「再審」なぜ針の穴にラクダを通せないのか。
日本の刑事事件の再審は、人権擁護の理念に基づいて、誤判により有罪の確定判決を受けた冤罪被害者を救済することを目的としている。冤罪が疑われる場合の解決方法は再審以外にない。
しかし日本においては、「開かずの扉」「針の穴にラクダを通すより難しい」と揶揄されるほど、再審が認められること自体が稀である。
例えば2015年の司法統計によると、地方裁判所に再審を求めた人は338人おり、うち181人に再審の判断が出たが、再審開始を認められたのは1人だけであった。まさに開かずの扉である。
その原因は、各事件の固有の問題ではなく、現行の刑事訴訟法(昭和23年法律第131号)が施行されて75年を経た今もなお、再審法(刑事訴訟法第4編再審)の規定が僅か19条しか存在しないという、再審制度のシステム上の問題にある。
刑事訴訟法全体で500もの条文があるにもかかわらず、再審についての法律は19しかない。つまり、80年近くに渡って何のアップデートもしていない法律なのだ。
ヒトも、ヒトの考え方も、ヒトを取り巻く環境も刻々と変化するのに、変化したヒトを縛る法を全く変化させていない。多くの人は罪人のための法律など気にも留めてないのかもしれない。ただ、アップデートしないソフトウェアなどほぼガラクタと同じだ。
まず再審を開始するためには再審請求が必要だ。有罪の確定判決を出した裁判所に再審の請求をするのだが、請求には「無罪を言い渡すべき、明らかな証拠を新たに発見した」という理由が主に必要となる。これら新たな証拠には「自明性」と「新規性」が必要であり、新しくて説得力のある新証拠が必要となるということだ。
請求後、実際に再審を行うかどうかは、有罪を受けた人(もしくはその親族)か、検察官の求めで開かれる「再審請求審」で判断される。再審請求審は非公開の手続きで、多いのが裁判所、検察、弁護側による三者協議である。そこで新証拠について訴えることで裁判所が証拠の「自明性」と「新規性」があると認め確定すると、再審が決定する。だがこの段階では「再審をやりましょうか、いつかは未定だけど」の程度である。
しかし再審が決定してもほぼ100%検察が裁判所に不服申し立てを行うため、今度はなかなか再審が開始しない。
長い年月をかけて再審開始決定を得たとしても、今度は開始決定に対する検察官の不服申立てによって審理が長期化し、時には再審開始決定自体が取り消され、振出しに戻ることもある。これにより冤罪被害者は何十年もの苦渋を味わってきた。
この「不服申立て」相撲の物言いみたいなもので、「えー!再審いるのー?ちょっと待ってよ!別にいらなくない?」といちゃもんをつける行為だ。ただの嫌がらせ行為にしか見えず、引き伸ばしによる牛歩戦術のようにも見える。
ここで検察庁が不服申し立ての理由によく使用される言葉が「法的安定性」らしい。三審制(お互いに与えられたチャンスは3回、最大3回裁判を行い、事実を明らかにし、判決を出すルール)のもとで確定した判決について簡単に再審を行ない、その判決をひっくり返してしまっては、「裁判という仕組みそのもの、司法に対する国民の信頼そのものを揺るがしてしまう」と言いたいらしい。真実が明らかになるのであれば必要なことだし、無関心な国民の信頼を揺るがすとはとても思えないのだが....。
これはどう見ても「パイセン達がやったことだから今更掘り下げる必要ない」「あれこれ努力して決まったことをいちいちひっくり返したくない」「過去の誰かが犯した間違いを正すようなことはしたくない」という「ことなかれ」で「面倒くさい」感がプンプンと漂ってくる。確かに人の間違いを公の場で指摘したくないだろうし、人が起こした間違いに対して謝罪したくもないだろう。私的な気持ちはわかるが、これは子供の遊びではない。大の大人による理性的で論理的な事実に基づく法による罪の査定だ。
ご存知の方も多いとは思うが、検察側は全ての証拠を裁判所に提出していない。乱暴な言い方にはなるが、犯行の立証に不利な証拠は恣意的に隠されていることが多いのだ。ということは当然ながら裁判官は、全ての証拠に基づいて判決を出していない。これでは裁判は真実を追求するというよりは、公の場での化かし合いの様なものだ。
そのため、開示されていない証拠が再審開始の鍵とも言える。これまでも再審開始決定を得た事件は、再審請求手続において開示された証拠が再審開始の結論に強い影響を与えたと認められる事件が多い。中には捜査機関が永らく証拠を隠蔽していたと疑われるものも存在する。なんなら証拠は捏造されている可能性すらある。
