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日本を救った “ユダヤ・マネー” 🇯🇵日露🇷🇺戦争を支援した第三国の正体

   実は…【まるで闇金のような高利貸】👇  メチャメチャ儲かった〜!

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西鋭夫の歴史講座「日清日露戦争」( 下記は、6/17まで公開です。 )


 < 日本を救った“ユダヤマネー”   >

日本を救ったユダヤマネー
日露戦争を支援した第三国の正体

本日から期間限定で
こちらの動画を公開しています。

強大なロシア帝国を倒し、
日本を一躍有名にした日露戦争。

実はこの戦争、
“ユダヤのカネ”が勝敗を分けたことを
ご存知でしょうか?


今すぐ動画を見る
西鋭夫の歴史講座「日清日露戦争」

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「アジアの小国がロシアを打ち破った」

1905年、日露戦争が終結。
最強と謳われていたロシア軍の敗北は
世界に衝撃を与えた。

勝利したのは極東の島国・日本。

有色人種がヨーロッパの強国を倒した史上初の快挙に
アジアの国々は歓喜に沸いた。

当時、強大な軍事力を持つ欧米列強は
競って植民地を拡大。

アジアの途上国では理不尽な搾取が横行し、
抵抗した民衆は容赦無く虐殺されていた。

「アジア人は欧米の奴隷」という時代の中、
日本の勝利は多くの人々の希望となった。

しかし、ここで1つ疑問が残る。

当時のロシアといえば
あのバルチック艦隊を有する
世界有数の軍事大国。

資金・装備・物資。
全てにおいて日本を上回っていた。

なぜ日本はロシアを
打ち破ることができたのだろうか?

奇跡的な勝利の裏側には
日本に手を差し伸べた
“ユダヤ人”の存在があった。


日本を救ったユダヤマネーとは?

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< 日露戦争を支援した“第三国の正体” >

[video]
日本を救ったユダヤマネー
日露戦争を支援した第三国の正体

日露戦争の勝利の裏には
劣勢の日本に手を差し伸べた
第三国の存在がありました。

===

1904年2月
日露戦争の開戦直後、
日本は危機に瀕していた。

当時、ロシアとの国力差は
面積60倍、国家歳入8倍、陸軍総兵力11倍…
これは、大東亜戦争開戦時の
日米の差よりもはるかに大きく、、
日本は滅亡の危機にあった…

それだけではない。
ロシアとの国力の差に加えて、
大本営を悩ます深刻な問題があった。

とにかくカネが足りないのだ。

実際、日本政府が用意できたのは
ロシアとの戦争に必要な資金の
半分にも満たなかった。

国内になければ、外国から借りてくるしかない…

日英同盟を結んでいた
イギリスの支援に一縷の望みをかけ
ロンドンでの資金調達を試みた。

ところが、、

「同情はするが。カネは貸せない」

イギリスの反応は想像以上に冷たく、
必要な資金の半分しか集まらなかった。

このままではロシアにやられてしまう。

そんなとき、、

「残りの半分を私が出そう」

絶望的な状況の日本に
1人の男が手を差し伸べた。

そして、この男こそ、
日露戦争で日本を勝利に導いた
“第三国“を動かした中心人物である。

>"第三国"の正体を知る


P.S.

もしかすると、歴史好きのあなたなら
この第三国の正体は
すぐに見破れるかもしれません…

しかし、どうして日本はこの国を
味方につけることができたのでしょうか?

その真相は
ユダヤ人とロシアの
知られざる関係に隠されていました。


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< 明治天皇が称賛したアメリカ人 >

1904年、日露戦争。

日本の劇的な勝利の裏には
1人のアメリカ人の存在がありました。

日本を救ったユダヤマネー

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日露戦争の直後、
1人のアメリカ人が
日本政府に招待されました。

宿は横浜の高級ホテル。

丁重な出迎えを受けた彼は
明治天皇と謁見し、
最高勲章の勲一等旭日大綬章を贈られます。

この勲章は伊藤博文をはじめ
当時の首相・桂太郎や東郷平八郎など
数々の功績を挙げた公家、士族が受章していますが、
外国人の受章は極めて稀なことでした。

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その男の正体は
世界有数のユダヤ系財閥のトップ
ジェイコブ・シフ。

全米ユダヤ人協会の会長を務め、
大統領セオドア・ルーズベルトとも親交が深い
政財界の実力者。

しかし、なぜアメリカの富豪が
明治天皇から勲章を授与されたのでしょうか?

