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「バカとブスこそ東大に行け!」 👈 「ドラゴン桜」、桜木先生の 「名言」⁉️🐧💦


北野幸伯さんのメールが面白かったので下記に転載します。「ドラゴン桜」というドラマを🐧は見た事ないので詳しい事はわかりませんが、目標に向かって、、、一生懸命やる…って事は良いですよね。

👇      

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


★日本にいい影響を与えた、ドラマ「ドラゴン桜」


私が、28年住んだモスクワから完全帰国して、
もうすぐ3年が経ちます。

日本とロシアは全然違うので、
私の人生も大きく変わりました。

小さい例を一つ挙げると、日本に来て、
日本のドラマ、アニメを
よく見るようになりました。

モスクワでは、
アマゾンプライムの日本語版が見れません。

日本のドラマ、アニメを
見る環境がなかったので、
ほとんど見ることがありませんでした。

それで、モスクワにいる時は、
アメリカのドラマばかり見ていました。

日本に来て、日本のドラマ、アニメが
見れるようになったので、
妻とドラマを、子供たちとアニメを見ています。

最近見たドラマは、話題の「ドラゴン桜」です。

これは、阿部寛さん演じる
弁護士・桜木健二さんが、

偏差値30台の高校生たちを、
一年勉強しただけで
東大に入れてしまうという話です。

「そんなことはあり得ない!」と
考える人がほとんどでしょう。

しかし、私は自分の体験から、
「あり得る」と思います。

私は、モスクワに留学した時、
ロシア語を全然知りませんでした。

それで、半年間「予科」でロシア語を学び、
半年でモスクワ国際関係大学の
「入学試験準備」をしました。

毎日深夜2時〜3時まで勉強して、
試験をパスしました。

だから「ドラゴン桜」の高校生たちが、
偏差値30台でも、一年死ぬ気でがんばって
東大に入ることもあると思います。

このドラマ、子供がいる親は、
東大にいかせたい、いかせたくないはともかく、
「効率的な勉強法」が知りたくて
みていたと思います。

私と妻も同様です。

高校生なら、
「いい大学に入る勉強法」を知りたくて
見ていたかもしれません。

最終回の視聴率は、
20.4%だったそうです。

日本の人口は1億2622万人ですので、
2500万人以上が見たことになります。

▼桜木先生のポジティブなメッセージ

このドラマの魅力の一つは、
桜木先生が毎回いう「名言」です。

「バカとブスこそ東大に行け!」
という言葉は、有名になりました。

そんな桜木先生、
東大入試を終えた生徒たちに
何をいったのでしょうか?

<< クソみてえな人生を変えられるのは、
自分しかいねえ。

人は、誰かを変えることなんてできねえ。

だがよく覚えておけ。

おまえらがまっすぐな思いで突き進むとき、
その姿は、
他の誰かを動かす原動力になる。

自分を信じてまっすぐ進め。

そうすりゃいつかその姿が、
人に勇気を与え希望を与える。

おまえらの熱意、努力、思いやりが、
周りの人間を突き動かす。

そしてそれはめぐりめぐって、
いつか社会を変えていくんだ! >>

要するに、
「私たちが一所懸命生きることが、
社会を変える」といっているのです。

別の言葉でいえば、
「社会を変えたければ、
まず自分が一所懸命生きろ!」
ということでしょう。

これは、伊勢雅臣先生が
いつもおっしゃっていることと同じですね。

私たちは、
「日本を良くするためには、
どうすればいいか」と考えます。

結論は、自分自身が志を持って、
目標にむかって一歩一歩進んでいくことなのでしょう。

結果、自分は確実によくなり、
ひょっとしたら、社会や国、世界にまで
好影響を与えることができるようになるかもしれません。

「世界を変えるためには、まず自分を変えろ!」

ドラマ「ドラゴン桜」は、
こんな正しいメッセージを私たちに送っています。

今日もがんばって生きましょう!


