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大東亜戦争の舞台裏 🐧💦 三重県の日教組は三教組。教師が反日。 ((((;゚Д゚)))))))

遅くなってしまいました〜。もし、お時間が都合つく方はご覧くださいませ〜。PRビデオは2本あって、松浦氏のも良かったです。下記は講座PRメールよりの転載です。あ〜、もっと早く見れば良かった…m(_ _)m

大東亜戦争の舞台裏

👇  こちらはまだ公開中らしい。クリック❣️ 👇

こちらはもう公開終了しました👇

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上島嘉郎氏,江崎道朗氏 推薦講座
『古事記と日本書紀』
〜日本の「完璧ではない」神様のものがたり
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※23:59を過ぎるとこちらの
ページは消されてしまいます。、


今日は、産経新聞「正論」元編集長
の上島嘉郎さんから、この新講座に
対してメッセージをいただいております。


* * * * *

こちらのYouTube動画は、この先も公開中かも…⁉️🐧💦⁉️

* * * * * 

日本の永続のために…糸を紡いで継いでゆく
――松浦光修さんの歴史講座に期待する

松浦光修さんの
歴史講座「封印された日本文明の真実」
を楽しみにし、また大いに期待しています。

私が、松浦さんに初めてお会いしたのは
平成11(1999)年でした。

当時松浦さんは
皇學館大学(三重県伊勢市)の助教授で、
私は産経新聞社が発行する
オピニオン誌『正論』の編集者でした。

どうも三重県の公立学校の
教育がひどく偏向しているらしい、
という話は耳にしていましたが、
上京された松浦さんから
実際の話しを聞いた私は、
「日本人の”心の故郷”とも云える
伊勢神宮(正称は「神宮」)
のお膝元にありながら、
そんなにひどいのか」
と思わず口にしたのを今でも覚えています。


その頃、三重県教職員組合(三教組)は
組織率日本一を誇っていました
(現在も日本有数の組織率を維持)。

松浦さんは、その日教組王国に果敢に挑み、
不法な勤務時間中の組合活動や、
反日的な授業方針などの実態を
『正論』などのメディアを通じて追及、
文科省や県議会も看過出来なくなり、
ついに三教組は、実際は組合活動だった
勤務時間中の給与(約11億円)を
“寄付”というかたちで
返還せざるを得なくなりました。

松浦さんは国史を専門とする
学究の徒として歩んでこられましたが、
「日本人として生まれながら
日本への愛と誇りのない子供たちを、
これ以上増やしてはならない」
というやむにやまれぬ思いから、
日教組との闘いに身を投じたのです。

「『日本らしい日本』で暮らしたい。
日本男児と大和撫子に満ちた尊い国、
その国があることを信じ、
信じる仲間たちと、その日本に
“帰還”出来る日まで微力を尽く。」

そう語る松浦さんは、
私の盟友でもあります。

大東亜戦争が敗戦という
かたちを強いられたことで、
今日の私たちは、戦前の日本とは
細々とした幾筋かの糸に繋がれるのみで、
その連続性を断たれようとしています。

糸を手繰り寄せ、
日本人としての思いを継いでゆく。

神話、皇室、言葉…守るべきものを、
松浦さんの語りのなかに
是非見出していただきたいと思います。

上島嘉郎

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本メールは、
上島嘉郎氏が推薦する

皇學館大学教授 松浦光修先生の
メールマガジンをお送り致します。
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※これは過去のブログ記事を転用しています。
※平成20年12月に執筆されたインタビュー記事です。

