることを初めて知りました。
そして、関東軍がそれを売って資金源にしていたこともです。
私は、戦後GHQが何故アヘンを禁止したのか理由が分からなかったのですが、
これで理由がわかりました。日本の軍部がアヘンで儲けていたことをGHQは知っていたからです。西先生、本当にありがとうございます。

・歴史講座Vol.2 幕末・明治維新・日清日露戦争, 2016/8/4
By 堀 道夫
昔「暗記した歴史」からは何を学んだのか?と思いながら時間が経つのも忘れて聴きました。西先生の'思い'も伝わってくるので、他の巻も楽しみです。(ただ難を言えば講演録そのままなので、話が飛ぶとちょっと戸惑うことがある。)

・幕末、明治維新、日清日露戦争, 2016/8/4
By 松木喜一
この講義をお聞きし、日本の学校教育の薄っぺらさを強く感じました。英語教育にしても然り10年近くも学んだにもかかわらず、実社会では全く役に立ちません、ましてや日本国の基盤となる歴史教育に至ってな何をかいわんやです。若い人に知らせたいという気持ちです。ありがとうございました。

④ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

日清日露戦争について, 2016/8/4
By 伊藤榮樹
幕末から明治維新、戊辰戦争日清日露戦争がなぜ起きたか、なぜ日本が戦争をしたのか今までの高校大学の授業よりもはるかに判りやすく、だんだん歴史に興味が出てきました。
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幕末・明治維新・日清日露戦争, 2016/8/4
By 増山隆幸
とてもためになり興味がでてきました。
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歴史の授業で思考停止にさせられたことがよくわかりました。, 2016/8/4
By 菊浦 秀之
お金の流れを追うと、なぜそうなったのかがわかる。西先生のおっしゃることが実感できます。やはり、現代も過去も、人の動きとは経済の動きと言っても過言ではないのだと実感します。
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高橋是清他、まだ途中13講義ですが、, 2016/8/3
By sakamotonaoharu
若いころ歴史に興味がなかったが、年を重ねると大変興味が湧いてきます。
日本3000年と西先生が言われる通り、人々の生きざまと実績が文化となって山積みの日本です。
事実を記すことは少ない歴史書はなんなんだったのかと残念に思いますが、実は仕方ないことだと分かってきました。
特に100年余りの前の史実も中身がわかっていないことに恥じらいを感じます。
事実が分かっても同じですが、人は弱くて、悩み多いと、身近に感じる事が大切だと勇気づけられます。祖父母の時代を知らずに年が過ぎてしまって残念です。
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日清日露戦争, 2016/8/3
By 豊田 和明
高橋是清・金子堅太郎の二人が日露戦争遂行のバックボーンを担った事がよくわかりました。英語を駆使して、相手を感動させる演説を打てるくらい優秀な日本人が沢山いたことを誇りに思うと同時に、このことで当時の国家予算の何倍もの戦争資金を調達した事に驚きました。一方で、日露戦争の終結のために後ろ盾となった米国に対し、小村寿太郎の浅はかさが元で反日に転換してゆく米国がその後の日米の歴史に重大な影響を及ぼしてきた事実を知る必要があると思う。いつの時代でも同じであるが、一国を代表する政治家の言動が国運を左右するということを知るべきである。国のリーダーは今どう動くことが「国益」に適うのかを常に考えることができる逸材であるべきとつくづく思う。
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新説明治維新, 2016/8/3
By 児林亨定
視点が全く新規で、目から鱗が落ちました。 大学入試で日本史をとらなかったため、
も一つ弱い近代日本史の再発見、再履修です。 74歳になる弟に一昨日送ってやりました。 海上保安庁羽田基地長をやった弟のコメントを、何と言って来るか期待しています。
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幕末・明治維新・日清日露戦争, 2016/8/3
By 齋藤  茂
