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仕組まれた1時間 室蘭女子高生失踪事件

 2001年3月6日未明、北海道室蘭市に住む当時16歳の女子高校生の千田麻未さんが外出先で行方不明となった。
 彼女は自宅近くのパン屋の支店でアルバイトをしており、パン屋の本店でオーナーからコーヒーの淹れ方を教わる予定で外出したまま行方がわからなくなった。

 この日の彼女の服装は、ジーンズにベージュのブレザーで、バーバリーのマフラーに緑色の革靴だった。帰宅が遅いため日付の変わった午前1時過ぎに警察へ疾走届けを出した。警察はその後捜索を行うも発見できず、事件から11日後の3月17日に公開捜査を開始する。
 捜査には延べ4万5000人の捜査員を動員した。しかし現在までに、その消息に繋がる新しい情報は出ていない。

現在までにわかっている時系列
11時半ごろ
 この日は入学試験のため、千田さんの高校は休校であった。美容院の予約を取ろうと思ったが取れなかったため、コーヒーの講習を受けに行こうとパン屋の本店に電話をかけ、電話対応した従業員に「午後1時過ぎに行きます」と伝えていた。アルバイトしていたパン屋「ロブジェ」は支店(白鳥台)であり、本店(知利別町)からは離れたところにある。
12時25分ごろ
 千田さんは自宅近くのコンビニに立ち寄った後(コンビニの防犯カメラに写っていた)道南バス停留所「白鳥台中央」を12:25発55番「白鳥台(中島町経由1ー東町ターミナル」行きのバスに乗車。千田麻未さんはバスの後部座席に座っており、友人が見かけ手を振りあったことを友人が証言している。自宅から最寄りのバス停は「白鳥台5丁目」であり、自宅からバス停「白鳥台中央」までは約1kmほどである。
13時03分
 「東通」から3つ先の停留所である「東町2丁目」で千田さんは下車した。道路越しに同級生の男子2人が千田麻未さんを見つけて挨拶をしている。
13時4分
 千田麻未さんの姿がスーパー「室蘭サティ(現イオン)」の化粧品売り場で15分ほど過ごす姿が防犯カメラで確認されている。

13時26分
 千田麻未さんはこの時間まで化粧品売り場にいたと思われる。
13時30分
 サティ北側の道路(バス停付近)で同級生と会い「どこに行くの」と千田さんから同級生に話しかけている。PHSに非通知着信があった記録がある。
13時31分
 千田さんはこの後パン屋本店に向かうため、室蘭サティ横の「東町2丁目」バス停を13時31分に発車する「中央町・工大循環線(外回り)」のバスに乗ったと推測されている。ここでは3人の乗客が乗ったことがわかっている。
 当時このバスには24人の乗客がいたが、彼女の目撃情報は得られず、あくまで推測となっている。

13時41分
 「東通」で11人が下車した。この中で通学定期を利用したのが1名いた。これが千田さんだったのではないかと考えられている。
13時42分
 千田さんのPHSに友人から電話があり、「どこにいるの?」という質問に「もう下に着いた。バイト先に向かう」と伝えていた。
 この「下」というのは地元民が繁華街周辺を呼ぶ時に使う言葉で、室蘭では市街地のことを「下」と呼び、高台の白鳥台のことを「山」と言っていたらしい。
 当時のPHSの記録からも、アンテナの中継場所が東通付近(パン屋付近)だったことが判明している。そのため、「サティ」から再びバスで「東通」に戻り、パン屋の本店に向かったものと思われる。
13時46分
 友人から再び電話が入ったが、千田さんは「今話せないから、後でかけ直す(ネットでは「今ちょっと無理だから後でかけ直す」)」と伝えている。この時のアンテナ中継地点も「東通」停留所付近だった。
 この時の麻未さんとの会話について「室内にいるような気がした」と証言している。しかし、新聞報道ではその会話の内容は以下のようになっている。