また、再審開始が認められなくても、別の新規・自明性のある証拠を用意することができれば、再度再審請求ができる。
ただし、再審請求の際、弁護側はどうにかして提出されていなかった証拠の開示を求めようとするが、実は再審請求の場合、検察がどんな証拠を持っているのか自体を知る手だてがない。何のこっちゃ。検察側と弁護側のパワーバランスがそもそも不均衡なのだ。
通常の裁判においては、2016年の刑訴法改正で、証拠一覧表の交付制度が始まった。それを見れば、収集された証拠の内容がある程度はわかるので、「何番にあるこの証拠を出してください」と言えるのだが、再審請求にはそのような規定もない。実際には供述調書や捜査報告書などをもとに「こういう証拠があるのではないか」と弁護側が推測しているだけなのだ。
例えば、「この調書に『以前もお話ししましたが』という供述がある、ということはその「以前」にあたる調書があるはずだ。提出して下さい」と少しずつ掘り下げていくしかないのだ。重箱の隅をつつくためにも経理部のお局様でも大量に呼びたいところだ。揚げ足を取るのが上手い人の活躍の場だ。
さらには開示請求をしても自動的に証拠が開示されるわけではない。検察が自主的に開示することはまずあり得ず、裁判所に開示勧告をしてもらって、ようやく渋々出してくるらしいのだ。なぜ渋々なのか意味がわからない。こんなのはただの妨害行為だ。
ただし、再審さえ始まれば、通常の刑事裁判と同様、公開で裁判が開かれる。「無罪を言い渡すべき新規・自明な証拠がある」と判断されて開始されるため、ほぼ無罪判決が出ることになる。要するに、ある程度明確な結果ありきでない限り、そうそう再審が開かれる訳ではないのだ。
これでは、よほど反論ができないレベルの明確な証拠が示されない限り再審は難しいということだ。人権もへったくれもない。
では、過去の事件からそのヒントを探ることはできるだろうか?2007年から2012年にかけて無罪が分かり、確定した事例を見ていく。
●東電OL殺人事件
1997年3月に発生した殺人事件。東京電力の管理職の女性が渋谷区円山町のアパートで殺害された。被疑者としてネパール人の男性が犯人として逮捕、有罪判決を受け、横浜刑務所に収監された。
現場に残された第三者の体毛が「解明できない疑問点」として、現場に他の人間がいた可能性も否定できないため、第一審は無罪。検察側が控訴し、控訴審では現場に残された使用済みコンドームに付着した精液と、現場に残された体毛が被告人のものと一致したとして無期懲役となり、上告が棄却され有罪が確定した。
2005年に再審を請求し、2011年に再審請求審でDNA鑑定をしていないものについて実施を検察側に要請。遺体から採取された精液のDNAはネパール男性のものと一致しないことが判明。2012年に再審が開始し、15年を経てDNA鑑定で再審、無罪となった。無罪判決に対し東京高等検察庁は異議申し立てを行なっている。
●布川事件
1967年8月、茨城県北相馬郡利根町布川で、一人暮らしをしていた大工の男性(62歳)が自宅で他殺体で発見された。自宅付近で不審な2人組の男の目撃情報があり、10月に2人の男が別件逮捕された。2人の男性は第一審では自白は強要されたとして全面否認したが、無期懲役となった。
1973年の第二審でも「他に犯人がいるのではないかと疑わせるものはない」として控訴を棄却、1978年に最高裁で上告が棄却され、2人とも無期懲役が確定した。
この事件では物的証拠が少なく、現場からは43点の指紋が採取されたが、男性らの指紋は検出されていない。さらに、アリバイは偽造されており、殺害方法は秘匿されていた。取り調べ中のテープは編集されており、現場で発見された毛髪は検察側が存在すら否定していた。
2001年12月に第二次再審請求を申し立て、2005年9月に再審を決定した。なお、これにも検察は即時抗告をしている。2009年最高裁は検察側の特別抗告を棄却し、2011年、強盗殺人罪の無罪判決が確定した。
●足利事件
1990年5月、栃木県足利市のパチンコ屋にて当時4歳の女児が行方不明となり、翌日近くの河川敷で遺体となって発見された。
栃木県警はプロファイリングを元に捜査線上に浮かんだ男性を逮捕、女児の下着に付着していたDNAと男性のDNA型が一致したとして逮捕した。
