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【田中英道 先生】 真・日本建国史「神武天皇とヤマト王権の謎」 編 (メルマガのまとめなど)


くりぼうさん🌰✨に お知らせいただいた 動画 です。 英 英 コンビ〜〜。🐧💦 少し覗いてみたら面白そう〜。あとでゆっくり見させていただきます…🍘🍵🍡


<< メルマガのまとめ >>


差出人: 田中英道
件名: 日本人が知らない日本建国
日付: 2021年7月9日

Q. 日本はいつどのようにできた?

あなたは、このシンプルな問いに、
答えることができるでしょうか。

あなたのお子様、お孫様は、
答えることができるでしょうか。

もし、答えに自信がないのなら、
きっと本日のメルマガは
あなたのお役に立てるはずです。

ビデオ①
真・日本建国史「神武天皇とヤマト王権の謎」編
https://in.renaissance-sk.jp/take_2107_vsl?cap=HS1    (7/13まで公開)


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日本人なら絶対に知ってほしい歴史...
日本建国の歴史のお話です。

日本が建国されたのは、2600年前。

あまりに昔で、どのくらい長いのか、
想像がつきにくいかもしれませんが...

なんと国の歴史は世界で最も長く、
日本は「世界最古の王朝」なのです。

二番目に長い歴史を持つのが
デンマークなのですが、
その建国時期は10世紀。

つまり、第二位でさえ、
日本の半分ほどの歴史しかないのです。

でも、日本がそれほど長い
歴史を持っているということは、
意外にも知られていないことです。

ぜひご家族・ご友人に、
「日本がいつできたか知ってる?」
と聞いてみてください。

きっと驚かれることでしょう。

なぜ、日本の歴史の長さを、
私たち日本人が知らないのでしょうか?

その答えは、メール冒頭の質問に集約されます。

「日本はいつどのようにできたのか?」

この日本の始まりの歴史が、
現代の日本人にはポッカリと
穴が空いたように抜け落ちているのです。

そのため、日本の誇れる歴史を知らず、
私たちの歩んできた道のりを知らず、、
いまに至るのです。

なぜ、私たち日本人は
本当の歴史を知ることができていないのか。


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差出人: 田中英道
件名: 日本史最大のミステリー:神武天皇は存在したのか?
日付: 2021年7月10日


神武天皇は存在したのか?

この日本史最大のミステリーに対して
田中英道先生が
大胆に結論を下します。

今回、特別にご用意した
講義まとめ動画の中で
真相を明らかにしています。

ぜひ、ご確認ください。

今すぐその真相を知る

ビデオ②
真・日本建国史「神武天皇とヤマト王権の謎」編
https://in.renaissance-sk.jp/take1_2107_pv?cap=HS2 (7/13まで公開)

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「神武天皇は127歳で死去した」


これは、
日本書紀に記述されている内容です。

2019年度の日本の平均寿命はというと
女性が、87歳
男性が、81歳

医療が発達した現代でさえ、
このような寿命になっています。

127歳..
これは、本当なのか?
と疑問に思いますよね、

神武天皇は実在したのか
しなかったのか

この論争は現代まで続き
様々な意見が飛び交っています。

「神武天皇は存在しなかった」

そのように唱える歴史家たちの
ほぼ全員が

「127歳まで生きれるはずがない」
と、この情報を根拠に
非実在説を主張します。

しかし、この事実を知っていますか?

この年齢には”カラクリ”が
存在するのです。

当時の日本では、
春と秋で年が変わる
「180日間 / 1年」で

年齢が計算されていた
可能性が高いのです。

その計算に当てはめれば
神武天皇の127歳は
63-64歳に相当し

「127歳まで生きれるはずがない」
という根拠を覆すことになります。

さらに、この
「180日間/ 1年」を
裏付けるかのような
記述があります。


これは、
日本書紀に書かれた、
歴代の天皇の崩御年齢でありますが

第16代人徳天皇まで
異常なほどに
長寿が続いています。

考古学的発見により

ほぼ確実に実在した
人物だと考えられている
応神天皇でさえ

その年齢は110歳で
崩御されています。

神武天皇が
63歳で死去されているとしたら、、

日本書紀の記述が
正しいとしたら、、


はたして
神武天皇は存在したのか?