江戸幕府終焉に当たり、薩長土佐藩と官軍との戦がどのように行われたかに興味あり、この戦には当然ながらアヘン戦争との関わりがあることには改めて思い知らされた。戦においては当然武器が必要であるが、そこに英国の影響があるとは興味深いものである。大砲や軍艦を購入するのにも資金が必要である。そこに高橋是清の手腕に感慨深いものを感じた。
 日清戦争においても、小国日本が隣国まで攻撃に出兵するからには、かなりの資産が費用であろうと思った。日清戦争では、日本国が勝利した結果となっているが、清国は英軍によるアヘンの影響が大きいのではないか。アヘンを吸い精神的にも異常を来たしている状態で、果たしして真の戦が出来るだろうか。その状況下において本当の勝利と言ってよいか個人的には疑問が残る。当時とすれば、日本軍は富国強兵であったことは間違いないだろう。
 日露戦争においても、優勢であった日本軍が米国の援助を受けつつ戦を続け、勝利したことは喜ばしいことである。折角日米行動でサハリン(樺太)を占領し、当地を当時のルーズベルト大統領・ハリマン等と桂太郎・井上馨・伊藤博文等の間でサハリン開発の覚書までに調印したにもかかわらず、米国帰りの小村寿太郎外務大臣の一声で、この調印をなきものにしてしまったことには大きな打撃があった。それにより日露戦争には勝利したであろうが、その後の結果が最悪である。もしや、米国にしてみれば、サハリン開発が将来的に鑑みると大きな経済効果が見越せていたのではないか。そのことが出来なった米国は怒り心頭となり、同盟国となりつつある両国に亀裂が出来てしまったことは、日本においても大きな損失であったことは否めない。怒り心頭の米国はルーズベルト・ハリマン両氏による憎し日本となり、その後の大戦に大きな影響を与えてしまった。折角、新渡戸稲造の武士道に影響受けていたルーズベルト閣下の恩を仇で返し、高橋是清の経済観念をも台無しにしてしまった小村寿太郎外務大臣の行為は絶対に許せるものではない。このような真の歴史を知る大きな影響をくださった西先生に感謝したい。
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幕末・明治維新・日清日露戦争, 2016/8/3
By 齋藤  茂
西先生の迫力ある講義に感謝です。1~18までを聞きとおしました。私が小学校・中学校・高等学校・大学と16年間も歴史を先生方教えてもらって満足していた自分が恥ずかしいです。全く今回西先生の講義で、ただうわべだけを学んで来て、本当の歴史とは何かを改めて思い浮かべたように思います。これが真の歴史なんだと知ったことに非常にこの講座を申し込み学んだことが、一つの宝になったような気がします。小学校から大学までの先生が悪いとは言いませんが、本当の歴史を教えてもらいたかったと思っています。うわべなら誰でも出来ます。そんな学習ではなく、やはり色々な資料の元真実の歴史をこれからも学習したいと思いますので、西先生よろしくお願い致します。明治維新と言うと幕府から新時代に変わったぐらいしか分からなかった、この事実を知り改めて真の歴史を目の当たりにした感じがします。これからも続けていきたいと思いますので、よろしくお願いします。
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幕末.明治維新.日清日露戦争, 2016/8/2
By 辻 修司
期待以上でした。
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幕末・明治維新・日清日露戦争, 2016/8/2
By 増山隆幸
幕末の本当の話が西先生が見てきたかのように話しをされているので聞いているとどんどん彦こまれていきます。
さらに本当の歴史に興味がでてきました。
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幕末・明治維新・日清日露戦争, 2016/8/2
By 堀家 彰生
現在を理解し将来を展望しようと思えば過去を学ばなければいけません。この3年ほどの中国・韓国・北朝鮮の外交姿勢は、時を日清戦争以前に戻してやり直しをしたいというところにあるのではないでしょうか。中国はアメリカを、韓国は日本を追い越したと判断した習近平主席と朴槿恵大統領が就任と同時に始めた外交はそう考えると理解できます。
 歴史書は勝者が作るものであって自分は正しい、敗者は間違っていると立場から記載されます。正しい歴史認識とは勝者の歴史認識であって事実が記載されることはまずありません。
大東亜戦争は太平洋戦争でないといけないのです。
 西先生の講義はアメリカの情報に基礎をおいておられますが秘密保持期間がすぎれば公開される内容なので信頼できると思います。日本の場合は当事者は語らず墓場に持って行くのが美徳とされているので真相は闇の中となり本当のところはわかりません。
