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狭山事件の死体の状況だけを考える。

※過激な画像が含まれるため、閲覧には注意してください。
 昭和38年5月4日10:30ごろ、被害者は農道に埋められていたのを発見され、その日のうちに検死、解剖された。その結果を記録したものが「五十嵐鑑定書」であり、死体鑑定を県警鑑識課所属の警察医、五十嵐勝爾医師に要請したものである。
 この「五十嵐鑑定」は、5月4日19時から21時にかけて被害者の敷地内で電灯照明を使い、助手3人、写真撮影担当の警官とともに検死、解剖したものである。
 なお、弁護側の鑑定書もあり、昭和47年7月に京大教授上田政雄氏によって鑑定された内容も紹介し比較したい。

発見時の状況
発見時の図

遺体発見時の被害者の状況
・学校のセーラー服姿だった。セーラー服はあまり濡れていなかった。
・頭の上には石(縦20cm×横16cm×高さ13cm 重さ6.6kg)が置かれていた。

頭の上にあった玉石

・うつぶせに埋められていた。
・顔の下にはビニールが敷かれていた。
・タオルで目隠しされていた。
・手ぬぐいで両手が後ろ手に縛られていた。
・首と足首に木綿の細引き紐が結び付けられていた。紐はひこつくし(すごき結び)という結び方であった。

すごき結び

足首の紐はさらに荒縄に縛り付けられており、その荒縄の端にはビニール風呂敷の切れ端が結び付けられていた。

荒縄

・ズロース(下着)は半分ずり下げられた状態だった。
・遺体の上の方には茶の葉が撒かれていた。
・遺体を埋めた穴は縦166cm×横88cm×深さ86cm。
 被害者のセーラー服はあまり濡れていなかったことから埋められるまで屋内にいた可能性が高い。野外にいたとしても水を通さないビニール状のものを被せられていた可能性がある。
 頭の上に置かれていた石は、両墓制など宗教的な意味を含めて考えられることが多いが、石の大きさは墓石というほどでもなく、私は単純にもし生きていたとしても頭を起こせないようにとか、化けて出ないように置いたように感じる。
 ビニールも顔の保護ではなく生き返った、もしくは仮死状態にあっても起き上がれず再度窒息するように用心のために置いたのではないだろうか。顔の保護のためであれば、仰向けにしてビニールで覆ってやれば良い。
 タオルの目隠しは、すぐに取れるぐらいの覆い方で頭の後ろで一度だけ真結びがされていた。犯人が顔を見られないようにするためであればもがいたりしても外れないようにきつく結ぶ必要があるし、死後に顔を見たくない、死体に見られたくないために隠したという印象が強い。
 茶の葉がわざわざ撒かれていたのは、匂いを隠すためであろうか。犯人は祟りや殺し損ねた場合のようなものを恐れているかなり小心者の印象を受ける。
 そして、これもよく議論されているのだが首と足首の紐の結び方についてだ。ひこつくし(すごき結び)という特殊な結び方がされているのだが、すごき結びについて文教大学女子短期大学講師の奥平志づ江氏による「ひも結びについて」では、「すごき結びは杭に舟、馬などをつないだり、物を下げたりする場合、簡単に手早く結べる利点がある」と述べられている。要するに何かを吊り下げたり、引っ張られても解けないようにする結び方だ。
 45kgの遺体を運ぶのはかなり骨が折れる。死亡して脱力しきった人体を抱き抱えて運ぶのは困難だろうし、死後硬直状態であれば運搬はもっと難しいだろう。意識がない死後硬直の始まった45kgの人体を運搬するためには、何か台車のようなものに載せるか、肩や足を持って引きずるしかない。
 遺体埋葬現場にあったリアカーの跡から考えるとリアカーの載せ下ろしや掘った穴に遺体を下ろす際に使った紐であると考えるのが自然だ。複数犯ならこれだけの大掛かりな運搬のための準備は必要なさそうな気もするが........。

死亡推定時刻について
 推察される死亡推定時刻について五十嵐鑑定書によると、
「本屍の死後経過日数はほぼ二~三日位と一応推定する」
とあり一日とは断定していない。少なくとも5月1日から5月2日には殺害されていたと考えられる。