この日本最大のミステリーに
田中先生は他の根拠を持って
大胆な結論を下します。

ビデオ②
真・日本建国史「神武天皇とヤマト王権の謎」編
https://in.renaissance-sk.jp/take1_2107_pv?cap=HS2 (7/13まで公開)


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差出人: 田中英道
件名: "建国記念日"はウソです
日付: 2021年7月11日


戦前の教科書と
戦後の教科書を見比べてみると、

誰もが気付くほどの
"ある大きな違い"があるといいます。

それは、日本建国の歴史が
書かれているか否か...

日本がどのように誕生したのか?という
日本人なら知っておきたい大切な歴史が、
なぜか戦後の教科書には見当たりません...

どうして戦後からパッタリと
日本建国の歴史が消えたのか?

歴史の真相をまとめたビデオを
期間限定で公開しています...

「初代天皇を抹殺した黒幕」
なぜ日本の建国が教科書から消えたのか?

**********

Q. 2月11日は何の日でしょう?

と聞かれたら、
あなたは分かりますか?

いやいや、そんなの簡単だよ。
2月11日は「建国記念日」でしょ?

...と答えてしまったのなら、
残念ながら不正解です。

正確にいえば、2月11日は
「建国記念 "の" 日」と表記します。

細かいよ!なんて思わないでください...

実は、この "の" には、
深い意味が隠されているのです。

「建国記念の日」という祝日が
制定された経緯を知れば、
その意味が見えてきます。

1948年まで、建国記念の日は、
「紀元節」と呼ばれていました。

そもそも2月11日とは、
初代天皇:神武天皇が即位した日であり、

「紀元節」はそのことを
お祝いする日だったのです。

しかし、戦争が終わってから、
この紀元節は問題視されます。

「国が紀元節を祝日にしていることは、
神武天皇の存在を認めることと同じ。

紀元節を認めることで、
日本人の団結力を
高めてしまうのではないか?」

戦後日本にやってきたGHQは
このような懸念を抱き、
紀元節は廃止に追い込まれてしまったのです...

でも、当時の日本国民は、
紀元節の廃止を
素直に受け入れることができませんでした。

日本建国の歴史そのものが失われてしまう...

国民の怒りと強い反発から、
代わりとなる祝日を制定する動きが
高まったのです。

そうしてできたのが、
「建国記念の日」という祝日でした。

どうして「建国記念の日」なのか?

それは、、

2月11日は日本が建国された日である
と認めることを避け、

あくまで日本建国を記念するだけの日
だという位置づけにしたい

という思惑が働いていたのです。

このようにGHQは、
地道に日本建国の歴史を抹消していき、、

日本建国に関する記憶を
日本人から抜いていきました...

しかし、この歴史の抹消は、
GHQの圧力によってのみ
成功したものではなかったのです。

実は、GHQとともに、
歴史を変えるために暗躍した人物がいました...

しかも、その人物とは日本人であり、
参議院議員でもありました。

歴史を抹消した犯人は誰なのか?

その真相はこちらのビデオで
ご覧いただけます...

歴史を抹消した犯人とは?


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差出人: 田中英道
件名: GHQと日本語狩り
日付: 2021年7月12日

戦後、GHQによる
たった6年間の占領期間で
2600年の日本の歴史が抹消されました。

一体、戦前まで
どのような歴史が受け継がれていたのか。

あなたも学校で
当たり前に教わるはずであった
真実の歴史を体験してみてくだい。

戦前の教科書の内容を体験する

*****

今から75年前。
GHQによって、日本の魂を奪う
数多くの言葉狩りが行われたのを
ご存知ですか?