 歴史小説と銘打って著者の推測を書く場合がありますが、そのうちに著者自身がこうあってほしい思う内容が事実として書かれ、かつ小説を面白くするために強調と無視が織り込まれてしまいます。読者も小説と思いながらもいつの間にか事実と錯覚してしまうところに潜在的な問題を包含していると思います。
 本書の読後感として司馬遼太郎著「坂の上の雲」で無能とされた乃木希典将軍の評価や、表舞台に出てこなかった金子堅太郎の功績の紹介は納得の行くものでした。
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高橋是清とジェイコブシェフ, 2016/8/1
By 鐘ケ江 正巳
今まで知らないことが明確に説明されており感銘しました。
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歴史講座, 2016/8/1
By 比江嶋睦典
大変勉強になりました。
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幕末・明治維新・日清日露戦争, 2016/7/30
By コジマ タケシ
私の学んだ日本史・世界史と全く異なり、大変よくわかりました。この西先生の歴史を日本人にもっと知らせてほしいと思います。私もできるだけ、知らせるように機会あるごとに話して聞かせたいと思います。先生の貴重な研究成果に感謝申し上げます。ありがとうございました。既に西先生は『国破れてマッカーサー』中央公論社を以前に買っておりまして、感銘して読みました。今回の大歴史講座を学びたいと思っています。期待しています。
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歴史講座「幕末・明治維新・日清日露戦争」, 2016/6/11
By 大根康男
小・中・高の歴史の授業は、退屈で嫌な時間でした。
でも、西先生の歴史講座は、その当時を生きた人の思いや行動、お金の流れが、見えてくるようで、気が付いたら聴き入っていました。
自分の日々の生活が、歳をとる毎に無気力になっていくようで、不安を感じていましたが、この、講座をきいているうちに、体の内側から気力が湧いて来るのがかんじられました。これからも、講座を聴くのを楽しみにしています。
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幕末・明治維新・日新日露戦争, 2016/5/5
By 内堀克彦
大変面白く聴かせていただきました。学校で教わらなかったことばかりでした。確かに史教育はもっと考えなければいけないですね。真実を知ることにより、より強い人間、判断力のある人間(民族)になれるように感じました。
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幕末明治維新・日清日露戦争, 2016/3/22
By 大谷
いやまったく、驚きです。18講義一気に拝聴です。やめられませんでした。
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学びの多い講座でとても満足しております。, 2016/2/16
By 村田
西先生の歴史講座は本当に面白い。歴史の真実に興味があり様々に情報を得る中で、物語は聞き飽きておるところでした。
今後ともよろしくお願いしますm(__)m◎
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日清日露戦争-《日本とユダヤ》, 2016/2/16
By 匿名希望
講座の第18講座に感動し、私もこれを信じます。
 この事の真実を早く誰かが証明して欲しいと思います。
日清日露戦争の全編を通じて、もう1歩突っ込んで欲しかった。いやあと半歩でも良いので突っ込んで欲しかったと思います。・・・真の独立国家になりたいと考えています。
私は長崎在住です。長崎は完全に平和ボケしています。特に被爆者は完全な被害者根性で且つ平和ボケです。
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驚いた, 2016/2/16
By 早坂勝男
如何に歴史の事実を知らないかを痛感しました。
西先生の親しみ易く平易な言葉でのお話しに吸い込まれてしまいました。
これからの人生に生かしたいと思います。
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お礼と質問です, 2021/7/17
By 翔太郎
素晴らしい講演をありがとうございました。
明治維新から大東亜戦争までの理解できなかった部分がかなり鮮明となってきました。

