見出し画像

「日本人の底力」 無名の青年が、世界最高峰に登り詰めるまで

下記は、西鋭夫氏情報の転載です。。。実は、私🐧が生まれて初めて日本から✈️外国へ行った時、その行き先はアメリカの西海岸でした。今から20年どころか、もっともっと〜むかしの話です。

西鋭夫氏ゆかりのスタンフォード大学のキャンパスを見学したり、スタンフォード大学の学生さんご夫婦が住まわれている、立派な学生寮のお部屋に招待されて…、大〜きなビーフ・ステーキをご馳走になったりしました。その赤身肉のビーフ🥩ステーキのブ厚くて美味しかった事…。

それ以来スタンフォード大学と聞くと、すぐ、その分厚くて美味しいステーキが、頭に浮かんでしまいます。あと🍨アイスクリーム🍦も濃厚で美味しかったなぁ〜💕🐧 。 英語の勉強よりも、現地で食べた美味しい食べ物のことばかりが、なぜか今でも記憶に残っていて、やれやれ…です。 σ(^_^;)💦

画像1

🔴「日本人の底力」 無名の青年が世界最高峰に登り詰めるまで

日本人の底力
無名の青年が世界最高峰の座に登り詰めるまで

これは、一人の男の手記である…
「日本を出てから35年後…かつての日本はそこに無かった」
ただ唯一、日本に残っていたもの、それは…

1964年。 東京オリンピックのおかげで日本人の「海外旅行」が自由になったこの年…
一人の男が米国への留学を決意した。 それまでの日本は戦後19年間も鎖国状態…
日本人の海外旅行は日本政府やGHQによる強い規制を受けてきた。そんな中、抱いた一つの夢。

「海の向こうを見てみたい」

当時、大学を卒業したばかり。右も左もわからない22歳だった青年の物語が幕を開けた…

From:西鋭夫
スタンフォード大学フーヴァー研究所より

画像2


立ちはだかる壁

当時の私は「海の向こうはどうなっているのかなァ」と想像をめぐらすだけ… 少ない輸入品を「舶来品」と呼び、海外からの船で運ばれてきたものを「高級」と崇めていた。

「留学」といっても簡単ではない。大きな本屋にも留学に関する本は1冊もない。コンピューター、Eメール、ホームページ、スマホなぞ発明もされていない。米国の大学情報を探すのは、手探りだ。大学案内書があると聞き、「アメリカ文化センター」を訪れる。もの凄い数の案内書。中には辞書ほどの分厚さのものもあったが、もちろん全て英語だ。案内書全てに目を通すつもりで意気込んでいたが、2日目の午後には不可能と悟る。それでもなんとか拙い英語で「入学願書を送ってください」と手紙を書いた。

1ヶ月ほどして、3校からの願書が届いた。見たこともない英単語が1行に数個もあり、願書の書き方もよく分からない。友人たちはとうに就職が内定しており、卒業式まで遊ぶぞという強い決心 を顔にあらわにしていた。日本は高度経済成長期に突入しており、4年生全員が数社から内定を貰っていた。

3月上旬の卒業式で大学生活が終わり、友人たちはスーツとネクタイで身を かため、日本経済の戦士へと変身してゆく。 顔つきまで凛々しく「大人っぽく」なっていった。私は「留学する」とあちこちで吹聴していたのだが、どこへも行けない。英単語の辞書丸暗記に集中しようと努力はしていたが、良家のお嬢様たちとのデートに一所懸命になっていた。「留学」とほざいている者が一人もいなかったので、私だけが取り残されたという孤独感に襲われ、一層デートに熱が入った。

4月上旬。コロンビア、ワシントン、ハワイ大学の3校から入学許可が届いた。だが、どの大学にすれば良いのか分からない。隣に住んでいた秀才のお兄ちゃんに相談し、ワシントン大学へ「行きます」と返事をし、ようやく行き先が決まった。しかし、本当の試練はそこからであった…

画像3


米国で受けた洗礼

新学期は9月中旬。最初のゼミでは、頭の中が真っ白になる、というどころではなく… もはや色さえも存在しなかった。6人の大学院生と教授との討論が授業。大声を出して長くしゃべっている者が勝っていた。私の地声も大きいのだが、教授や院生の英語が全く分からない。辞書を丸暗記したおかげで、単語力はかなりあったのだろう。3クラスを取っていると、一晩で90ページ。ムリ。
私は、90ページ読むのに9時間費やした。 毎晩徹夜しても間に合わない。最初の1年間はあまり眠っていない。週末はぶっ倒れるように昏睡した。