実はシフの“ある動き”がなければ
明治日本はロシアに敗北し
滅亡していたとさえ言われているのです。

明治天皇が称賛した“シフの功績”とは?
その真相をぜひこちらからお確かめください。

>明治天皇が称賛したシフの功績とは??

P.S.

シフを称賛したのは
明治天皇だけではありません。

昭和天皇も
ユダヤの国イスラエルの大使に

「日本人はユダヤ民族に感謝の念を忘れません。
 かつてわが国はシフ氏に大変お世話になりました」
と仰せになったといいます。

一見、日露戦争といえば
日本とロシアの問題のように見えますが、

この一件からも欧米やユダヤ人など多くの勢力が
絡んでいていることが分かります。

アメリカ、イギリスはどちらの味方だったのか??
ユダヤ人はなぜ日本を支援したのか?

彼らの思惑を解き明かすと
明治日本史の裏側が浮かび上がってきました。

>日露戦争と欧米の思惑


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< 明治日本とロスチャイルド >


西鋭夫の歴史講座
「幕末・明治維新・日清日露戦争」


[本日まで]講座の詳細はこちら
西鋭夫の歴史講座「日清日露戦争」
https://in.prideandhistory.jp/nirk2_cpp_2106?cap=HS4

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今回のキャンペーンでご案内している
西鋭夫先生の歴史講座は

明治維新、日清・日露戦争を
カネの動きという新しい視点から観察し
教科書には載らない
私たちの祖先の偉大な功績を
解き明かしていきます。

本講座では
単に歴史を学ぶだけではなく、
当時のイギリス・アメリカ視点の考察を
多く盛り込んでおり

スタンフォード大学フーヴァー研究所で
長年日米の歴史を研究されてきた
西先生ならではの講座となっています。

それでは講座の内容を
ご紹介していくと、、

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<第1章>明治維新
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第1章では
維新の志士の知られざる功績、
当時の日本を狙っていた海外スパイ、
ペリー来航の真実と欧米の謀略など

明治日本の偉業と
その裏側を解き明かしていきます。

目次の一部をご紹介すると、、

「ペリー来航の目的」
英国v.s.米国の闘争 

「アーネスト・サトウ」
明治維新を作った天才スパイ 

「日英同盟」
三国干渉とロシアの脅威​

などなど、
教科書には載らない
先人の葛藤や思いを知り、
今の日本の基礎となっている
明治日本のなりたちを深く理解することで
心の底から日本という国を
誇りに思えるようになります。


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<第2章>日清戦争
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第2章では
明治日本初めての対外戦争
日清戦争をみていきます。

なぜ日清戦争は始まったのか?
背後にあった諸外国の思惑を知ると
通説とは違った真相が見えてきました。

目次の一部を紹介すると、、

「明治維新と不平等条約」
高杉晋作の絶望と決意 

「薩摩と長州の内部分裂」
日本を破滅させた明治憲法の穴 

「東インド会社の残虐統治」
歴史から消された関東軍の秘密 

などなど日清戦争を
「世界史視点」で観察すると
当時の日本の外交力や兵力が
いかに優れていたかを実感できることでしょう。


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<第3章>日露戦争
=========
第3章ではいよいよ
明治最大の謎・日露戦争について
取り上げていきます。

なぜ日本が大国ロシアを
打ち破ることができたのか?

実は数々の日本人の偉業によって
大国ロシアをギリギリで撃退していました。

彼らの活躍がなければ
今の日本はなかったかもしれない、、

大国ロシアに挑んだ男たちの
熱いドラマとその生き様を
西先生にお話しいただきました。

目次の一部をご紹介すると

「三国干渉と日英同盟」
ロシアの賄賂に屈した清国

「日露戦争と高橋是清」
日本を救った二人の男とフルベッキ

「高橋是清とジェイコブ・シフ」
史上最大の戦費調達と恐るべき担保

開戦の秘密から
日本に協力した海外の思惑まで
日露戦争のウラを暴露します。


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<第4章>戦争とカネ
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最終章では戦争とカネをテーマに
世界の歴史を徹底解説していきます。

