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失踪者は何処へ行くのか

 「行方不明者発見活動に関する規則」によれば、行方不明者は「生活の本拠を離れ、その行方が明らかでない者」と定義される。
 その中で「殺人や誘拐・犯罪被害の可能性があるもの」「自殺の恐れがあるもの」「精神障害を抱えているもの」「自救能力のない老人」などの行方不明は「特異行方不明者」と呼ばれる。
 令和4年6月に発表された警視庁生活安全局人身安全・少年課による「令和3年における行方不明者の状況」によれば年間の行方不明者は79218人であった。
 男女比は男性が50289人(63.5%)女性が28929人(36.5%)と男性の割合が高く、年齢は20歳代が15714人と一番多く、次いで13577人の10歳代であった。40%弱は10代〜20代の若い層が行方不明になっている。
 原因・動機別では疾病関係が23308人(29.4%)で、次いで家庭関係12415人(15.7%)、事業・職業関係が8814人(11.1%)の順で多い。つまり45000人ほどの人間が何らかの明確な理由により自ら姿を消している。近年では認知症の失踪も増え、平成27年(2015年)では14.9%もの割合で「認知症」による失踪が起こっている。この認知症による行方不明は年々増え続けている。
 1973年の星野らの研究では、成人の蒸発契機の理由について「夫または妻の浮気・浪費癖などの夫婦間の葛藤22.2%、かけおち23.1%、仕事への不適応14.8%%、夫婦関係以外の家庭不和12.0%など」としている。
 一般的な行方不明者の失踪原因は、「異性(または同性)などと駆け落ち」「借金等による逃避」「学業や進路の問題」「職業や職場での問題」「事故」「家庭内トラブルの緊急避難」「ストレスや持病」「入信や出家」「放浪癖」「自殺願望」などで、現状からの逃避の側面が強く、今も昔もあまりその理由は変わっていない。また、衝動的側面が強く目的を「自分が見つからないようにすること」としていないものも多い。
 行方不明者のうちの85%が1週間以内に発見に至るが、1週間を過ぎると捜索が困難になり、1〜3ヶ月の発見率は3.8%、1年以上では1.9%まで低下すると言われている。1年以上追手を躱せば新しい生活が送れる可能性がある。
 さらに失踪届が出されてから何らかの所在確認までの期間は届け出受理当日が最も多く33650人、次いで2〜7日以内の21097人である。届け出の受理当日で46.8%、2〜7日以内で34.1%、つまり1週間以内に行方不明者の80.9%が発見されているということだ。死亡して発見されているケースは全体の4.4%とされるが、これには事故や病死、自殺も含まれる。
 令和3年中でだと行方不明者79218人のうち何らかの所在確認がなされたものは78024人で、さらに実際に所在が確認されたのは65657人で、行方不明後98.4%はどこにいるか判明しているのだ。

 警察に出す「捜索願」は行方不明者の状況により「特異行方不明者」と認定されることにより捜索が開始される。成人の行方不明者で、事件性がない場合は「一般家出人」となり警察が捜索に乗り出すことはほとんどない。
 ただし、警察の行方不明者としては登録される。失踪を自分の意思で行ったと推定できなかった場合、失踪者が未成年の場合は捜査対象となることが多いが、そうでない場合は家族が独力で捜索するか、NPOや民間の調査会社に協力を仰がなくてはならない。
 また、精神的な疾患などによる失踪の場合もある。認知症による徘徊もそうだが、「遁走(とんそう)」の場合もある。正確には病的な遁走を「解離性遁走」と呼ぶ。急に住み慣れた家や職場から離れたところへ行き、名前や家族、職業などと言った重要事項が思い出せなくなる精神疾患である。旅先では別の人物のように過ごし、自分が何かを忘れてしまっていることに気づかない。
 そう考えると殺人事件に巻き込まれたり、誘拐・拉致に遭うのは恐ろしく特殊なケースである。平成27年(2015年)中に発見あるいは帰宅が確認された失踪者8万232人のうち、0.05%の4092人は事件や事故に巻き込まれた可能性が高い。
 ただし、失踪はあくまで「失踪された側」から呼んだ場合であり、失踪者当人からすれば、「家出」や「逃避」だ。その人たちはホームレス化することもあれば、ネットカフェなどで生活をしたり、日雇い労働者として働くものもいるだろう。つまりは行方不明は失踪者自らの意思で「逃避先で別の生活」が行われている。
 どうしても失踪者を発見できず、気持ちの区切りであったり、相続の問題などで仕方なく失踪者を「死亡した」ことにすることもある。これは「失踪宣言」というもので、家庭裁判所に申し立てを行い受理されることで法律上死亡したものとみなされる。
 ただし、「死亡させる」ためにはルールがある。不在者(従来の住所又は居所を去り,容易に戻る見込みのない者)につき、その生死が7年間明らかでないとき(普通失踪)、又は戦争・船舶の沈没、震災などの死亡の原因となる危難に遭遇しその危難が去った後その生死が1年間明らかでないとき(危難失踪)に家庭裁判所に申し立てることが可能である。


 ただし、いくつかの特殊なケースはある。事件や事故の可能性がありながらもなかなか見つけることができないケースだ。「千葉県茂原市女子高生行方不明事件」は2013年7月11日から行方不明になっていた、千葉県茂原市に住む高校三年生の女子生徒(17)が、同年9月26日昼に自宅から400m近く離れた神社で発見された事件だ。