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


👏👏👏 🐧


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( ペンギン🐧の、ひとりごと )

🐧は、かつて、ゼロからのスタートでしたが、自分よりも全然できる優秀な方々に混ざって、とあるライセンスをとる為に、一生懸命にやった事がありました…。何にも知らなかったので、人一倍時間もお金もかかってしまいました。後にも先にも、あの時ほど勉強したり頑張った事なんてなかったかも…。

しかも日本ではなくて海外だったので更に大変でした。でも今思えば本当に良い思い出です。その実技はもっと大変でしたが、好きなので頑張りました。航空運賃・滞在費はもちろんのこと、何やらかにやらで、ちょっとした(低価格帯の)ベンツの新車が買えるくらい…お金もいっぱい使っちゃっいました…。 人からは理解のできない💸道楽💸と思われていたかもしれません。確かに・・・ σ(^_^;)💦

そのライセンスを実生活に役立る為に取りにきている人も多かったのかもしれませんが、🐧の場合は全くそのような事はあり得ないので、そのつもりは全然〜ありませんでした。とにかく、何故か?わらないけど、小さい頃から…どうしてもやりたかったことだったのです。。。  \( ˆoˆ )/    それでいいのだぁ〜😊❣️🐧💦


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(🐧は)自分の事で手一杯なのに、、、自分の事は後回しにして、見ず知らずの人の為に一生懸命に頑張る方々もいるのですよね。。。💐 m(_ _)m 💐

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下記の記事を書いた池田整治氏のプロフィールは、
「 1955年愛媛県愛南町生まれ。陸上自衛隊1佐、小平学校人事教育部長。防衛大学校国際関係論卒業。空手道7段、全日本実業団空手道連盟理事長。1990年代半ばの第一次北朝鮮危機における警察との勉強会、それに続くオウム真理教が山梨県上九一色村に作ったサティアンへの強制捜査に自衛官として唯一人同行支援した体験等から、世の中の「本当の情勢」を独自に研究… 」とあるように、元自衛官の方で、オウム真理教の事件の時に実際に現場に行かれたり、危ない目にも会われたとか…危険な任務も多いのに…自衛隊の方には本当に感謝です。。。🐧💦


差出人: 池田整治 👈 元自衛隊陸将補で、結構…突き抜けていて興味深い方です。
件名: 目覚めよ日本人!今そこにあるる危機…

【目覚めよ日本人!今そこにある危機…】

◆地獄の釜が煮えたぎる時
 この6月19日午前7時過ぎ、突然の「ドン!」と
背中を持ち上げられる衝撃で起こされました。

引き続く家の揺れに、思わず『来たか!』と覚悟しました。
そうです。

南海トラフ大地震と伊方原発のメルトダウンによる
第二のフクシマ化の惨劇です。

幸い、震源地の伊方町で震度4でしたので、被害もなく安心しました。
もし、震度6だったら…。

今こうしてパソコンには向かっていられないでしょう。
伊方原発は、再稼働が高裁で認められて、10月の再稼働を目指しています。

今回の震度4は、南海トラフ大地震の危険が高まる中、
大地震に襲われる前に一刻も早く廃炉・安全化しなさいという、
大自然からの「警鐘」だと思います。

 一方、運転開始から40年を超えた福井県にある関西電力の
美浜原子力発電所3号機が23日午前、原子炉を起動して再稼働しました。

10年前の福島第一原発の事故のあと
40年を超えた原発が再稼働するのは全国で初となります。

原発は、一度稼働すると、
高濃度放射能のために原子炉等には入れません。

一炉あたり毎秒70tの冷却水を海から取り込んで流す
パイプも時の経過とともに劣化摩耗しますが、交換はできません。

それゆえ、基本40年で廃炉・安全化しなければなりません。
それを最長60年までの再稼働を認めることは、
「異常」としか思えません。

40年以上経過の原発の再稼働を認めた県には、
国から250億円の交付金が受給されます。

「経済」というよりも、「今だけ・自分だけ・お金だけ」で、
未来とこの国・地球を危うくするエゴの決定と言えます。

 
◆「情報力」がサバイバルの原点

 日本には、原発の「安全神話」が根強くあります。
かく言う私も1990年代の北朝鮮危機で、
コマンドからの原発防衛の研究で、その脆さを知るまで
ずっと安全と信じてきました。