ロスチャイルド家の秘密。戦争とカネの話。
そして日本とユダヤの知られざる関係。

目次の一部をご紹介すると

「小村寿太郎の失策」
利用されたハーバード卒エリートの末路

「ユダヤ人とロスチャイルド家」
ユダヤ人はなぜ莫大な資産を築けたのか

「日本とユダヤ」
日本はなぜナチスからユダヤ人を助けたか

この章で世界の裏側を知り
新しい視点を手に入れると、

これまで学んできた歴史が
全く別物に見えることでしょう。


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「戦争と財閥」ロスチャイルド家の言えない秘密 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=kWII1Exg6H0&t=993s

( 下記は、コメント欄よりの転載です。)  _φ(・_・

もともとロスチャイルドは、ミズラヒムでゲットーに移住して、ナポレオン大暴れ時に、ハプスブルグ家の家臣の財を爆上げして、ハプスブルグ家から貴族になり、タクシス家(情報屋で、今でも10段階の暗号利権屋)と仲良くなって
子ども達を主要国に分けて、大陸封鎖令時に 5人の息子 が密輸でぼろ儲けして、ナポレオン敗北でネイサンが儲けて、イングランド中央銀行を手中に収めて
コモンウェルス・オブ・ネイションズの中央銀行の株主で、情報と政策が筒抜けで空売りだろうが、ニクソンショック時の伝説の金の移送も大統領に知らせずに出来ちゃうと。

ナチスが排除しようとした『アシュケナージユダヤ』は、共産主義というウイルスを作った張本人ではなかったか?
『スファラディユダヤ』と『カトリックの拝金主義者』と『プロテスタントの拝金主義者』と『ロスチャイルド』も共同開発したとされる、武器循環経済システムの一つの共産主義。フランス革命時に英国は傭兵と武器を送り儲けている。半壊させればその国の主要な産業の株主になれる。

この下りからマルクスは、資本主義経済では貧富の差が出来て定期的に革命を勃発させ、武器は売れるし、国家にたいしての国際金融資本家は、そもそも両方に投資していればどちらも富んで、利権や領土でもめれば戦争となり武器は飛ぶように売れる。

またどちらが負けるかを事前に察知しておれば、ネイサンのような必殺技も決めれるし、どちらが勝とうが負けようが共産主義だろうが民主主義だろうが半壊しており貸せるしまた事業に投資する。太ってきたらまた刈れば良い。こう考えたでしょう。

マルクスのパトロンはロスチャイルド家であったし、貴族に昇格していることからイギリスは黙認、容認していたでしょう。この武器循環経済構想はマルクス以前にイルミナティの構想と似ており、ローマ法皇が破門にした集団があったと思う。そのアイデアはドイツでは受け入れられずイギリスで承認されたようにも思う。

論理破綻している共産主義は方法論がない。お金という価値交換券自体を無くす方法も変わりとなる方法もないので、結局国際金融資本家が儲かることになっている。中国中央銀行の大株主もロスチャイルドであるしね。

何となく二次大戦時の枢軸国の正義も見えてくる。ナチス、イタリア、日本陸軍。
オスマン帝国を解体されたあとに歴史の事実を検証する中東地域の国々で、当時の列強でまともだったのは日本だけだとして、良く思ってくれている国が多いのもよくわかる。もちろんヨーロッパのドイツとイタリアは異教徒節があるし、東の果ての日本とは争った記憶が無いから美化されているってのはあるし、天皇が国際金融資本家の一人じゃないってのも影響しているでしょう。

その後の米ソ冷戦という茶番劇からもよくわかる。北朝鮮への投資もアメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、スイスと、そうそうたるメンバーが揃っている。
共産主義に限らずアフリカ、中東、西アジアで紛争が絶えないのは、中古の武器をさばくために作られた 武器 循環経済 諸地域で、対立軸を作り、武器を売り、恨みの連鎖を作り、募金をツノって、支援という雇用を成り立たせる二重どりという、荒技ですから 随分残酷だが 随分賢いな とも思ってしまう。

『シラス』という他者、他国の文化伝統、アイデンティティを知り『和』を模索しなさいする天武と持統夫婦のアイデアと、『ウシハク』という大陸特有の力あるものが何もかも支配するという覇道的精神が先の大戦でぶつかり、『シラス』が負けたと見ても『シラス』は消えなかったが事実。天皇はいまだに『シラス』を行動で示し続けている。