奪われた言葉の一つに

「八紘一宇」があります。

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現代では、この言葉を知る人も
めっきり少なくなってしまいましたが

戦前までは、
日本精神の核として
長きにわたって大切に受け継がれ

教科書にも出てくる言葉でした。

いったい、八紘一宇とは
どんな言葉なのか。

それは、ある1つのエピソードを
知ることで理解できます。

時は紀元前660年...
世の中が乱れ、人々が戦に荒れていた時代。

初代天皇に即位した神武天皇は
平和に天下を収めたいという願いを込め、
このようにおっしゃられたといいます。

「八紘を掩いて宇(いえ)と為さむ」

この言葉を現代後に訳せば、

「私たち日本人は皆家族であり、
日本列島は私たち日本人の家である」

という意味になります。

それ以来、
平和を掲げる言葉として使用され

平和な国を作るという
日本精神、和の精神の
スローガンとなっていたのです。

しかし、、
戦後、「八紘一宇」は
一瞬にして封じられます。

それは、なぜか、、
そこにはGHQの謀略が強く働いていました...

兵隊、装備、資源... 全てにおいて、
はるかに上回る大国アメリカを相手に、
日本は最後の最後まで戦い抜きました。

その日本人の驚異的な敢闘精神に、
米兵は恐怖心を抱きます。

「二度と強い日本を見たくない。」

そう考えたGHQによって
日本の歴史は捻じ曲げられていったのです。

「八紘一宇」は
国民を戦争に駆り立てる上で
重要な役割を果たしたとされ

公の場で使用することを
禁じられました。

ここで、2600年
守り続けた日本の精神が
破壊されました。

このGHQによる言葉狩りは
ほんの一部に過ぎません。

GHQは日本からもっとたくさんの言葉を
そして価値観を奪い去っていきます。

その矛先は、
まだ幼い子供たちに
向けられていました…

ps.

このGHQによる洗脳は
今も続いています。

6年前の衆議院予算委員会で
三原じゅん子議員の発言が
問題となったことを知っていますか?

日本が、建国以来大切にしてきた価値観として
「八紘一宇」を持ち出したからです。

これに対してメディアは

朝日新聞
「戦時中のスローガンを国会でなぜ?」

東京新聞
「侵略戦争を正当化」

毎日新聞
「戦意活用スローガン『八紘一宇』国会発言」

などと報道……

日本人自ら、和の精神に
さらなる罪を着せているのが事実です。

GHQが当時何を行ったのか、
こちらのビデオで確かめてみてください。

GHQ占領政策の真実を知る…


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差出人: 田中英道
件名: 洗脳される日本人...GHQの大罪
日付: 2021年7月13日