男性は自白を強要され、犯行を認める上申書を提出させられている。第一審では無期懲役の判決が出され、東京高裁は控訴を棄却、1997年に弁護側がDNA型鑑定の再鑑定を申し立てするが、最高裁はこれを拒否。2000年に最高裁は無期懲役判決を確定させる。男性は千葉刑務所に受刑者として服役する。その後2002年に再審請求を申し立てるが2008年に地裁は再審請求を棄却、男性は即時抗告する。2008年東京高裁がDNA型再鑑定を行うことを決定、2009年に弁護側、検察側どちらも鑑定結果が男性と不一致となり、2009年に東京高等検察庁が意見書を提出し、釈放となる。
再審開始が決定し、2010年に無罪判決が即日確定する。なお、事件当時のDNA型鑑定の技術レベルは別人であっても1000人に1〜2人の確率で一致する可能性のあるものであった。
●厚労省元局長事件
2010年に障害者郵便制度悪用事件の担当主任検事が証拠物件のフロッピーディスクの日付を改竄し証拠を隠滅していた。
●氷見事件
2002年に富山県氷見市で起こった連続強姦事件で、犯人としてタクシー運転手の男性が逮捕され懲役3年の有罪判決を受けて服役したが、2006年に真犯人が見つかった。
科学捜査研究所の担当者は現場に残っていた体液が容疑者の血液型と一致しない可能性を認めながら、氷見署長から依頼がなかったと言う理由で再鑑定を行わなかった。
現場証拠の足跡が28cmほどであったのに容疑者は24.5cmであったり、自白に秘密の暴露がなかったりと惨憺たるものだった。
警察は虚偽自白に追い込み、男性は有罪が確定し、容疑者が控訴しなかったため福井刑務所に服役し、仮出所まで服役した。
容疑者の逮捕後も強姦事件は続いており、2006年別の強制わいせつ事件で真犯人の男が逮捕された。2007年に検察が再審請求し、無罪となった。
●志布志事件
2003年に鹿児島県議会議員選挙で、一部の集落に対し住民に焼酎や現金を配ったとして、自白の教養や異例の長期勾留、違法な取り調べをおこなった事件である。
虚構の選挙違反事件がでっち上げられ、「踏み字」などの拷問や、長時間の取調べが行われ、多くの人が嘘の自白に追い込まれた。
自白の強要、証拠の捏造、重要証拠の無視、不正の宝石箱だ。
検察側の立てたストーリーを逸脱した証拠たちは無かったことにされ、「こいつが多分犯人だろう」と思われた人間は正義の名の下に証拠さえも捏造される。これは自粛警察と同じ構造で、「正義」を全うしてると思い込んでる間は決して自分のおかしさに気づかない。なんせ正義を行使することは快感だからだ。
私はヒトは性悪説だと考えているため、「どうしようもない悪」は確かに存在すると考えている。だが裁判において、悪に悪で対抗するならば、そもそも性善説である「推定無罪」のルールすら意味をなさなくなる。これでは、ルールの一部は無視していいゲームと同じで、好きなだけイカサマができるのならば、その勝敗自体がもう茶番だ。ただの茶番ならまだいい、無実の人を死刑にすることすらあるのだ。
死刑が確定したあと、再審で無罪が判明した事例(四大死刑冤罪事件)を見ていく。
●免田事件
1948年に熊本県人吉市で発生した祈祷師夫婦が殺害された強盗事件である。1950年3月、熊本地裁は被告人に死刑判決を言い渡す。控訴するが1951年に福岡高裁は控訴を棄却、上告するが、最高裁からも上告が棄却され、1952年に死刑が確定した。
再審請求を行うが第五次請求まで全て棄却された。このうち1954年の第三次再審請求では1956年に再審開始を決定したが、検察の即時抗告により再審が取り消された。1972年に第六次再審請求するが、1976年に請求は棄却、1979年に福岡高裁が再審開始を決定、検察は特別抗告したが、1980年に棄却され、再審開始が決定した。
再審では、アリバイを証明する明確な証拠が提示され、検察側の主張する逃走経路に不自然な点が見受けられたとして1983年に無罪判決が言い渡された。
●財田川事件
1950年2月に起きた強盗殺人事件で、香川県三豊郡財田村で闇米ブローカーの男性が全身30箇所を滅多刺しにされ殺害され、現金1万3000円を奪われた。その際、隣町で起こった別の事件の被疑者にこの事件のアリバイの疑惑が残ったため、2ヶ月に渡る拷問に近い取り調べを受け、自白を強要された。
1950年11月に行われた高松地方裁判所第一回公判では、犯行時に着用していたズボンに微量の被害者と同じO型の血痕が付着していると主張、この鑑定は法医学の権威である古畑教授が行ったとしていたが、実は門下生の大学院生が行っていた。
しかし、1952年地裁では死刑判決が下される。控訴するが1956年、控訴は棄却され、1957年最高裁判所も上告を棄却、死刑判決が確定する。