というのも、私にも彼らの巧妙な「洗脳工作」の
「幼児体験」があります。

伊方原発建設当時、母は町の婦人会の会長をしていました。
戦後の原爆の恐怖から原発への猜疑心を払拭して、
積極的に原発支援が得られるように、彼らは地元の婦人会等を招いて
大々的な「キャンペーン」を行ったのです。

帰宅した母は、行く前の不安気な母とは豹変、
原発が安全で綺麗なことを笑顔で話してくれました。

また、周辺の学校や役場、町並みも綺麗に整備されていることを聞き、
幼心の私も、我が町にも原発が来て欲しいと思ったものです。

つまり、メディアと現地・会場キャンペーンを使った
見事な「洗脳」だったわけです。

 しかし、警察から依頼され対コマンド対処研究のため
原発の実態を知ったときは愕然としました。

詳しくは拙著「マインドコントロール」や「原発と陰謀」等に
譲りますが、「水」と「電源」を止めるだけで
簡単に暴走・メルトダウンが始まることが分かりました。

しかもわざわざ人の手を使うこともありません。
震度6あるいは5強の揺れで、原子炉の下のパイプが壊れ
冷却水がやがてなくなりメルトダウンが始まるのです。

 しかも摩訶不思議なことに、「安全基準」には、
列島54基の原発設置地域には、
未来永劫基準を超える地震はないことが「基本」なのです。

裁判所もこの大地震がない前提の判断です。
それなら再稼働が認められるわけです。

 しかし、3.11フクシマで我々は真実を知りました。
津波の前の地震の揺れで冷却水のパイプが壊れたことも分かっています。

この「情報」がキチンと広まれば、再稼働どころか、
すぐに全炉廃止・安全化しなければならないことが分かります。

地震列島日本で、震度5強の地震は、
いつどこで起こっても不思議ではありません。

54基の原発に当たらないように、
ロシアンルーレットを今も行っているのです。

速やかに地獄の釜を取り除かなければなりません。


◆地球の適正人口は5億人

 一方、この2年間、世界は新型コロナウイルスの
見えない脅威にさらされてきました。

しかし、身の危険を顧みず真実を追求してきた
世界の医師たちの情報力により、
その「真実」が明らかになってきました。

 今回の新型コロナウイルスパンデミックは、
彼ら・世界金融支配体制によるワクチンという「生物兵器」を使った
「人口削減」の最終作戦だったのです。

 「ジョージア・ガイドストーン」をご存じでしょうか。
1981年、カーター大統領の時に、
アメリカのジョージア州エルバート郡の小高い丘の上に建てられた
高さ6メートルの花崗岩のモニュメントです。

10の戒律が、英語、スペイン語、ヒンズー語、スワヒリ語、
ヘブライ語、アラビア語、中国語、ロシア語で刻まれています。

 その最初に
「世界を維持するためには人口を5億人にする必要がある」
と刻まれています。

これは、世界金融支配体制(DS:ディープステート)の近未来
の新世界秩序への行動計画なのです。

 古くはキッシンジャー、今ではビル・ゲイツなどが、
彼らの実行機関である国連やWHOで、
ワクチン接種が人口削減に効果的とスピーチしているのは、
まさにこのガイドストーンが実行されている証拠です。