『真・日本建国史』
「神武天皇とヤマト王権の謎」編

講座。。。


「GHQによる占領政策は
実に巧妙でありました…」

彼らの政策は、
6年間の占領期間だけでなく
今もなお続いています。

占領政策の真実に迫る

ーーーーーーーー

「二度と日本と戦いたくない」

最後の最後まで戦い抜く
驚異的な戦鬪精神とその強さに

米軍は恐れ戦きます。

二度と米国に歯向かうことができないよう
日本を徹底的に破壊しなければなならない、、

そうしてたどり着いた答えが
「教科書の書き換え」でした。

戦前までの教科書では

初代神武天皇から始まり、
日本の建国について
記載されていましたが

戦後の教科書では
ぽっかりと、建国の歴史が
抜き取られました。

世界には190くらいの国がありますが、
学校で、建国の経緯を教えないのは
日本くらいです。

さらに、
戦前までは誰もが共有していた
ある大切な事実が
記憶の中から抹消されています。

それは、、

「世界に既存する国の中で、
 日本は、世界最古の国である」

という事実です。

世界の歴史は、
建国と滅亡を繰り返していますが、

日本だけは一度も滅亡することなく
古代からの王朝を2000年以上
守り続けてきました。

現存する国家の中で、日本についで
二番目に長い歴史を持つ
デンマークでさえも

その歴史は、1000年ほどであり
日本の半分程度です。

現代でも、
老舗が「創業〇〇年」と聞くと、
誇りを感じ、受け継いでいきたいという
精神になりますが

そのような誇りを持たせないようにと
私たちの記憶から

先祖が大切に受け継いできた
「建国」の歴史を
抹消させたのです。


「GHQによる占領政策は
実に巧妙でありました、、」

マッカーサー

ずっと昔に仕掛けられたGHQの罠は
76年もの歳月をかけて

ゆっくりと
日本をむしばんでいます。

アメリカ製の教科書から
日本の誇りを失う歴史を自ら学び

意識のないままに占領政策を
忠実に実行しているのが
今の日本の姿であります。

今なお、GHQの洗脳政策の中に
日本人は、置かれているのです。

戦後から、76年
真実の歴史を知るものは
めっきり少なくなりました。

20年後
日本はどうなっているのでしょうか。

日本の歴史を自ら語れるものは消え
日本に誇りを持つものも消え

私たちの子や孫の世代には
すっかり日本の精神がなくなって
しまうかもしれません。

先人たちが命をかけて
守り続けてきた2600年以上の歴史が
今まさに、私たちの代で
消えようとしています。

失われた日本の建国の歴史を蘇らせ
真実の歴史を知ることで

子や孫の世代、
さらにその先何百年と続く
未来の日本人へ

本当の歴史を
繋ぐことができます。

日本を誇りに思い、
日本に生まれてよかったと
思える国にするために

一緒に「誇らしい日本の歴史」を
繋いでいきましょう。

『真・日本建国史』
「神武天皇とヤマト王権の謎」編

今ここから
日本人として、日本の歴史を歩みましょう。

日本の歴史を歩む

*****

ps.

世界的な歴史学者として知られる
アーノルド・トインビーは
こう言います。

「12-13歳くらいまでに、
民族の神話を学ばなかった民族は、
例外なく滅んでいる」

戦後、民族の建国を、神話を
学ばなくなった日本が
待ち受ける末路とは、、、

この予言を立ち退ける
強さを日本人は持っています。

先祖が受け継いだその
日本精神を、魂を
一緒に復活させていきませんか?

日本の建国を復活させる

pps.

この講座は、
田中教授による解説だけではありません。

目次

これは実際の講座の閲覧画面ですが、
田中教授の解説講義の前後に

「講座の導入」
「講座のまとめ」

という2つが入っていることが
わかると思います。

「講座の導入」では、
知っておくとより楽しめる背景知識や、
歴史の通説を解説しています。

神武

そして「講座のまとめ」では、
田中教授のお話の中でどこが重要なのか?
つまりどのようなことが言えるのか?
といったことを簡潔に解説しています。

序章まとめ画面

田中教授の解説講義とあわせて
ご覧いただくことで、

難しい内容だとしても、
頭の中で体系立てて
理解することができるでしょう。

さらに
この講座には、
1ヶ月間の返金保証期間もついていますので、

まずは弊社を値踏みするつもりで、
お試しいただけますと幸いです。

もちろん、他の講座と同様に、
動画と合わせてご覧いただける
テキスト資料もセットでご提供しています。

PDFでのご提供となりますので、
ご自宅やコンビニで印刷していただければ、
参考書のようにお読みいただけます。

テキスト


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画像2


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東北大学名誉教授・田中英道監修
卑弥呼、埴輪、縄文人…
教科書から抹殺された日本史
3つの謎


<あなたは、こんな歴史の“謎”をご存知だろうか?>

* 卑弥呼の“謎”

「中国の歴史書「魏志倭人伝」に記された、日本史初の女王・卑弥呼。「邪馬台国」を支配し、中国皇帝からも認められた「倭国の王」である。しかし不可解なことに、、卑弥呼に関する記録も、お墓も、日本では全く見つかっていない。

一国を支配するほどの権力者であれば、死後、地域の神社で祀られるのが普通だが、、日本各地の神社にも、遺跡にも、卑弥呼が存在した痕跡が一切見当たらないのだ…(*日本では、聖徳太子や菅原道真、平将門など、国を直接治めていない偉人でさえも、鎮魂の祈りをささげるため、神社がつくられてきた伝統がある)

また、“邪馬台国の人々の顔や身体には刺青がある”と「魏志倭人伝」には書かれているが、当時の遺跡や遺物をいくら調べてみても、刺青をしているような痕跡はほとんど確認されていない…

ちなみに、著者の陳寿という中国人は、実は日本に来たことはなく、伝聞のみ。つまり“フィクション小説”として、この作品を記したようだが、、

一体、卑弥呼とは何者だったのか? 本当に邪馬台国は存在していたのだろうか?