消化器内容物
 胃の内容物を見ると、
「本屍の最後の摂食時より死亡時期までの間には(ごく特殊なる場合を除き)最短三時間を経過せるものと推定せらる」
とあり、殺害時刻の3時間前には何かを食べていたこともわかっている。更に、
「消化せる澱粉質の内に、馬鈴薯、茄子、玉葱、人参、トマト、小豆、菜、米飯粒等の半消化物を識別せしむ」
とあり、下写真にもあるようにかなり外観が分かるものがまだ胃のなかに残っていた事になる。解剖時は250ccの上記内容を含む半粥状の食物が残っていた。

胃の中の残渣物

 胃の働きは口腔内で噛み砕いたものを一時的に溜め、胃液で殺菌し溶かしながら攪拌・粉砕し少しずつ十二指腸に送ることだ。
 固形物が胃に入った場合はまず10〜20分はそのまま胃で停滞すると言われている。その後消化運動が始まるのであるが、胃は小腸の消化運動に合わせて少しずつ十二指腸に食物を送るため、大量に摂取すると胃に食物が残る時間は長くなる。
 また、消化の悪いものを摂取しても胃での停滞時間は長くなる。胃にどれだけの量が残るかは、量だけでなく、消化のしやすさによっても左右される。
 例えば600kcalの食物を摂取すると胃のなかが空になる時間はおよそ3時間強ほどとされる。そこから考えると食物残渣物、調理実習で作ったカレーの残渣ではないことは明らかだ。
 調理実習でカレーが完成したのは11時50分ごろ、食べたのは12時10分ごろとされる。最高裁で開示された献立表の内容は、ジャガイモ、人参、玉葱、肉と福神漬けであった。
 もしも残渣物が調理実習のカレーであれば死亡推定時刻は15:00時以前となってしまい、目撃情報と整合性がつかない。また、上田鑑定によれば食事は死亡推定時刻2時間以内とされている。放課後になんらかの食事を取ったことは間違いない。もし消化の遅れた昼食が残っていたとしてもカレーの色素は腸の中でも残るといわれているが、確認されていない。
 被害者宅の敷地内で検死・解剖をしており、昭和30年代の白熱灯のなかの解剖で色素の細かな違いまで見れたかどうかは疑問ではあるがただし、強い緊張状態にあると交感神経が優位になり、消化管の動きは緩徐になる。もし誕生日に誰かと会う約束をしていて強い緊張状態にあったとしたら消化が遅れたことは考えられる。しかしトマトは昼食に摂っていない。
 書籍やネットでは特に、「季節外れのトマト」が議論されることが多い。確かにハウス栽培は促成栽培とも呼ばれ、夏野菜を春に収穫し、商品価値を高めることで、高価だが季節外れの野菜を食べることができる。つまり、高価なトマトを購入でき、与えるだけの経済力があったものが犯人、すなわち年上の彼氏がいたのではないかという推理もある。
 確かに、トマトは暖かい土地でも2月に種まきを行い収穫は8月ごろで、5月に食べたトマトはハウス栽培のものである可能性が高い。農業技術研究所の八巻正氏の「戦後における施設園芸技術の展開過程」によれば、昭和26年の農業用ビニールの市販を契機とし、昭和20年代後半から30年代にかけてハウス栽培の胡瓜・西瓜・トマトが急速に展開したとある。しかし、生産が安定してきたのは昭和40年代とされている。さらに1966年〜1968年の東京都中央卸売市場におけるトマトの平均価格をみるとキログラム当たり47円とされている。このトマトの平均価格は旬の時期のトマトの値段のため、春トマトはさらに値段が高かったはずである。そこで、当時の収入を調べてみると1963年の大卒初任給(公務員)は15700円で、当時の物価は牛乳1本16円、ラーメン1杯50円、コーヒー1杯60円とされている。多少高いとしても高校生のお小遣いでもトマト一つぐらいなら買えそうなものだ感じてしまうのだが.....。