 今回の新型コロナウイルスワクチンこそ、
彼らの人口削減の切り札なのです。


◆遺伝子組み換え人間の恐怖

 店頭で食品を買う場合、遺伝子組み換え食材の入ったものは、
なるべく避けると思います。

本能的に健康によくないと考えるからです。
実際にフランスの研究機関で、
ラットに遺伝子組み換え食品を与え続けたところ、
2年間で100%癌になりました。

 自然界にない遺伝子を食べるだけでも
健康に影響を及ぼすわけです。

ところが今回の新型コロナウイルスワクチンは、
接種者の遺伝子を組み換えてしまうのです。

今までのワクチンは、抗体をつくるために、
病原体そのものを安全化したうえで、皮下接種していました。

ところが今回のワクチンは、
体内で病原である「スパイクたんぱく質」を自己生産する細胞に、
遺伝子を交換・組み替えて、史上初めて作り変えるのです。

作り変えられた細胞は、二度ともとには帰れません。
言わば、「遺伝子組み換え人間」の誕生と言えます。

 スパイクたんぱく質そのものも、血管を傷つけ、
血栓など病気の原因となります。

そのスパイクたんぱく質を永久に作り続けたらどうなるでしょうか。

免疫機能の暴走も懸念されます。
ある研究者によれば、接種した人は2年内に死亡するとあります。

 そもそもワクチンは、接種後10年間ぐらいの
治験期間を設けて安全確認するものです。

ところが今回のワクチンは、
治験は1年後から1年半後に完了するとして、
動物実験さえもしていないのです。

もっとも、このワクチンの前に、
同じような遺伝子ワクチンを開発し、
猫20匹で実験したところ全て死んでしまったので、
今回は動物実験さえも見送ったと言われています。

何のことはない、大々的に世界でワクチン接種という
治験・人体実験を行っているのです。

副作用で死者が出て当たり前です。
動物実験に参加しているのですから。

 要するに、風邪の一種である新型コロナウイルスを、
インチキPCR検査で感染者を「作りだして」恐怖を煽り、
世界中の人にワクチン接種させる。

そのワクチンは、感染防止も予防効果も重症防止効果もない。
逆に、接種者を癌等病気で 死にいたらせながら、
スパイクたんぱく質を放出する「病原体」にしてしまうのです。

悪魔の人口削減作戦です。


◆滅びの道から永久の道へ
 6月23日時点で、ワクチン接種後356名の方が亡くなっています。
インフルエンザの予防接種の死者は年間3名弱。

インフルエンザワクチン接種の100倍の致死率です。
罹ってもインフルエンザより軽い風邪。

自然に罹れば、免疫力を獲得します。

こういう「情報」だけでも知れば、
ワクチン接種を思いとどまるのが正常な判断です。

 個人が原発を止めるのは困難です。
しかし、新型コロナウィルスの「世界大戦」は、
いとも簡単に個人の力で勝利します。

そうです。
自由意思で「接種しない」だけです。

そして、しっかりした口養生で免疫力を高めること。
免疫力こそ勝利の源泉です。

 一人でも多くの人が自ら情報をとって目覚め、
「滅びの道から永久の道に」ともに進むことを祈ります。



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( b y : 伊勢雅臣 )


〜〜〜 米軍「トモダチ作戦」を成功させた70年前の秘話 〜〜〜


「ジャップ、黄色い猿ども」

アメリカ人は、
かつて日本人を、
このように、
蔑(さげす)んでいました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

東日本大震災直後、
日本の被災者救助のため
行われた、アメリカ軍の
「トモダチ作戦」 の 秘話。


2011年3月11日東日本大震災が発生、日本に甚大な被害が発生し、当時自衛隊・警察・消防が必死の救助活動を行っていました。

震災直後、同盟国のアメリカは直ちに、日本への復興支援活動を開始してくれました。

オペレーション・トモダチ
「友達作戦」。

震災で孤立する、被災地に多くの救援物資を届けてくれましたが、実はこの裏には70年以上前の一つの物語があったから、こそ
「トモダチ作戦」が成功したのでした。


それは大東亜戦争終結の5年後、1950年9月の出来事でした。

戦後の傷跡が残る日本に、
一人のアメリカ将校が来日しました。

アメリカ海軍提督「アーレイ・バーク大将」でした。

彼は かつての敵国、
日本の
ラバウル方面 海軍 最高司令官の
草鹿中将が 「公職追放」により、
鉄道工事現場で
ツルハシを持って働き
「やっと食べて生きている」
という話を耳にし、
同じ立場にあった軍人とし
居ても立ってもいられなくなり、匿名で食料を送ったのでした。