画像6

努力が報われた日

だが…ある日突然、学生が早口で怒鳴り合っていた意味不明の英語が80%聞き取れた。暗号のような「雑音」が突然解読き、知識への扉が一気に開く。 日本で丸暗記をしていた単語が一斉に息づき、それまでの屈辱的な辛抱と 必死の努力が報われたようでワクワクするほど嬉しい体験だった。最初の1年目を劣等生でもいいから通過すれば、2年目から楽しくなっていったのだ。

通常2カ年で取得できる修士号を3カ年かけて取り、一度はビジネスマンとして米国の会社に勤務した。数年後、無限の冒険を求めて学問の世界に入ることを決意。ワシントン大学の博士過程に戻り、政治と教育の関係を研究。しかし、博士論文の執筆には、極度のストレスがかかる。10人の院生が博論を書き始め、厳しい審査を無事通過するのは、2、3名ほど。そんな博論であったが、私はとても相性が良かった。英会話力が卓越していなくても、読解力と文章力があれば優等生になれる。思い返せば、渡米の途中で立ち寄ったハワイ。あの頃、必死に英語を勉強せねばと自覚していたので、毎晩テレビを相手に英会話のマネをしていた。さらに週3回、夜7時から2時間、英会話教室に通った。

私が「ワシントン大学の大学院に留学するのだ」と先生に英語で言うと… 驚きのあまり、しばらく沈黙が続いた。「ムリムリ」という哀れみの沈黙から数年…
博論を書き始めて、初めて「学問の自由」を体験。自由奔放に書いた。ワープロのない時代なので、IBM製のタイプライターを打ちながら、毎日が楽しかった。

画像4


「ドクター西、おめでとう」

「トシオが凄い博論を書いている」との噂がワシントン大学の総長の耳に届いたのか… キャンパスでばったりと総長に出会った時、「トシオ、博論審査会にボクも参加していいか」と尋ねられた。
ワシントン大学の学部と大学院の在学生は4万人で、院生が2万人。激務を抱えている総長が院生の博論審査会に出席することなぞ、ない。「総長先生、光栄です」と答えた。審査の日、5名の教授が階段教室の最前列に座り、その前で私は床の椅子に腰掛け、教授たちからの質問に答えられますようと半分お祈り状態だ。そこへ、総長が現れた。 教授たちはびっくり。 私の説明で教授たちは納得。「トシオ、この博論は出版されるべきだ」との称賛で審査はほぼ終わり。

「ドクター西、おめでとう」で、博士号を授与された。私は博士号を取得した直後からスタンフォード大学フーヴァー研究所で学術研究に没頭した。

画像7


異国からみた日本

太平洋という距離を隔てて「日本」が初めて鮮明に見えた。 異国で、初めて「日本人とは」を体験。永い在米を通して、日本人としての自覚が高まった。

ヴェトナム戦争の深傷と不況に米国が苦しむ一方… 日本は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われて舞い上がっていた。世界の銀行のトップ・テンは日本の銀行。日本と日本人が桁違いにお金持ちになっていた。しかし、日本を出てから35年後に一時帰国したとき… 日本には、あの燃えるような情熱と「日本のために」という心意気で1964年の東京オリンピックを大成功させた「昭和日本」はなかった。年号も「平成」と変わり、日本は目を見張るような経済大国になってはいたが、「占領」「戦後」の惨めな牢獄に繋がれたまま近隣諸国に侮辱され、「国の気位」という魂の鼓動を求めて彷徨っていた。

元号が「令和」となった今でも、掴みどころのない空虚が漂っている… 我慢することばかり、無気力になるばかりの毎日ではないのか… 平成の初めに輝いていた経済がシャボン玉のように弾けた後、日本で何か楽しいことがあったのか? 近年、私たちは国の行動で感動、ときめき、誇りの鼓動、胸が熱くなるような心の震えを経験したことがあるのか?