* ユダヤ人埴輪の“謎”

長い帽子、伸びた髭、豊かなもみあげ。明らかに、日本人とはかけ離れた風貌の「埴輪」が、千葉県や茨城県など関東地域で出土されている。実は、これらの埴輪は、日本から遠く離れた場所にいたはずの、「古代ユダヤ人」に酷似しているのだ…

古代日本で、ユダヤ人そっくりの埴輪が見つかるのは、単なる偶然なのか? それとも当時の日本がユダヤ人と深い関係にあったことを示唆しているのだろうか?

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「君が代」「ソーラン節」「相撲」など…実は、ユダヤ人の言語と日本語には、似たような共通点が多数存在。伝統・習慣でも類似点があるなど、両者には何らかの関係性があると見ることもできる。

果たして、遥か昔、ユダヤ人は日本にやってきていたのだろうか?

* 日本人の起源の“謎”

近年、最新のDNA分析によって、日本人のルーツとされる縄文人のDNAが、周辺アジアの民族とは“ほとんど一致しない”という事実が明らかにされた。

これまでの通説では、中国・朝鮮・東南アジアのいずれかの民族が縄文人の起源と考えられていたが、、それらとは全く異なるタイプの民族が、すでに日本に存在していたことがわかったのだ...

では、いったい縄文人とは何者だったのか? そして、われわれ日本人の祖先はどこからやって来て、どのような変化を遂げてきたのか?


<古代史に残された数々の謎...それらを解き明かす“鍵”とは・・>

これらの謎の答えは、従来の歴史教科書や、文献だけに頼る研究からは決して見つかりません。日本の古代史に残された「謎」の数々。それらを解き明かす鍵とはいったい何なのか?・・

「西洋美術史研究の第一人者」と呼ばれ、50年以上、歴史研究の最前線で評価を受ける田中教授は、こう語ります…

“教科書では、縄文から弥生時代まで、日本人は原始的な生活を営んでいた。そこに大陸や朝鮮半島から稲作や文化が伝えられ、日本はようやく発展の糸口をつかみ、日本という国家が形成された。という歴史だけが当たり前のように教えられています。 

しかし、文献だけに頼る従来の研究ではなく、先人たちが残した文化遺産に光を当てると… われわれがこれまで信じさせられてきたのとは全く違う。壮大なストーリーが見えてきます。

元来、日本という国は外敵がやってこない島国であり、「信頼」を土台に共同体をつくってきました。よって、絶えず民族が移動し、争いごとの絶えない西洋や大陸とは違い、文字を必要としなかったのです。よって、当時の先人たちの生活ぶりや、思いを読み取るには、神社や文化遺産といった形あるものの解読が必須になってくるのです。

多くの学者は、文献だけに頼ることにより、この大切なポイントを見落としてしまいます。さらに残念なことに、美術の知識がないため、いざ実物を目にしても、そこから何を読み取ればいいのか?がわからないのです。

「日本には文明がなかった」・・そう言われることがありますが、それはありえません。遺跡を紐解けば、日本最初の国家「ヤマト政権」よりも、卑弥呼がいたとされる時代よりも遥か昔から、日本では高度な文明が栄えていた。その中心は、関東・東北であり、そこには大きな”国”があったのです…”


<日本の古代史に残された「謎」の数々は、他にも・・・>

・大陸の何倍もの旧石器時代の遺跡が残る… 中国・韓国よりも先に人類が存在… 古代の人々は、なぜこぞって日本を目指したのか?「日本」という名前に隠された秘密とは…

・“世界四大文明”説は中国人ジャーナリストの創作?「文明の衝突」著者が明かした八大文明説。世界で最も早い定住生活… 土器から読み解く縄文人の素顔とは…

・「東西神話の類似性」日本古代史に見え隠れする“ある重要民族”の存在…

・「実は世界各地で出土する土偶」なぜ異形が多いのか? 信仰の対象としての“土偶”に込められた秘密…

・「巨大なお墓が残したメッセージ」実はピラミッドより大きい仁徳天皇陵… 先人たちはわれわれに何を伝えたかったのか? 