角膜混濁
 角膜混濁は「微混濁」の状態であったとされる。上田鑑定では「死後1日以下」と判断しており、「眼球緊満度が落ちている所見は相当腐敗が進んでいる如き感を与える」と述べ、鼻孔内や胸腔内、心嚢内の状況から「死後1日以上2日ぐらい」という判断である。
 角膜の透明性は角膜内皮細胞のポンプ作用により維持されているが、死後機能が停止するため角膜に水分が貯留し肥厚するために混濁すると考えられている。
 角膜の混濁は死後6時間ごろから始まり、24〜48時間程度で完全に白濁するといわれている。角膜混濁から考えれば死後1日前後となるが、遺体にはタオルによる目隠しがされており、さらに5月1日は夕方から雨が降っていた。土中も湿度は高かっただろう。
 そのため角膜の混濁は遅れていた可能性が高く、死後1日以上経過していてもおかしくないと考えられる。


死斑
 死斑は遺体の前後にあり(胸と背中の両方にあった)死後7時間程度仰向けに置かれていて、その後うつ伏せで、2時間以上経過したものとされている。
 死斑は皮膚の表面に現れる痣状の変化である。心臓の停止とともに血液の循環が止まり、その後死体を動かさずにいた場合、血液が重力に逆らえず死体の低い位置に就下(しゅうか)し、この血液の色が皮膚を通して痣状に観察される。
 死斑は死後20〜30分で発生するとされ、12時間で最も強くなるとされる。死後約6時間までは体位の変化で移動し、指圧で褪色する。死後12時間以上経過すると死斑の形成は止まるとされる。
 そのことから考えると、死後9時間後すぐにうつ伏せに埋められたとしても、どこかで仰向けに7時間は放置されていたことは確かだ。衣服が濡れてないことを考えると、屋内で隠されていた可能性が高い。となると食事、性行為、後頭部の外傷は屋内の可能性が高い。

死後硬直
 死後硬直は足首に残っている程度、それ以外はほぼ完全に緩解していたとされる。
 死後硬直はATP(アデノシン三リン酸)の不足によって起こる筋の硬直だ。筋収縮・筋弛緩にはアクチンでできた細いフィラメントと、ミオシンでできた太いフィラメントの滑り運動によって起こるが、この滑り運動にはATPが使われる。死後はATPの不足によってアクチンとミオシンが強く結合して滑らなくなってしまい、硬直複合体であるアクトミオシンを形成すること硬直が起こるとされる。
 死後硬直は2〜3時間で開始し、10〜15時間で最高となり、24〜48時間で緩解が開始し、70〜90時間で完全に緩解する。緩解は解硬とも呼ぶが、筋肉細胞に残存するタンパク質分解酵素プロテアーゼにより筋源繊維が切断されて小片化するためだ。
 死後硬直から考えると死亡推定時刻は70〜90時間(およそ3〜4日)より少し前となる。つまり、5月1日には死亡していた事になる。