まだたくさんわからない部分がありますが、もしお分かりになるようでしたら教えていただければ幸いです。

①アヘンは日本に入ってきてどういう形になっていたのでしょうか?日本に入らない部分は何処かに流れて行ったのでしょうか?

②小村寿太郎の失策によりアメリカは親日から反日に変わっていってしまったということがよく理解できました。それは、恩知らずであった日本が悪かったと思います。資金集めを成功させた高橋是清はその時どんな反応をされたのでしょうか?

③山本五十六の真珠湾攻撃は仕組まれたように思えますが、山本五十六はアメリカで共産党思想に染まっていたのではないでしょうか?日本を破滅させて新しい日本を作るといったような考えを持っていたのではないかとさえ思いますがいかがでしょうか?
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高橋是清偉大なり, 2021/7/8
By 匿名
西先生、関係者の方

いつも歴史講座を視聴させて戴きありがとうございます。

こんな事があったのか、こういう流れに繋がって来るのかと感動、感銘、時には嗚咽するような史実を教わり皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。

この講座から派生し高橋是清自伝、武士道など講義に出て来た偉人をもっと知りたいと楽しんで歴史勉強できています。まるでトムソーヤの冒険記を読むように、是清自伝も読み進めています。

言を挙げて自決する、顧みず人命を助ける、命懸けで他国に入って来て、また命懸けで他国へ出て行く。歴史の登場人物は皆、覚悟して自ら行動していた。

今は護られている。守りながら何かを決めて行動する。そこには覚悟が無い。

日本の自虐感覚は根付いていますが、勝った強国の国民は自分達の歴史を肯定して今も生きている? それとも恥じている? そこは米国、英国の人に聞いてみた事がないので、気になるところです。

兎に角、西先生の道徳感、現実を観よというメッセージは良く伝わってきます。
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幕末・明治維新・日清日露戦争, 2021/4/13
By 末松 大吉
面白かった。あきがこなかった。すばらしい。
感動した場面は乃木大将(将軍)のところ。又、金のことに力を加えて大事にしなさいと、言われていたことが印象に残っています。
それから、ジョン万次郎、高橋是清みたいな人物が日本にいたことも知り、日本人を誇りに感じました。
 私は72歳です。そして今から、商いの世界で、日本一をめざいたいことがあり、これは是非、西先生に一度、ご相談したい気持ちになりました。これこそ運命の出会いかも知れません。
 私には取れたばかりの特許が140本ほどあります。個人のものです。天下一品と思います。逆にゴミかもしれませんが、一度、話を聞いてもらえませんか。西先生も変わったお人ですが、私も変わっていると思います。だから、運命の出会いになるかもしれません。
聞いてもらわなくても、西先生のファンです。
 080 5278 2743 末松 大吉
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大変興味深く拝聴いたしました, 2021/4/6
By 釜我 信善
歴史を学ぶとは、「見たいものを見て、見たくないものも見て、全てを知ることではじめて歴史の真実に触れることができる。歴史から学ぶことができる。」と西先生に教わった気がします。

個別の歴史上の事実関係も、はじめて触れることが多く、自分が何も理解できていなかったことを思い知らされました。西先生に感謝申し上げ、読後のコメントとさせていただきます。
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日本の全ての人が、知るべき真実!, 2021/4/3
By 松谷英子
素晴らしい内容だと感じております。
本当の日本の歴史を知ることの重要性は、私たち大人も含め、特に子どもたちには教えるべきと感じています。
私の夫は、海外で釣りの仕事をしていたので、西先生がおっしゃる通り、日本の国民性や親切にしてもらった事を
涙ながらに感謝されると聞いていました。
幸いなことに、子どもたちはリアルに、日本の戦争時(ミクロネシア連邦など)の様子や、近いうちに日本にも戦争は必ず起こるなど、そのような話しを聞いています。

私が特に驚いたのは、薩摩と長州が今でも喧嘩している!とは、本当に歴史を知ってなるほど、と思いました。
海軍が薩摩だったことも、海の男である主人も知らなかったので驚いていました。
西先生がお話しする歴史は、映画を見ているかのように頭の中に映し出され、その場にいるように手に汗が出てきます(笑)。
本当に何回も聞くことで、自分の中にある日本人の誇りや、これから自分たちがやるべきことを考えさせられ、
エネルギーに満ち溢れます!!