 すると数日後、
草鹿本人が怒鳴り込んで来た。

「侮辱するな!アメリカ人の世話にはならない!」

それだけ言って出て行った草鹿にバーク大将は、
日本人の精神に敬意を払うとともに、バーグ自身も草鹿の立場だったら、同じ事をしたに違いと感じたのです。


朝鮮戦争時、バーグが
日本の帝国ホテルに宿泊した時、ホテル従業員は、
バーグの荷物を直ぐに持ち、
接待しようとしたのですが、
これを拒否していました。

実はバークは、
筋金入りの日本人嫌いでした。
それは日米戦争によって、
バークの親友や部下が命を奪われたからでした。

バークの心には、
敵国 日本への
激しい憎悪感がありました。

そのバークが宿泊した帝国ホテルの部屋は、殺風景な部屋で、
何の飾りもないものでした。
そこで、バークは一輪の花を買ってコップに差したのでした。

ところが、翌日バークが部屋に戻るとコップに差してあった花が、花瓶に移されていました。そこで、バークはホテルに
「何で勝手に花瓶に花を移したのか」と、苦情を訴えたのです。

しかし、ホテル側は分からないという回答でした。
数日後には、その花瓶には新しい花が生けられていました。
花はその後も増え続けは部屋を華やかにしました。

この花を飾ったのは、部屋のメイク係の日本人女性でした。

彼女は乏しい給料の中から花を買いバークの部屋に活けていたのです。

その行為に対しバークがチップを払おうとしたのですが、メイク係は
「お金は受け取れません。私はただお客様に心地よく過ごしていただきたいと思っただけです」
と受け取らなかったのでした。