後頭部の傷
 被害者には後頭部に受けた傷があった。

後頭部の傷

「後頭部に頭皮損傷一個存在す。皮膚創口は柳葉状、、、その大きさは約一・三糎長、約〇・四糎巾にして、長軸の方向は左上方より右下方に向かい斜走す。」
「両創端は比較的尖鋭にして、両創縁は共に正鋭ー平滑ならずして、僅かに坐滅状を呈し、微小の凹凸を有す」
「創壁はやや不整にして、創洞内には架橋状組織片が著明に介在す。創洞の深さは帽状腱膜に達し、創底並びに創壁には凝血を存す。」
「その他には特記すべき損傷・異常を認めず」
「後頭部裂創は、その存在部位、損傷程度、特に創口周囲の皮膚面に著明な坐創を随伴せざる事よりみれば、棒状鈍器等の使用による加害者の積極的攻撃の結果とは見做しがたい。(勿論断定的否定ではない)むしろ、本人の後方転倒等の場合に鈍体(特に鈍状角稜を有するもの)との衝突等により生じたと見做しえる。」(カッコは五十嵐氏の挿入)
 この傷は凝血(凝固)がみられていることから、生前もしくは死亡直後に受けた傷であることは間違いない。
 五十嵐鑑定では、創部周囲の皮膚面が著しい坐創であることから、殴られたというよりは転倒した際に何かの角にぶつけたと考えている。ここで不思議に思うのは、後ろ向きに倒れても人間はそう簡単に後頭部から落ちないという点である。
 強い力で故意に突き飛ばされても人はまず尻もちをつく。頭部より腰部の方が地面に近く、重いからだ。急に意識を失った場合でも後ろより前に倒れ込むことが多い。
 ヒトはどちらかというと立っている時は重心は前方向にかかっているからだ。後頭部をぶつけるのは例えば滑った場合である。この傷を負った場所は外後頭部隆起の上方約2cmという記録で、外後頭部隆起という部位は後ろ頭の一番飛び出しているところである。この出っ張り部位より上に傷があるということはよほど尖ったものに突っ込んだか、壁面から飛び出した何かにぶつけたか、もしくは細くて硬い棒状のもので殴られたかである。
 傷が達していたとされる帽状筋膜は表皮、真皮、皮下組織の次の層であり、傷としてはかなり深い。頭部は血管に富んでいるため、かなりの出血もあったに違いない。上田鑑定では牛乳瓶2本分程度の出血があったとされている。どこかで多量の出血があったのは間違いないのだが、その血痕は見つかっておらず、雨で流れたか隠匿できたのだろうか。
 もし殺人を考えた意図的な暴力によるものならもっと滅多撃ちにしたはずだろうし、絞殺したあと死亡したことを確認するために殴ったのだろうか?強姦する気で少女を見つけて出会い頭に殴ったのだろうか?しかし傷から見てわかるように左上から右下に傷が斜めに入っている。被害者は当日自転車で登校しており、自転車に乗っている人間の頭部を長い棒状のようなもので殴ったとしてもこの角度で傷はつきづらい。犯人が右利きなら右上から左下に傷ができるはずである。やはり押し倒し倒れた先に尖った硬いものがあったのか?

 この図はElena F Kranitoni博士による「Forensic investigation of cranical injuries due to blunt force trauma:current best practice(鈍的外傷にによる頭蓋損傷の法医学的調査:現在のベストプラクティス)」に記載されている図だ。この法医学論文によるとHBLラインというラインより上の領域での鈍的外傷跡は暴力的外傷によるものが多いという報告がある。
 たしかに、殺人のためのものならば額から頭頂部周辺にかけてもっと沢山の傷があるはず、と考えるならば襲う際にできた傷か、強く押し倒した先に鋭利なものがあった、意識を失った後に確認のために殴りつけたかだ。
 やや腑に落ちないのが、性行前であれば、頭から多量の出血をしている女性を強姦したことになる。よほどサディスティックなものでもない限り、血まみれの女性の強姦には抵抗がありそうに思うが。

死因
 直接的な死因は首を絞めたことによる窒息死であった。五十嵐鑑定では、「加害者の上肢(手掌、前膊あるいは上膊)あるいは下肢(下腿など)による扼殺」と考えられ、上田・木村鑑定では被害者の首に見られる蒼白帯から、「幅広い布による絞殺」とされた。ちなみに「扼殺」は手または腕で禁扼し死にいたらしめること、「絞殺」は紐などの索成物で首を絞めることである。さらに、東京新聞によると手の爪には犯人のものとみられる皮膚片が挟まっていた」とされる。

 図を見れば広い範囲の蒼白帯があることは間違いない。そして、頸部に指や爪の跡がないのである。もし腕や下腿で絞め殺したのなら、チョークスリーパーのように後ろから絞める必要がある。タオルなどの幅広の紐だとしても、同じように後ろから絞める必要がある。もし、後ろから絞めたのであれば、殺害の際に後頭部の傷を負ったことは考えにくい。向かい合ってタオルのようなもので首の前側が交差するように絞めたのであろうか、その際に転倒し頭を打ったのなら自然だ。