「今人と会ってるからダメ。後で電話する」
朝日新聞 2003年3月1日

16時ごろ
 友人がPHSに連絡するも通話できない状態だった。

 その後千田さんは消息を絶った。2001年3月6日の天候は曇り(雪がちらついていた)12時の気温は0度。積雪1cmほどだった。

千田さんに関するその他の周辺情報
 彼女は北海道室蘭市に住み、地元ではトップクラスの進学校に通っていた。
 自宅から近くのパン屋の支店でアルバイトをしており、コーヒーの講習を受けるべくパン屋の本店に行く予定であった。
 麻未さんは几帳面で手帳を持ち歩いていた。
 麻未さんが室蘭サティの中を徘徊している動画が公表されたが(このカメラの映像は事件から5年後に公開された)実際には動画は他にはいくつかあるらしい。
 現地の新聞報道では千田さんがパン屋でアルバイトを始めたのは2000年12月としている。これは事件の3ヶ月ほど前のことである。
 ファンクラブがあったとされているが、新聞報道では以下のような情報もある。この情報からすると、ファンクラブがあったのは高校の時ではない。

「当時の彼女は軽装で、着替えを持っていった形跡はなく、小遣いやバイト料も部屋の引き出しに入ったまま、家庭や学校でのトラブルもなく、家出とは考えにくい」
 麻未さんは地元でも評判の美人で、「中学のころはファンクラブもあった」「かわいい子は皆ヤンキーになってしまうのに、彼女は髪も黒くて正統派の貴重な存在」と、知人たちは言う。
週刊朝日 2001年4月13日

パン屋オーナーに関する情報
 この日のオーナーは従業員から13時過ぎに千田さんが来ることを伝えられた。その後、13時半ごろまで待ったが千田さんが来ないため店を出て、15時には自宅に帰った(週刊新潮より)という証言である。どのような用事かは忘れたが、千田さんが来なかったため店を出たらしい。家に帰った後は体調が悪く親の前でコタツで寝ていた。探しに出たという説もあるが、ソースは怪しい。
 翌日朝には警察がオーナー宅を訪れ、3日間に渡って任意での取り調べを行った。所有する車両を押収し、自宅と店舗を捜索したが、事件との結びつきとなるものは一切見つからなかったとされる。
 後に報道機関の取材で15時以降は母親の前で寝ていたと証言しているが、身内の証言はアリバイとしては立証されていない。
 そもそも、平素コーヒーの講習などというものはなかったというパン屋の従業員の声もある。
 事件から数年後に開設された、探偵を名乗る人物のブログ(現在はサービスが終了したため閲覧ができない)では「パン屋の本店が入っていたビルはオーナーの所有していたビルであり、階上の空き室を居住スペースに使っていた可能性がある」との記述があった(現在は削除されている)
 パン屋本店が入っていたビル(ファウンダーズビル)はオーナーの母親の所有らしい。事件の1年数ヶ月後に差し押さえになり、競売にかけられ、現在は別の人が所有している。このパン屋は元々は有限会社として昭和58年に立ち上げ、平成元年に20代半ばでオーナーが取締役に就任、平成8年にパン屋を開業したとされている。
 2002年2月発行のゼンリン住宅地図ではファウンダーズビル2階には201が空き部屋、3階302に実際に空き部屋があった。
 テレビでは1年後に自己破産しパン屋は閉店したと伝えているが自己破産ではなかった。2003年には自宅は月極駐車場となっている。その後2010年にはオーナーは室蘭で喫茶店兼カレー店を経営している。

パン屋支店長
 パン屋の本店オーナーと支店長は別の人物である。さらにまことしやかに言われているが、そもそも支店長はストーカーの存在は話していない。話しているのはPHSにかかってくる悪戯電話についてだ。