このメイク係の身上を知ったはバークはさらに驚きました。
戦争未亡人でした。

夫を戦争で失った女性が、
メイク係としてがアメリカ人を嫌わずその花をいけていたのでした。

しかも、その女性の夫は
駆逐艦艦長でした。

ソロモン海戦で戦死されたという話を聞いた、バークは
「ご主人を殺したのは私かもしれない」
とメイク係女性に謝罪しました。

ところが、
未亡人の女性はこう述べました。

提督が何もしなかったら、提督が戦死していたでしょう。提督は何も悪い事はしてはいません。

この時バークは「この違いは何なんだ」と考え、日本人の心意義と礼節を知り、バークは親切には親切に答える、という考えに至りました。


特筆すべきは、バーク氏は一刻も早く、アメリカの日本占領を終わらせ、日本独立をアメリカ政府に働きかけました。

加えて戦後5年には日本の平和を維持するため、日本海軍の再建を説いたのです。


アメリカ国内では当時反日感情高まる中、バークは日本の海上自衛隊の発足に尽力を尽くされ、日本海軍機の旭日旗の使用も認めました。

その後バーク氏はアメリカ海軍作戦部長に就任し、日本に対しアメリカ最新鋭機の哨戒機を提供してくれました。

そのバークの功労に日本は、日本最高位の勲章
  「勲一等旭日大綬章」
を贈りました。


バーク氏は1991年96歳で亡くなりましたが、そのバークのご遺体の胸につけられた勲章は日本から送られた
「勲一等旭日大綬章」
の勲章だけでした。

それは、バークの遺書によるもので、その遺書には日本への感謝と尊敬が書かれいてたそうです。


そして時は流れ、東日本大震災発生当時たまたま、太平洋沖で演習中のアメリカ海軍部隊が日本支援のため駆けつけてくれたのでした。

アメリカ空母、ロナルド・レーガン艦長が指揮する、作戦には2万4000人の将兵、190機の航空機、24隻の艦艇が直ちに日本震災の救助に向かったのです。

その時の空母、ロナルド・レーガン艦長はトム・バーク大佐でした。あの、日本海自を再建した。バークの孫だったのでした。

そのバーク大佐は何と、艦隊の指揮を副官に任せて、艦長自らが救援物積んだヘリを操縦し日本の避難所を飛びまわりました。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


〜〜〜 トム・バーク大佐が見た 日本の風景 〜〜〜


こんな中、救援物資積んだヘリが着陸しようとすると、世界中では、どんなことが起きるか知っていますか?

食料の奪い合いが起こり、もしかしたら、ヘリへの銃撃も起こります。

しかし、日本では食料の奪い合いは一切なくトム・バーク大佐の操縦するヘリはヘリが着陸しやすいその場所を確保しヘリが着陸すると、被災者が荷下ろしを手伝い、全員が飛び立つヘリにお礼をして見送りました。

正に先人のおかげです。日本人の礼節によって東日本大震災のトモダチ作戦が成功したのでした。万が一にも、先の大戦で日本が卑怯な振る舞いや戦後、アメリカ軍人に無礼な振る舞いをしていたならば、トモダチ作戦は実現もされませんでした。

日本の英霊たちが日本を今も守り続けています。


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差出人: 日本の誇り【Japan Pride】
件名: 【発表】個人主義に感じる違和感の正体


私たち日本人は
他のため、公のために奉仕し
進んで自らを犠牲にする姿を

「美しい」

そう感じます。

なぜなのでしょうか?

しかし現代は

「個人の自由」や「個人の幸せ」が
より尊重される時代。

「人の心配より
 あなたの幸せを考えなさい」

「働く理由はキャリアアップとスキルのため。
 会社はあくまでもその道具」

「どれだけ成功するかで人生は決まる」

こんな現代の風潮に、

あなたもわずかな「違和感」を
感じることはありませんか?

しかし日本人なら
それも当然のことなのです。



あまりにも個人尊重の現代において、

「大和魂」
「日本精神」

を最も体現していると言える人々。

それが今回のテーマです。

彼らからは決して発せられることのない、
知られざる真の姿。

あまりにも壮絶な試練。

彼らの生き様には心が震えます。

その生き様を通じて、
なぜ私たち日本人が冒頭に書いたような
個人主義に、どこか違和感を覚えるのか、

きっとわかります。

ぜひ知ってください。

そして、ここで知り、学んだことを自ら伝え、

お子さんやお孫さんたちに
その美しい日本精神を
引き継いで頂けることを、

心より願っています。


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差出人: 日本の誇り【Japan Pride】
件名: 笑顔を見せたら苦情がくる人?


現代において

「大和魂」
「日本精神」

を体現している人々、それは
【自衛隊】です。


近年では災害派遣のイメージが強くなっている
自衛隊ですが、かつてはその存在に対する
拒否感が強く、

阪神淡路大震災の時にも、自衛隊が
街中を歩くことに対するクレームなどが
あとを絶たない、ということさえありました。


それでも、国を守るため、国民を守るために
日々厳しい訓練を重ね、24時間任務につく
自衛隊の方々。


そんな自衛隊の印象を一気に変えたのが、
10年前の東日本大震災ではないでしょうか。

被災地でご遺体の捜索と収容、
瓦礫の撤去、
そして福島第一原発での放水作業など、

過酷で危険な任務を黙々とこなす
自衛隊の姿はメディアでも数多く
取り上げられました。


ただ、そんな「強く、たくましい」
自衛隊のイメージとは裏腹に、
様々な苦悩と葛藤を抱えていたことを
ご存じでしょうか。


コンビニでトイレを使っても、

被災者のいる前でご飯を食べても、

笑顔を見せても

クレームを入れられる自衛隊。


今でこそ自衛隊へのイメージは
良くなっているものの、
自衛官たちは一挙手一投足に
気を付けざるをえません。

そんな彼らは、ほとんど自分たちの
事情や体験などを語らず、
世に出ることがあまりないのです。


一体、彼らの悩みとはなんだったのか?