処女膜と精液について
五十嵐鑑定によると、
「1.本屍の外陰部には生存中成傷の新鮮創を存ずること。2.膣内容より形体完全なる精虫多数を検出し得たこと。3.本屍には生前の外傷を存ずること」
「本屍の死亡直前に暴力的性交が推敲されたものと鑑定する」とある。
 膣内から血液型B型でLe(a-b+)型の精液が検出された。処女膜の時計文字版位一〇時から二時までの間は裂隙状でしかも創縁が蒼白で死後にできた損傷である可能性がある。五十嵐鑑定の左右大陰唇外側の傷について「典型的爪痕の形状を示さないが、加害者の指爪による損傷の疑いが強く存在する」と述べている。
 上田鑑定では新たに処女膜に生前のものと思われる裂隙状の損傷があると指摘しているが、そのほかの外陰部に存ずる表皮剥脱、擦過傷、皮下出血などの各損傷については両鑑定とも生前に生じたものと見ている。
 処女膜については、生前事件前に性行為があった、なかった点について盛んに議論されているが、処女膜の傷についてはスポーツなどでも傷がつく場合ありどうとでも受け取れる。よってこの点については考察しない。たとえ周りの友人が被害者のことを「そんなことをする人間ではない」とか「彼氏はいなかった」と言っていたとしても16歳の女性に秘められた行為があったかどうかはどのように議論しても定かではない。
 しかし、膣内に精液が残っていたのは事実であり、生前または死後直後に性行為があったことは事実だ。生前であれば、頭部が血塗れの女性を犯すのはかなりのサディストであり、そう考えると性行為の後に頭部を受傷したと考える方が自然だ。
 死後であれば、もうどうしようもない変態であるが、死姦があったならば遺体発見時にズロースが下がったままである点は説明がつくかもしれないが、ズロースが半分下がったままでは正常位では性行できない。
 また、精子の寿命は2〜7日なので、死亡推定時刻の確定となる情報にはならなそうだ。ズロースが下がっていたのは遺体を引きずったせいではないかと感じる。

遺体の状況
 被害者に残っていた傷などをまとめると以下のようになる。
A 後頭部:1.3cmの帽状けん膜に達する傷(凝血あり)
(い) 頭頂部に指頭大以下の皮下出血斑やや多数散在
(ろ) 左側頭部に指頭大以下の皮下出血斑若干
(は) 左側頭筋内に軽度の出血
B 顔部:左口角部から顎の左外側・下顎底にかけて暗紫部(皮下出血)
C 前頸部:広範な圧迫痕
E1 右掌側前腕:指頭大皮下出血1
E2 左上腕撓側面(とうそくめん)上部:長さ約5.3㎝、幅1.4㎝の皮下出血
D1 右側側腹部:指頭大皮下出血1
D2 下腹部左鼠径(そけい)部:指頭大皮下出血5~6
D3 左側腹部腸骨棘(ちょうこつきょく)の内側:母指頭大皮下出血1、指頭大皮下出血1
F 左大腿部前面の鼠径溝直下:指頭大皮下出血数個
G1 恥丘発毛部:指頭大皮下出血1
G2 右大陰唇外側:母指頭大の皮下出血と線状擦過傷と表皮剥離
G3 左大陰唇外側:母指頭大の皮下出血と線状擦過傷
H1~3 小陰唇内側:9時の位置に小豆大皮下出血、3時・5時の位置に小指爪面大皮下出血(処女膜の2時・7時・10時の位置に付着基部に達する陳旧性亀裂3条)
I 処女膜:6時の位置に小指爪面大挫傷(皮下出血)
① 左側腹部より左鼠径部にわたり上外側より下内側に線状擦過傷多数② 左前大腿の、鼠径溝直下に平行に縦走する細線状表皮剥脱多数(巾10.2㎝×上下6.0㎝)
③ 右大腿の前外側面に、鼠径溝直下に上内側より下外側に平行に斜走する線状擦過傷多数(巾13.7㎝×上下16.0㎝)。各間隔は0.7㎝内外。④ 左右の前下腿部に脛骨縁に沿い縦走する線状擦過傷若干。
下肢の状況から、死後運搬のためにうつ伏せのまま引きずられたと考えられる。

 これら事実からまとめると次のようになる。死亡前3時間以内に茄子・トマト・玉ねぎ・馬鈴薯・人参・小豆・米を含む調理実習のカレーではないものを食べ、性行為を行い、後頭部に傷を受け、タオルもしくは腕で窒息死させられた。その後、雨の振り込まない場所あるいは、屋外でもビニールのようなものをかけられ7時間ほど仰向けにされ、その後2時間腹這いにさせられた。腹這いで引きずられ、埋められた。おそらく死後硬直により埋葬時は直立であった。

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