画像5


国家非常事態

日本は昔から学問知力を崇める国だ。
日本中に頭が良くなりますようにとお祈りできる神社もお寺もたくさんあるのだが…教育そのものが崩壊寸前なゆとり教育で、学ぶ楽しさや厳しさを体験していない世代が大学生になった。日本列島の中だけで、「どこの大学を出た」「どこの会社に採用された」と自慢大会をしていると、世界のランキングから落ちこぼれるはめになる。もうすでにそのハメになっている。

私は日本の極端な学歴社会が文化と経済の成長を妨げていると信じている。米国はがんじがらめの学歴社会ではない。有名校を卒業すれば、最初は優遇されるかもしれないが、野心に燃えた者たち。失敗を失敗と思わない者達が次々と現れてくるので、学歴で威張っていると瞬く間に切り落とされる。
米国人は「能力」や「才能」があれば大学に進学する必要もないと思っている。広大で美しいスタンフォード大学を中心に円状に広がっていたエレクトロニクス関係会社の創立者のほぼ全員が、大学中退者だ。シリコンバレーで大切にされるのは学歴でなく、規則を作る官僚的な考えでもなく、既成概念をぶち壊す斬新な想像力だ。

ただし、米国の教育では大学が一番厳しい。有名校では秀才たちも手を焼くほど学ぶ量が多い。量が多ければ必然的に質が入ってくる。量がこなせたら質になっている。量がこなせなかったら落第。ゴルフや野球やサッカーで練習量の多いものが勝つのと同じである。

画像8


崩壊する教育

日本の教育では、大学が一番楽だ。四年間、本も読まず、出席もせず…
期末試験の時だけ顔を見せれば卒業できると言われている。大学教育の衰えは国家非常事態である。
美術、芸術、音楽、文学、武道やモノ造りが、日本文化の主流であり、この大切な伝統を日本の若者たちに伝えさらに発展させていくことが、教育の重要な役目である。

だが、小・中・高校では色々な才能を持って生まれてくる子供たちを国定教科書の狭い枠にはめ込み、均一教育を強制する。 枠にはまらない子供たちには「規則を破る子・落ちこぼれ」の烙印を押し、入試で落とす。この制度で日本人の能力の幅がさらに狭まってゆく。教育というかけがえのない文化創造の世界では、均一教育は子供を潰す。国を潰す。

生徒たちは国の宝。ロボットではない。日本で生まれ、日本語で育ち、日本文化の水を飲み、日本で大学教育を受けた私にとって、母国日本は好き嫌いの次元ではない。 日本は私自身の血、私自身の遺伝子、品性の高い国になりたい。強くなりたい。世界競争で勝ちたいと望むのは自然である。 我が母国は時のうねりに飲み込まれずに生き残れのか?繁栄するのだろうか? こうした西教授の知見を一人でも多くの日本人に広めるため、50年近くに及ぶ研究生活の集大成として創ったのが・・

画像9


スタンフォード 西鋭夫の新・日本人論
第1弾「人才学」

この講座は40年以上、一次史料や膨大な文献を読み解く歴史研究の過程で、欧米列強の侵略を跳ね除け、近代国家を作り上げた明治期の偉人たちの叡智を学び、そして、GHQの占領を経て、現代の日本人が失ってしまった「強さの根源」「日本人ならではの強みや美徳」を発掘した西鋭夫が、自らの50年以上に渡るアメリカでの体験と、世界最高峰の教育機関:スタンフォード大学で効果が実証された、アメリカの先進教育の“良い部分”だけを抽出し、この2つを掛け合わせることで導き出した、これからの日本のあるべき方向性、令和の時代を生きる日本人に、真に必要な教育・リーダー育成の「あり方・考え方」の指針を、明確に示したものです。

これはまさに、日米両国の歴史・文化・教育に深く精通し、スタンフォード大学・フーヴァー研究所に42年間、アジア人研究者として、唯一在籍した西教授以外には語ることのできない内容だといえるでしょう。

本講座を見ることで、世界トップレベルの視点から、これから一層激しさを増す世界で対等以上に渡り合う「強い日本人」の条件がわかり、今後、あなたの姿勢や行動は、より自信と確信に満ちたものに変わっていくでしょう。

さらには、あなたの子供やお孫さんに対しても、世の中に氾濫するデタラメな情報に惑わされることなく、これからの厳しい時代を生き抜き、世界を舞台に活躍する人になるための、明確な指針を伝えていくことができるでしょう。

それでは、講座の詳しい内容をご紹介すると、、、

画像10


講座内容

・消えゆく日本ブランド

講義1「バブル崩壊と国家の品格」
明治維新、戦後にあって現代にはない...日本のリーダーが失った“重要な資質”