任務にあたり続ける原動力はなんだったのか?

何が彼らを突き動かしていたのか?

そして、
彼らが見せた「日本精神」とはなんだったのか?


7月号の本編を10分にまとめた
ショートムービーもYouTubeで公開中です。


JapanPride6月号「日本人よ、大正生まれの日本人を思い出せ!」門田隆将先生 - YouTube



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( 転載です )

◆桜林美佐『誰も語らなかった防衛産業』を読み解く

★要旨

・「どこまでも国家と運命をともにせよ」


・戦時下、軍需生産への対応に
全力を注いできた三菱は、
戦後は全面的に民需生産へと転換を図り
航空機、戦車、魚雷などを
生産していた事業所では、ナベ、カマ、弁当箱、
釘抜きといった小物から
トラック、冷蔵庫、自転車などなど、
手当たり次第に手がけながら、
懸命に這い上がるしかなかった。


・その結果、戦前から蓄積してきた造船、
造機、航空機などの技術を生かす方向で、
民需向けの各種製品の生産が
進んでいったのであった。


・しかし、財閥解体のあおりを受け、
旧三菱重工業は企業再編を余儀なくされ、
昭和二五年に東日本重工業、中日本重工業、
西日本重工業の三社に分割という形で
解散することになってしまう。


・この際、当時の岡野保次郎社長は
全社員への告辞の中で、次のように述べた。


「しかるに世間は必ずしも真相を
知らずして時にいわゆる「財閥」として
敵視するものもありたり。
それにもかかわらず、
今日のごとき混乱の末世においても、
業界におけるわが社の信用絶大なるもの
ある現実はなぜぞ。
これまったく、社祖岩崎弥太郎以来歴代社長が
真に国家の利益を第一義として、
社業を経営し来れるがためにほかならず。
諸子は今後常にこの大方針を忘れることなく、
よく乏しきに耐えて大勇猛進を奮い起こし、
正々堂々適進せられるよう祈る次第である」


・そして、最後にこう付け加えた。

「私はわが三菱重工業株式会社の
最後の社長として、全従業員諸子に対し、
どこまでも国家と運命をともに
するべきことを要請する」


・「国家と運命をともに」
こうして艱難辛苦の中、
占領期を過ごした三菱であったが、
昭和二七年、
サンフランシスコ講和条約が発効し、
日本の主権が回復すると同時に
「三菱」の名を再び掲げることを許された。


・国防費は国民財産として残るもの。

・兵器は使われた時に
圧倒的な威力を発揮すべく、
多額の予算を投じて開発されるが、
最後まで「使われない」で
天命を全うすることがベストだという
大きな自己矛盾を孕んでいる。


・そしてそれは自衛官の存在も同様である。
この頃は、
「一生使わないものにお金をかけるのは無駄」
という思考、国の安全を経済的観点で
計るという発想から、
見えないものへの負担は御免こうむる
という人も増えているようだ。


・ 「抜かざる宝剣」に
価値を見出せるかどうかは、
今後の日本人の資質が左右すると言えるだろう。


・実は、この投資には国家の技術力の進歩、
発展や、人的資源の養成、
抑止や安心感といった無形の
さまざまな 「財産」が残されるのだが、
それがなかなかわかりにくい。


・本来、そういう意味で、
すべての国民が受益者なのだ。


★コメント
世の中、知らないことばかりだ。
学び続けたい。



(2021/06/05)


(2021/06/12)


(2021/06/19)


(2021/06/26)

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