これからも、日本の為、世界のために、情報を発信し続けてください!全力で応援致します!!
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⑤ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

幕末明治維新日清日露戦争, 2021/3/28
By 十万石
日露戦争後にイギリスが日本から遠ざかったのはユダヤ金融資本にあると知りました。
その東洋版と言えます浙江江蘓閥〜ITビジネスアナリストの深田萌絵氏が教えてくださってます〜について日本とりわけ政治家の皆さんには、早急に知って対策して頂きたいのですが反応遅く先が思いやられます。
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戦争は儲けるための手段?つまり金持ち以外は必要のないもの。, 2020/8/28
By 小川圭子
戦争に美談なんてプロパカンダですか。
最近は過去の戦争を見直して、日本軍の行なったことは頭下げるような事じゃなかったという論調が多いですが、金儲けがしたい連中のビジネスが戦争なら、真面目に国のためと戦った人間は滑稽でしかない。
ただ、巻き込まれたくなくても無理なんでしょうね。
気になった点で、江戸幕府はオランダとうまくやっていて海外の情報にも通じていたようですね「オランダ風説書」「唐船風説書」が幕府の要人に届いていたようで。
イギリスからの宣教師たちは日本にやって来たが人身売買やお寺や神社の破壊など行うので江戸幕府に締め出されたんですか?明治維新での坂本龍馬達の資金源はなんであったのか。(日本人を海外に売り飛ばしていたのでは?萩藩は裏会計のシステム作ってお金作ったんですか?大分領民を苦しめたと言う話は本当ですかね。)
明治維新とは外国勢(英)のうまい話に乗って薩長の偉いどころが国取り&儲けたかったと言う構図が本当の所なのですかね?
かの福沢諭吉も国難を救う為にアメリカに日本人女性を売春婦として売りつけるなんて政策を進言して実際そんな事が進められた話がありますね。そんなこと知らなかった女性陣は異国で相当苦しんだようで。そこら辺の資料はアメリカにあったりするんですか?
昭和天皇については色々な話が出て来ていますね。どれが本当なんでしょう?其れとも全て本当なんですかね?西先生にはぜひ「ヒロヒトファイル」について語って頂きたいです。もちろん存在するならですが。
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幕末、明治維新、日清日露戦争, 2020/7/20
By 筒井修二
明治維新は、イギリスという先生の指導で達成され、日露戦戦争もイギリスの煽りにより戦わされ、覇権国イギリスの掌で踊らされていたことが分かりました。満州の開拓も国際資本の申し出を拒否した小村寿太郎の狭量により、欧米に憎まれるようになったのですね。
歴史観と世界戦略の展望の無さは、これからの日本の課題だと思います。
歴史を見破る西先生の深慮と情熱には、感服いたします。
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全体的な水準として, 2020/7/20
By 岡村勝鉉
自分は日本歴史を専攻としてた時が有りましたが、お金の回り具合が歴史を解釈させる近道と聞いて西さんは、転換的な講義をされていると、感心しました。近くのお年寄りでも詳細さに磨きがかけられたこのような話はできないでしょう。
然し、自分としては疑い深い性格上、料金を払い終えたとは考えてません、30日じわじわ考えて最後的に支払うか否かを決めたいと存じます。
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幕末・明治維新・日清日露戦争, 2020/7/20
By 新保 晃
日清日露戦争をなぜやったか、実は半分は「やらされた」という裏面がつかみとれました。なんと「わたしたち」はウブだったことか。目からウロコの連続でした。
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西先生講演, 2020/7/19
By 白川力朗
私は殆ど知ってたので物足りなかった。学生など、初心者なら面白いかも。また一面的な捉え方も多いように思えるので本にされたほうが解りやすいかも。それと話しぶり、話し方がスムーズとは程遠い。ミスも大変多い。質問者の声も小さい。字幕も見づらい。総合的に商品としては私には極めて疑問があると考えています。改善の余地は数倍あるかもしれません。
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13番目のユダヤ部族, 2020/7/18
By 佐藤健
スターオブデイビッド と 伊勢神宮
強烈な一致です。いやもう 伝説が正史という先生のお言葉に たまげました。 勉強好きで知恵者という日本人の性質とよく似ているのは、偶然では無いということですね。 ただ現在のディープステートは 正直言ってあまり好ましくないと感じます。
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