日本の王朝が長く続いている理由が良くわかる。私はやはり人類共通部分の金・権力・食う・寝る・健康・娯楽に焦点を当てたやすいグローバリズムより、他者・他国の文化・伝統・を知り、共存を目指す和の精神である『シラス』のほうがずっとグローバリズムだと思う。

ただこれも綺麗事だけでは済まない。日本も国民年金機構が軍産複合体ヘッジファンドであるブラックロックに、多額の投資を行い多額の利益を得ているが、これはこの数の日本人を老後もこの日本で豊かに過ごしてもらうために、ちょびっとお金を配るのにも大変だってことも知っておかなくちゃいけない。

気の弱い人は、私の年金が他国の人々の争いの道具から捻出されているなんて…人の命を奪っているのは私なんじゃ…と思ってしまうかもしれないが、そっちにいっちゃいけない。たくましく生きてできることをコツコツやって今よりちょっとだけ良い世界を後世にバトンパスするというような、民主主義的リアリスト思想で、、とんでもない経験値と、とんでもなく長い歴史を抱きしめる日本人であり続た方が良い。


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小村寿太郎の“功罪”とは – 認定特定非営利活動法人 岡崎研究所
http://okazaki-institute.org/articles/modern-history/08-05

小村寿太郎の“功罪”とは
2009年12月1日

 小村寿太郎ほど、一見、その功罪がはっきり論じられる政治家、外交官も少ない。

 日露戦争で、地上戦を決した遼陽の会戦ではロシア側23万人に対して日本側13万、奉天の大会戦では、ロシア側32万、砲1200門に対して、日本側があるだけ集めて25万、砲990門であり、弾薬量はロシア側が圧倒的に優勢である。

 無謀とも言える戦闘であるが、時間がたてばロシアはシベリア鉄道で輸送してきてもっと増えるから、日本としては決戦を挑む以外に選択肢が無かった。これを見るだけで開戦の時期が日露戦争に決定的な影響を与えたことがわかる。

 もし開戦がひと月遅れていたならば、日本軍は遼陽までも行けなかったかもしれない。鴨緑江の対岸のロシア基地の要塞化が進んだだけで満州に入るのも難しかったであろう。その間築城を続けた旅順を落とすのに6万の死傷者を必要としたことを見てもわかる。

 これはギリギリ間に合うように開戦を早めたのは小村の功績である。

 北清事変を奇貨として、ロシア軍が満州に進撃するが早いか、小村はロシアによる満州占領は不可避と判断し、ヤルタの保養地まで行ってウィッテに満韓交換論を提案する。

  ところが、ウィッテの反応は、一言で言えば、ロシアは日本が同意しようとしまいと満州は自力で取れる。韓国との交換など必要としない。満州を取った後は、次は朝鮮半島だから、今から譲る気はないということであった。

 重臣たちは戦争直前まで満韓交換に希望を託したが、その4年前の時点で、小村は早くも、満韓一体論、つまりロシアに満州占領を許せば、次は朝鮮を取りに来る、したがって、満州を守るしかないと見極めて、極東ロシア軍の戦備が整わないうちにこれを撃破する早期開戦を主張し続けるのである。

 小村の思惑通りならば、1903年11月ロシアが北朝鮮に入った時にもう開戦であったが、明治天皇、重臣たちの慎重論を克服して開戦するまで更に3カ月を要した。それでもこのようにギリギリのタイミングで開戦出来たのは、小村の働きと言って良い。

 他方、小村の罪はすでにポーツマス条約交渉の時に兆している。

 ローズベルトは、小村に対して妥協による講和を説いたが、小村は言うことをきかない。かえって、東京に、「領土と賠償という目的を達成できなければ戦争継続を決断するほかない」と意見具申の電報を打つ始末である。そこでローズベルトは金子堅太郎を通じて日本の首脳にい直接訴え、閣議では小村の意見具申は斥けられて講和が受諾された。

 戦争継続を叫ぶ国民の怒りを覚悟の上で甘んじて平和を達成した英雄というのは戦後の日本の平和主義が作り上げた虚像である。彼は終始タカ派中のタカ派であった。ただ、まるでハト派の代表のように世論の非難を浴びながら、死ぬまで一言も弁明しない男らしさが彼の真骨頂である。ただ、ポーツマスでは小村は元老と軍に抑えられて、無念の涙をのんで講和条約を受諾しているので、国に実害を及ぼしていない。