 女子高生は高校からの帰宅途中に失踪した。自宅最寄りの駅の防犯カメラに姿が捕らえられたのが最後で、親は2日後に警察に捜索願を出し、警察は8月7日に顔写真を公開して捜査を続けていた。女子高生の家族も近所にビラを配るなどして行方を捜した。失踪時に数十個のトマトの入った袋を抱えていた。彼女は園芸科で、その日に収穫をしたという。

 発見されたのは失踪から77日後の9月26日で、自宅から400メートルのところにある神社の社で一人でいるところを発見された。

 発見された時は体重が半分ほどに減り、軽い脱水症状はあるが、怪我はなかった。ネットでは「神隠し」と根拠のない噂話が取り沙汰された。おそらく体重が半分に減っていたのはかなりの誇張だとは思われるが、2ヶ月間満足な食事ができていなかったのは事実だろう。
 女子高生を発見した男性(70才)の証言によると、社に体育座りしていた女性が高校の制服姿だったためすぐに110番した。かなり痩せ、髪や制服の汚れは「ホームレス」のようだった。社内の広さは三畳ほどで南京錠が掛けられていたが、扉の下にある板を外して出入りしていたようだった。
 女子高生に対し警察が「連れ去られたり、事件に巻き込まれたのか?」と聞くと首を横に振り、「ずっと社にいたのか?」「畑の野菜を食べていたのか?」には首を縦に振ったという。
 兄によるマスコミへのコメントでは「1ヶ月ぐらい前から就職のことに関して、結構心配している面もあった。全く今まで自分の進路に関して考えてこなかったみたいなので相当思い詰めている感はあった」ということで、進路に悩んでいたらしい。ネットでは彼女は統一教会の2世で、それらから逃れるためと書かれているものもあるが、怪しい情報ではある。これは未成年の行方不明ではあるが、自らの意思による失踪だ。77日間に及ぶ野宿生活であり、若い女性にしてはかなり気合が入った逃避行動だ。
 他にも、平成8年(1996年)に起こった「坪野鉱泉少女失踪事件」も特殊なケースだ。

 この事件は5月5日、富山県氷見市在住の19才の女性2人が、「魚津市に肝試しに行く」と告げて心霊スポットである廃墟「坪野鉱泉旅館」跡地を訪れたと考えられる後に行方不明となった。友人のポケットベルに「今魚津市にいる」とメッセージを送ったのが最後であった。

 その後、富山県警は魚津市にある「坪野鉱泉旅館」跡に出向いた後に失踪したと考え、1年間以上にわたる捜査・捜索活動を行うが彼女たちが乗っていた車も含め消息を掴むことはできなかった。
 県警はヘリを使い崖下を捜索したり、山岳捜索も行っている。また、坪野鉱泉が暴走族の溜まり場であったことから事件に巻き込まれた可能性も考えられていたが手がかりは掴めなかった。
 しかし、事件から18年後の平成26年(2014年)になって事情を知っている男性たちの存在が浮上し、24年後となった令和2年(2020年)、ホテルの跡地とは全く別の場所から少女2人の遺体が発見された。
  これらは、「当時、女性2人の乗った自動車が海へ転落したのを見たと話している者がいる」という情報を富山県警が入手した。さらに5年後の令和元年(2019年)に、その目撃者とされる男性3名を特定し翌年、情報聴取を行った。

 男性3人は「1996年の大型連休の深夜に、射水市の「旧海王丸パーク」付近で、駐車中の女性2人に声をかけようとして近寄ったら、2人が乗った車が後ろ向きに急発進して海に転落した」「怖くなってその場を立ち去った」「転落の責任を問われるのが怖くて通報はしなかった」などと証言した。

 さらに男性らは「転落の前には、女性2人が乗った車のドアを開けようとしていた」などと知人に対して話していたという。おそらくこの男たちは遊び半分で女性の車に乗り込もうとし、それに恐怖した女性たちはパニックになり運転を誤ったのだろう。こいつらが殺したようなものだ。さらに、20年以上もそれを放置していた。
 令和2年(2020年)、射水市八幡町にある伏木富山港の岸壁(富山新港北3号壁)付近の海底に少女2人が乗っていたものとみられる軽乗用車が沈んでいるのが見つかり、車内から複数の人骨が発見された。
 その後軽乗用車は引き上げられ、少女の一方が使っていた車だと特定されたと富山県警が発表した。発見された人骨について、富山県警は「損傷が激しく、頭蓋骨や骨盤は残っていなかったが、大腿骨の一部から検出されたDNAの鑑定結果や残された遺留品から、失踪した2人のものと特定された」と発表した。
 失踪から24年を経た後であった。自らの失踪でない上に手がかりが少なく、予測がつかない行動が発生すると発見するのが難しいことを示している。

 本当に人を探すのは難しい。特に何の痕跡も残っていない場合は、事件に巻き込まれたか事故に遭ったかを考えないといけないが、予想の範疇を越えるとまるで見当違いの方向を捜索している可能性もある。トラッキングには想像力が必要だ。
 ほとんどのケースでは失踪前の会話の内容や行動などから行方を考えることができる。思ったより人間は何らかの繋がりを断ち切れてないものなのだ。

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