講義2「世界が羨む“日本ブランド”の危機」
その座は中国に取って代わられた?... 止まらない崩壊への序章

講義3「黄金風呂、ロックフェラー、古城..」
バブル期日本は偽物の大富豪... 明治に学ぶ“生き金”の使い方

講義4「エリートの宝庫:旧帝大が崩壊した日」
犯人はGHQか文科省か?出世の為に学問を忘れた“日本の大学システム”の闇

画像11


・人才を輝かす

講義5「外人より遥かに教え上手?」
超スパルタでも生徒が伸びる... 実は優秀だった戦前生まれの英語教師

講義6「ワシントンで発見した“語学習得の極意”」
なぜ英会話もできない男が、教授の論文を添削できたのか?..

講義7「本当は賢い日本人」
偏差値40からTOEFL満点を3人育成… 教育学博士・西鋭夫の“人才”育成術

講義8「ガラパゴス化した日本」
利権まみれのTOEICに熱狂...日本人が知るべき“英語教育の闇”

画像12


・書く力

講義9「裸一貫のアメリカ留学」
膨大な予習に喧嘩腰のディベート...肌で感じたアメリカ人学生の強さ

講義10「早期留学のすすめ」
アメリカ名門大への留学...熾烈な競争を勝ち抜くための”3つの神器”

講義11「世界で通用する書く力の磨き方」
プロの編集者も舌を巻く名文...基礎を築いた”父の趣味”

講義12「外交と英語」
国の運命を左右するソフトパワーの力...日露戦争を終結に導いた“一冊の本”

画像13


・スタンフォードの秘密

講義13「外務省の憂鬱」
頭脳明晰なのになぜ?....日本の外交官がアメリカで無能になる”2つのワケ”

講義14「スタンフォード式・人材獲得術」
年収2倍で家まで建てる...田舎の大学が世界一に躍り出た秘密

講義15「スタンフォード式・人材輩出論」
Google、Yahoo、HP... 天才を生み出す"カネ"の使い方

講義16「ベンチャースピリットの宝庫」
シリコンバレーを生んだ「産・学・軍」の知られざる蜜月

画像14


・人材育成術

講義17「日本経済復活の秘策」
GHQと官僚が奪った寄付文化...
フォローザマネーで読み解く“戦前日本の強み”

講義18「名門大学と寄付講座」
卒業生が10億、100億を寄付… 米国を支える成功の文化

講義19「GHQ占領政策の後遺症」
サムライ時代から続く“文武両道”を忘れた日本...守ったアメリカ

講義20「全寮制復活のすすめ」
アメリカ名門校はこぞって採用...
現代日本で忘れられたエリート養成の秘訣

画像15


・教育改革

講義21「平等を履き違えた日本人」
マッカーサーが骨抜きにした“男女共学”の罠

講義22「子供の才能を伸ばす親、潰す親」
娘は名門大を首席で卒業... 西教授が語る“父親の役割”

講義23「“人才”を創る方法」
子育ての秘訣は“叱らない”こと?学校より100倍大事な家庭教育の作法 

画像16


・国防の誇り

補講1「偉大な政治家の選び方」
国家を豊かにするリーダーが持つ“2つの観点”

補講2「自殺大国ニッポンの病理」
国民の意識を内向きにした“日本政府の功罪”

補講3「米軍は日本から出ろ!」
米海軍が泣いた魂の演説...日本人が取り戻すべき“国防の誇り“

“日本人には、世界一のポテンシャルがある”
スタンフォード大学フーヴァー研究所
国際政治・教育学博士:西鋭夫教授

自身の50年にも渡るアメリカ暮らしの体験と、スタンフォードで発見した”人才学”と呼ばれる秘訣をもとに、“日本の教育に貢献したい”との想いから、麗澤大学、日本大学などの教授を歴任。

ある時は、偏差値40の学生に英語を教えるクラスを担当。国際基準の英語力を測るテスト「TOEFL」の受験において、東大生の平均スコアが500点台のところ、たった2年の指導でほとんどの生徒のスコアを600点台に引き上げ、677点満点も3名輩出、全額奨学金でアメリカの大学院に進学させた。そのほか、歴代最年少で大平正芳記念賞を受賞した、助手の岡崎 匡史を育成。自身の子供も、アメリカの大学を首席で卒業させるなど、教育において数々の実績を挙げる。