「庶民」から起こった尊王思想

外国の脅威から
守るべき同義国家とは
何かということで、
尊王思想が浮かび
上がってくるということですね。

外国からの脅威に直面して
「尊王思想」が生まれる一方で、
“では、守るべき日本とは何なのか”
ということを、
みんなが考えはじめ、

“日本は天子さまの国だ”
という事実に、
改めて思い至ります。


戦後の日本では、
学会でも一般でも、
尊王思想というのは、

「単なる政治スローガンだ」とか、
「幕末に一部の知識人が創り出した
 イデオロギーで、
 それを明治政府が利用し、
 国民に教育した」

とか言われていますが、
それは大間違いです。

尊王思想と言われるものの根底には、
天皇や朝廷を尊いもの、
と感じていた一般の民衆の
潜在意識が横たわっているからです。

後ほど触れると思いますが、
幕末に尊王思想が高まる背景には、
江戸時代における諸学問の興隆があります。


近世の尊王思想の源流とされる
「崎門学」の始祖・山崎闇斎は、
鍼医者の息子です。

江戸時代中期に勃興した
国学の大成者・本居宣長は、
木綿問屋の息子ですし、

十九世紀始め頃に
後期水戸学をスタートさせた
藤田東湖は、古着屋の息子でした。

つまり、みんな庶民の出身です。
 

ですから、
“尊王思想は庶民の思想、
民衆の思想”だ、
と私は言っているのです。

その背景にあったのは
伊勢信仰とか、富士講などの、
神道的な思想でしょう。


実際、よく知られているように、
江戸時代初期から、
伊勢参りが
全国的に流行しています。

江戸時代には、
雛祭りも大ブームになりました。

お金のない庶民は、
土で雛人形を作って飾ったのですが、
お内裏さまとお雛さまといえば、
言うまでもなく
天皇、皇后両陛下なのですから、

そういう尊い存在に対する敬仰の念…、
憧れが、全国民に浸透していた、
ということでしょう。

また、江戸時代の商人たちは、
荷物を安全に輸送するために、
しばしば公家の定紋入りの札(会符)を
付けました。

会符を付けると、
山賊から襲われたり、
荷を抜かされたりされにくかったからです。

つまり、
公家の荷物には手を出しにくい、
という心理があったということで、

間接的ながら、
天皇や朝廷がいかに
権威をもった存在であったか、
ということを示唆していると思います。


さらに興味深いのは、
桃園天皇が崩御された直後の、
東北のある村の百姓の日記には、
「大たいり様ほうきょ(崩御)」
と書いてあります。

また、年号が
「文化」と改められた時、
地方の農民が残した記録には、
“年号が、朝廷によって発布された”
ということも書いてある。

当時は「禁中並公家諸法度」によって、
年号を決める権限は
幕府が握っていたことになっていますが、

“天皇が年号を変えて、幕府が従った”と、

民衆には認識されていたということです。

つまり、
民衆意識のなかには、
「上の天皇、下の幕府」という図式があった、
ということです。

皇學館大学教授 松浦光修


* * * * *

松浦光修(まつうら・みつのぶ)/ 歴史学者

昭和34年、熊本市生まれ。
皇學館大学文学部を卒業後、
同大学大学院博士課程に学ぶ。
現在、皇學館大学文学部教授。博士(神道学)。

専門の日本思想史の研究のかたわら、
歴史、文学、宗教、教育、社会に関する評論、
また随筆など幅広く執筆。全国各地で、
講演活動をつづけている。

<著書>

『大国隆正の研究』(神道文化会・平成13年)
『大国隆正全集(編者)』第八巻・補遺(国書刊行会・平成13年)
『竹内式部』(皇學館大学出版部・平成7年)
『やまと心のシンフォニー』(国書刊行会)
『いいかげんにしろ日教組』(PHP研究所・平成15年)
『夜の神々』(慧文社・平成17年)
『永遠なる日本のためにー“女系天皇“は天皇といえるのか』(四柱神社・平成18年)
『【新訳】南洲翁遺訓 西郷隆盛が遺した「敬天愛人」の教え』(PHP研究所・平成20年)
『日本の心に目覚める五つの話』(明成社・平成22年)
『【新訳】留魂録 吉田松陰の「死生観」』(PHP研究所・平成23年)
『楠公精神の歴史』(湊川神社・平成25年)
『日本は天皇の祈りに守られている』(致知出版・平成25年)
『【新釈】講孟余話 吉田松陰、かく語りき』(PHP研究所・平成27年)
『龍馬の「八策」 維新の核心を解き明かす』(PHP研究所・平成29年)



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