 しかし、小村が日本の将来を危うくする行動をとるのはその後である。ハリマン提案をつぶした経緯については、今や中高の教科書にも出ているのでここで詳説はしない。

 ただ、もし日本がハリマン提案を受諾していたならばどうなっていただろうか。

 小村の生地飫肥(おび)には小村記念館がある。そこに戦前に建立された石碑の拓本か写真が展示されているが、その碑文は、もし、あのときにハリマン提案を日本が受けていたらば今の満州国はなかったであろうと、小村の先見の明を称えていたと記憶する。

 人間の評価は棺を覆うて定まると言うが、死後20年以上を経て評価されれば以て瞑すべし、とも言えようが、その評価は敗戦で逆転する。しかし、私は20年後の評価でも誉めすぎと思う。それで良かったのは日本にツキがあったからに過ぎない。

 ロシアはその後、ドイツとの死闘と革命で、日露戦争の復讐どころではなくなってしまうが、もしロシアが再び攻めて来た場合―ロシアのバルカン進出の歴史を見れば、必ず失敗を取り返しに来たと思う―満州にアメリカの利権があれば、日本は日英同盟に加えて、アメリカの協力も期待できた。

 それより興味深いのは、もしアメリカが満州に利権を持ったならば、どうなったかである。当時はセオドー・ローズベルトの帝国主義時代である。満州を足場として、日英同盟と協力して中国の利権獲得に乗り出していた可能性は大きい。日露戦争後、米国は日本の満州独占を排除しようとして、多数国の借款団を提案するが、それは中国の門戸開放という建前よりも米国の進出のチャンスを求めていた面が強い。

 そうなれば1930年ごろから国民党政府が満州の国権回復運動を始めた時は、既得権益保護は日英米の共通政策となっていたであろう。第一次大戦後日英同盟の仮想的はロシアでなくなり、1920年代には中国の国権回復運動から両国の既得権益を守ることが共通課題となっていた。そういう状況では、米国も日英同盟の廃棄要求は必要なくなるわけである。

 その結果世界はどうなっていたであろうか。日英同盟が続いていたかぎり、大東亜戦争は無かった。英国が香港を返還したころに日本も遼東半島を条件付きで返還したこととなっていたかもしれないが、アジアの解放は半世紀遅れたこととなっていただろう。

 そこまで考えると、歴史上の個人の功罪を考えることの空しさがわかる。

 小村の功罪を論じることから始めた論文ではあるが、ここまで考えると、歴史とは、各民族、各個人が、その時代を生き抜こうとして行った必死の努力の積み重ねによって生じる流れであり、その是非善悪など論ずることはおこがましい、と思わざるを得ない。


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なぜ外務省がダメなのか
https://www.amazon.co.jp/-/en/gp/customer-reviews/R3A0DDBVNW7FVO?ASIN=4915237761

本書は外務省の実態だけでなく、国益を追求する姿勢と責任感の欠如、旧態依然とした業績評価と人材育成を批判する。
大平内閣で始まったODAから河野談話、機密費横領事件や「新しい教科書を作る会」への外務省の妨害、その他の主な外務省絡みの事件の紹介までと幅広い。
昭和史にも多くページを割いており、昭和史ファンも納得できる内容。

日露戦争で外交的にも勝利を納めた小村寿太郎が、満鉄をめぐる日本政府と鉄道王ハリマンの交渉を白紙に戻した大失策に始まり、蒋介石の南京政府に対する交渉打ち切りを避けようとする陸軍に対し打ち切りを近衛首相と共に強行した外務省、真珠湾攻撃を「だまし討ち」とさせる口実を与えてしまった一等書記官・奥村勝蔵の責任と‼️その彼を戦後外務省の事務次官に抜擢した吉田茂‼️の無定見、広田弘毅や松岡洋右の読みの甘さ、外交の当事者としての粘り強さに欠けた東郷茂徳の様子も出て来る。

見開きで「南京事件は原爆投下を正当化するため占領軍によって創作された」が大きく扱われていたのには驚いた。
そういえば、2010年の坂東忠信氏(元通訳捜査官)のメルマガ「毛沢東が認めた南京虐殺の犯人」によると、虐殺肯定派が論拠とする雨花台(国民党の刑場の跡地)にある烈士陵は「国民党によって共産党の愛国烈士30万人が虐殺された」とあるそうだ。国民党の掃共は5次に及び、共産党は「長征」(実態は国民党からの大逃亡)で10万の兵を数千まで減らしたという。

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