西はGHQ占領期研究の第一人者として知られているが、教育学の博士号を持つ、“教育学者”でもある。スタンフォード大学には、まだシリコンバレーが有名になる前の1977年から在籍。田舎の一大学が、瞬く間に世界トップクラスの大学へとのし上がり、HP、グーグル、ヤフーを始め、次々に有名起業家を輩出。お膝元のシリコンバレーが、世界の産業を牛耳るまでの道筋を、間近で見てきた。

これらの経験から、西は、
“日本人には、世界一のポテンシャルがある”
“才能ある日本人が潰されてしまうのは、今の日本の教育システムの問題だ”

そう確信している…

西鋭夫の「新・日本人論」3つの違い

⑴一次史料に基づいた深く、正確な歴史
全米の公文書館を自らの足で巡るなど、西教授は、常に一次史料を読み解くことを原則としています。よって、本当に真実かわからない話を堂々と語る学者や、ジャーナリストとは一線を画す“正確な情報”を提供します。
また、GHQ占領研究の第一人者として、数々の機密文書を読み解いた経験から、「2度と強い日本を見たくない」と感じた米国が、日本の教育から何を奪ったのか?GHQに協力した官僚が、どんな動きをしたのか? その全てを熟知しているため、本来、日本人を強くする制度や教育システムなど、現代日本が失った「強さの根源」「日本人ならではの強みや美徳」を正確に示します。

⑵スタンフォード在籍42年の知識・実体験
1977年からスタンフォード大に在籍。田舎の一大学が、世界トップクラスへとのし上がり、お膝元のシリコンバレーが世界の産業を牛耳るまでの過程を、西教授は常にその中心で観察してきました。
世界中の秀才を惹きつけ、有名起業家を次々輩出する地で効果が実証された“先進教育”の秘密を… 日本人教授の視点から見たスタンフォードの強みや、日本に活かせる点を、自身の体験から明かします。

⑶ “フォローザマネー”で真実を紐解く 
日本の学者の間ではタブー感が強く、研究で「お金」の話に踏み込むことはないが、それでは物事の本質がわからない。自由な米国で研究を続ける西教授は、あえて「フォローザマネー」(お金の跡を終え)を研究ポリシーに掲げ、次々と真実を明らかにしてきました。
なぜ、米国の大学が世界トップを独占する中、東京大学はトップ30にも入れないのか?次々に優秀な才能を輩出する、アメリカの教育の強さの根源はどこにあるのか? 昔の日本で、次々と優秀なリーダーや文明文化が育った理由…今の日本で、それが育たなくなった理由など、どれも「お金」の観点から見ることで真実がわかります。

さらに、特別講義もセットでご提供
今日この講座にご参加いただくあなたには、こちらの特別講義もセットでご提供します…

リアル・ラストサムライ挑戦記
Part1「波乱万丈の幼・青年期」

■「ガム、タバコ、チョコレート…」
アメリカ兵との出会いと当時の第一印象

■「文才が磨かれた”ある習慣”」
⽶はなくても”本”はあった… 知られざる父の影響

■「ファイトクラブの男子校生活」
⽣き残れるのは勉強できるか、殴り合いで勝つか…

■「生徒のやる気を引き出した“英語教師の一言”」
悪ガキ生徒たちが一転、凄まじい競争に明け暮れたワケ

■「西教授の人生を変えた、世界史教諭の教え」
現代で失われた“歴史教育の本質” 

■「アメリカへの第一歩:英文科への入学」
進路を決めた“意外な動機”

■「フェンシングで全国制覇」
オリンピック選考会で味わった初めての挫折

■「日興証券、サントリー、シャープ」
超売り手市場… 好条件の就職オファーを全て蹴ったワケ 

■「黄金時代のアメリカ留学への道」
狭き門を突破した“推薦状”の裏話

Make Japan Great Again
もう一度、輝ける日本を
西教授は言います…

”戦後の焼け野原から世界2位の経済大国になった、あの頃の日本は凄かった。政治も、企業も、国民も、みんなハングリーで、勢いがあった。”

“そうした先人の努力によって「日本人」は、世界のブランドネームになった。”

”あの頃、日本からの旅行者がたくさんスタンフォード大学に来ていたが、日本人は着ているものから違う。シャキッとした雰囲気で、一目で分かった。”

“しかし今、その日本人はもういない。今スタンフォードに来ているのは、お金持ちの中国人だ。日本人というブランドが、駆け出しの中国人に、取って代わられたのか? これから先も、いろんな国に抜かれて、日本ブランドは二流、三流に落ちるのか? 日本人は、その程度のものなのか?”