・日本神話で「神々が住まう場所」と記される「高天原」。“天”を表すという通説は真実か?… 「遺跡の数」「神話」「地名」・・奇妙な符合をたどれば、地上の「高天原」が見えてくる…

実は世界の八大文明のひとつとされ(「文明の衝突」サミュエル・ハンチントンが提唱)他国と比べても、日本ほど神秘的でユニークな歴史を持つ国。天皇を中心に、脈々と文化・伝統が受け継がれてきた国は他にありません。しかし、従来の文字だけの研究を元にした歴史教育では、その素晴らしさに気付くことができない… そんな状況では、当然ながら多くの日本人が自国に誇りを持つことは難しいでしょう。

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〜文化遺産を読み解けば、新たな歴史が見える〜

海外旅行すら珍しい時代、24才で単身ヨーロッパへ留学。西洋美術の研究に没頭。中でも、フランス語や英語で書いた論文は、一流学者が引用する国際的な文献となり、イタリア・フランス美術史研究における"世界的権威”に。

西洋美術・歴史を極め、日本という国を外から眺めたからこそ分かったのは、日本には西洋以上に凄い歴史が、高度な文化があるということ。しかし、中国由来の文献や、左翼思想に染まった大学教授により、正しい歴史が全く教えられていない。そんな実態に危機感を抱き、田中教授は西洋中心だった研究を日本中心に転換。

「日本国史学会」や「新しい歴史教科書をつくる会」の代表を務め、文献が無ければ真実を見抜くことができない歴史学者に代わり、人類が残してきた様々な文化遺産を紐解き、真実の“日本通史”を国民の元へ届けることを生涯のテーマとしています。


<田中教授からのメッセージ>

私はこれまで、美術史のドクター論文をフランスで書いてきました。フランス・イタリア・ドイツに留学し、「西洋というものが何か」ということを肌で知るようになったわけです。そうすると、やはり日本の素晴らしさというのもまた分かってくるんですね。

今年で79歳になりましたけれども、私の使命は、ある意味での啓蒙運動です。やはり「日本のことをもっと世界に知らせなくちゃいけない」。あるいは「日本人もその良さを知らなくちゃいけない」日本とは何か? 日本人とは何か? 他国と日本はどう違うのか? そういうことを、私自身がこの生涯をかけてお話ししたいと思います。

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<推薦の言葉>

・東京大学・名誉教授:小堀 桂一郎
田中英道氏は若年時のジョルジュ・ラトゥール研究で逸速く鋭鋒を表し、西洋文明諸国への留学で身につけた博大な語学力を駆使して、レオナルドやミケランジェロ等の巨大な存在を対象として西洋美術史の王道を歩み、美術史家としての権威を確立した。壮年期に氏は日本文化史の研究に回帰し、代表作『日本美術全史』では、史家がとかく用心して手を出そうとしない個々の作品の価値評価にまで踏み込んで高い見識と自信を示した。この実績が氏を日本史全体の根本的再検討の壮挙に駆り立て、氏は縄文期の造形美に日本文化の真相の基底を探り当て、更に神話の世界に伝わる高天原とは現実にどの地方であるかとの難問にも明快な解答を提出した。「大歴史」と呼ぶべき深遠高大な歴史物語を語り得る知性は現に田中氏を措いて他に無い。

・元駐ウクライナ兼モルドバ大使:馬渕 睦夫
田中英道氏は、わが国における数少ない歴史保守の泰斗です。保守を名乗る学者や評論家の多くが、近代保守であることを喝破して、田中氏は西欧近代思想に学んだ近代保守が、その奥に潜むユダヤ思想を敢えて見ようとしないことが、日本の歴史を無視した言論に繋がっている矛盾を指摘されました。歴史的視点からユダヤ思想が左翼思想であることを抉り出し、現在の世界を覆っているグローバリズムやリベラリズムの欺瞞を明らかにした田中氏の講義を聞かれれば、まさしく目から鱗が落ちる体験をされることでしょう。


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