その後男性は1964年に血液の再鑑定をしてほしい旨の手紙を高松地裁に差し出す。1976年に最高裁は自白の矛盾について高松地裁に差し戻しを行い、1979年、再審開始を決定、検察側の即時抗告を1981年に棄却したため、再審開始が決定した。
自白の強要と、物的証拠であるズボンを事件当日着用していなかったことが明らかとなり、1984年無罪が言い渡された。
●松山事件
1955年10月に、宮城県志田郡松山町にて発生した放火殺人事件。農家が全焼し、焼け跡から一家4人の焼死体が発見された。解剖の結果、刀傷らしきものが認められ、殺人事件となった。
犯行当日に地元を去った人間を調査し、被疑者を別件逮捕、自白を強要した。1957年に地裁で死刑判決、1959年に高裁で控訴が棄却、1960年に最高裁で上告が棄却され、死刑が確定した。
再審請求を開始し、1979年、第二次再審請求が認められた。警察は留置所に前科5犯のスパイを送り込み、「警察の取り調べで罪を認めても、裁判で否定すればいい」と言わせ自白に追い込んでいた。また、証拠とされた掛け布団の血痕は、捏造であった。1984年に無罪判決。
●島田事件
1954年3月に静岡県島田市で発生した幼女誘拐殺人、死体遺棄事件。静岡県警が重要参考人としていた男性が職務質問され、法的に正当な理由なく身柄を拘束された。
被疑者は別件逮捕され、自白が強要され、虚偽の供述をさせて供述調書を作成し、報道機関に公表した。
1958年静岡地裁は死刑判決を言い渡す。1960年、東京高裁は死刑判決を支持し、控訴を棄却、1960年最高裁は上告を棄却し、死刑判決が確定する。
1961年に第一次再審請求を行ったが棄却、1964年第二次再審請求するも1966年棄却、同年に第三次再審請求を行うが、1969年棄却。1969年第四次再審請求も1977年に棄却、即時抗告を行う。
これを審理した東京高裁は1983年審理を地裁に差し戻した。1986年、静岡地裁は検察側、弁護側から提出された鑑定結果から「遺体の傷の状況から真実性に疑問がある」として再審開始、死刑の執行停止を決定、検察は即時抗告をするが高裁は棄却し、1987年に再審が開かれた。
再度、証拠調べが行われ、1989年無罪判決が言い渡された。司法解剖の結果は供述内容と異なっており、複数の目撃情報のある人物の人相や体格は著しく異なっているが、警察はそのことを意図的に無視していた。
なお、現在日本弁護士連合会が冤罪と認め、支援している事例が更にある。
1961年発生 名張毒ぶどう酒事件
1966年発生 袴田事件
1966年発生 マルヨ無線事件
1979年発生 大崎事件
1985年発生 松橋事件
1986年発生 福井女子中学生殺人事件
1995年発生 東住吉事件
2001年発生 姫路郵便局強盗事件
まず、あまりにも再審までの期間が長すぎる。これでは、関係者が死んでから再審しているとしか思えないレベルである。免田事件は事件発生から34年、松山事件は28年、島田事件は34年である。検察庁は人生を棒に振らせる天才なのだろうか。
そもそも、証拠というのは捜査機関が国家権力を使って私たちの税金を使って集めたもので、誰か個人のものではないはずだ。それら全てが公表されていない裁判などただの茶番でしかない。
何もしていない無辜の人間が、誤って逮捕され、有罪判決を受け、もしかしたら死刑囚となる。なんとか死刑を避けられても、無実を証明するのにまた何十年もかかって、人生丸ごと奪われてしまう。それなら、無罪にも関わらず刑を命じた裁判官も、検察も同じ時間だけ刑務所に収監される法律を作ればもっと血眼にして取り組むだろうか?
同じことが自分にも起こる可能性がある、と考えられない想像力が欠如した奴は裁判に関わることは許されないのではないか。さらに、再審事件というのは国選弁護人制度もなく、関わる弁護士は基本的には「やればやるほど赤字」というのが実情だ。
やはり、状況を変えていけるのは圧倒的多数である世論だ。まずはメディアやSNSを使い、事件に対してのバイアスや先入観を変え、本当のことをなるべく多くの人に知ってもらうしかない。
間違いは人間誰にでもある、散々に迷惑をかけてから謝るよりは、気付いた時点で非を認めて謝罪するって、大人が子供に口を酸っぱくして言っていることでは?
嫌がらせには嫌がらせを。これは冗談だが全国の弁護士が一斉に再審請求をすればいいのでは?バッファオーバーフローアタックなんかどうでしょう?
なお、この記事は私の記事を取り上げてくださったLA POSEさんの記事に刺激を受けて作成した。
ご紹介頂きありがとうございます。