“私はとてもじゃないが、そんなことはないと思っている。誇り高き日本人というブランドは、まだ残っていると信じている。”

“私たちそれぞれが、世界から「いいな」と思ってもらえるブランドなのだ。そんな風に思ってもらえる国は他にない。アメリカも、イギリスも、フランスも、中国も、そうじゃない。私たちは特別の民族であり、特別のブランドなのだ。”

先人たちが必死の努力で築き上げた、世界に誇る「日本人」ブランドを消さないためにも、今こそ私たち一人一人が目醒め、“挑戦者の気概”を取り戻す時ではないでしょうか。


・「新・日本人論」vol.1人才学, 2020/3/3
By 峯雅夫
この講座を見て我が国の将来に危機感を抱かない日本人はいないでしょう。多くの人に見てもらいたい講座です。西先生の強い思いに強く共感します。この国をこれからどういう国にするのか!このことが忘れられていることがすべての根本だと思います。そんな国で子づくりしようと思わないのは当然のことです。我が国の教育は、小中校の段階からますます大学入試に向けた体系になっているように思われ、また大学入試も、今般の「入試改革」の迷走に見られるように世界の競争で勝てる人間を育成するという観点が無いように思われます。教師が尊敬される職業で無いことも重大です。優秀な人間が教師にならなければ。もう50年近く前のことですが私も昔の旧制高校の教育と寮に惹かれてそのような大学生活をおくりたいと思いましたが、再評価するべきだと思います。共学反対も同感です。私も男子校でよかったと思っています。

・ 西鋭夫の「新・日本人論」vol.1人才学, 2020/2/18
By 馬川 晋
この講座を30年ほど前に見ていたら(勿論、その頃はこのようなWEBでの配信も無かったので無理でしたが)、自分の子育ても少しは成功していたろうと思います。
もう一度、いや永久に日本を世界に冠たる国にしていきたい想いがあるならば、先ずは我々親の世代からGHQによって弱体化された意識変革と次世代への教育改革の運動をしていくべきではないだろうかと感じました。
本当にこのままでは日本は三流国以下になります。
座して死を待つのか、立ち上がって輝ける未来を子や孫、子々孫々に繋いでいけるのか、今、現時点が正念場と思います。
西先生のお話はいつも脳天気な小生にカツを入れてくださいます。
西先生が全身全霊を込めて我々に訴えられている事を単なる知識として受け取るのではなく、未来の日本の為に行動することこそ、お応えする意義があると思います。
西先生に私淑し、微力ながら行動していきたいと思います。
今回、土、日と通して拝聴しました。仕事等が忙しく細切れでしか見ていなかったのが悔やまれます。このような講座は、時間を空けずに通して拝聴するのが良いかと思います。

・ 教育について, 2020/2/8
By 稲垣慶信
最初西先生がヤクザかと思いましたが、教育者であることがわかりました。
自分が親に受けた教育を振り返りつくづく父親がただ叱るだけのダメな親父
であり、それが、私の才能を阻害していたと痛切に感じました。
学生時代勉強していない自分に対して、猛烈に反省して60過ぎて勉強しております。
人間死ぬまで勉強だという事もわかりました。知識がある人間がもっと
アメリカのようにリスペクトされる社会になればいいなと思います。
西先生のような先生に出会えたらもっと自分の才能が開花できたと思います。
世界史と日本史のコラボしたお話し非常におもしろうございました。
ありがとうございます。美しい日本語は、大事ですね。

・ 子供がいる親必見の講座, 2019/11/30
By 後藤 幸江
小学生の娘が二人いるのですが、子供の教育について、別の視点で真剣に考える機会を与えられました。
既存の日本の教育の中で、得られるもの得られないもの、日本の外に出てみて初めて得られる視点、その重要性についてなど、今まで漠然と思っていたことも、改めて意識するようになりました。
この講座は、特に子育て世代のたくさんの方々に見てもらう価値のあるもので、見る人が多ければ多いほど、日本国民全体の学びの姿勢に変化を与え、それにより国益を上げることにつなげられる、一助になると思える内容でした。西先生の言葉をもっともっと、広めていきたいですね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?