テレビの取材に答える支店長

大幅に遅れた時間
 彼女が約束とされる13時過ぎを大幅に遅れても本店へ行かなかったのはなぜだろうか。時間の遅れ方がかなり不自然なのだ。
 考えられる理由としては、
・気持ちの上ですごく行きたくなかった。
・待ち合わせの時間が違った。
・千田さんが超適当な性格で時間にルーズだった。
などがある。
 防犯カメラの画像からでは急いだり焦ったり何かから隠れるような動きはなく、「時間潰し」にしか見えない。何かから逃げる時は自然と歩幅が広くなるはずだがそのようには見えない。少なくともこの時は何かに追われたりしてはいないようである。
 さらに13時過ぎに行きます、となれば常識の範囲内であればせいぜい13時15分ぐらいまでに到着するだろう。しかし実際にパン屋付近に到着したらしき時刻は13:40ごろである。几帳面で真面目、優秀な成績の人物像なら時間には遅れないだろうし、ましてや15分早く着いていそうである。本当にアポイントの時刻は「13時過ぎ」だったのであろうか。
 もし約束の時間が14時であれば15分ほど前に到着したことになり、イメージ通りの人物像となる。14時の待ち合わせ前に早く着いたから少しブラブラした、という方がこの状況では自然なのだ。
 これは13時の待ち合わせと周囲に虚偽の伝達し、虚偽の伝達を行い14時の約束として会ったのならかなり計画された犯行である。急に当日に千田さんから連絡を入れ、講習を受けに行けるのならオーナーは常に準備できていたとも言える。千田さんにはいつでもいい、と言っていた可能性が高くなる。
 11時半の電話を受けた後にオーナーから時間の変更が伝えられたとしたら通話記録が残っていたはずだが、捜査の詳細はわからない。もし14時の待ち合わせだったとしたら、彼女の動きはごく自然なものに見え、13時30分に店を出たオーナーは彼女の確保のため虚偽の証言をしたことが確定する。

彼女がいた範囲
 2001年当時のPHSの電波の範囲は半径500メートル程度であった。

PHSの基地局

 記録からすれば東通500m付近に本人あるいはPHSはあったことは確実だ。拉致直前まで彼女はパン屋付近にいたことは確かだろう。彼氏の証言する電話の内容が真実であれば、彼女は屋内に入っていた可能性が高く、パン屋の本店周辺のどこかの屋内である。もし屋内に入っていたのであれば、路上での急襲による拉致の可能性は無くなる。そうであればストーカーや通り魔の犯行説は全て消える。

 彼女のPHSの記録だと、午後1時45分ごろ、友人の女の子から電話がかかってきている。麻未さんは『いま、用事があって話ができないから、かけなおすね』と言ったそうですが、その後、電源は切られたまま。通話の場所がパン屋から十数メートルのバス停付近だったことがわかっています」
週刊朝日 2001年4月13日

 この記事からすると、最初のPHSへの電話は彼氏ではなく友人だ。なぜ2回も彼氏から不自然に電話があったのかが疑問に思われているが、新聞報道によるとそもそも彼氏は2回も電話していない。
 その後PHSが不通になったのは屋内に入って電源を自ら切ったのか、屋内に入る際に電話を持っていることに気づいた犯人が切ったのか、それとも所持品を調べて切ったのかは不明だが、充電の状態に問題なければ、誰かが意図的に切ったことになる。
そして、彼女の行動の不自然さが目立つかもしれないが、13時45分ごろ東通バス停付近にいたのは確実である。

彼氏の存在
 彼女には彼氏がいた。一部ネットなどではその存在を誰も知らなかったなどという話もあるが、ソースは不明で、信憑性に欠ける。彼氏との電話のやりとりはメディアに答えた彼氏の母親が証言している。さらに、PHSへの電話については友人であったり彼氏であったりと確実性が乏しいため、「友人」と表現している。新聞報道では1回目の通話は彼氏ではなく女性の友人だとされている。
 母親の証言は以下である。
「アルバイト先に何か用事があって行くというふうに言っていたみたいですけど」「最後は、かけた時には今ちょっと話せないんでみたいな感じで言われて、後でかけ直すって言って麻未ちゃんの方から切ったみたいですけど」
「4時ぐらいにかけた時には、もう通じなかった」

休校だった学校
 この日は火曜日で平日であり、入学試験のため休みだったのはこの学校の生徒だけである。そのため、まず他校の生徒による犯行はあり得ない。そうなると、この日に用事を入れていた人間とそれを知っていた者しかこの子を確保できない可能性が示唆される。

コーヒーの淹れ方
 コーヒーの淹れ方講習は全スタッフにあったのだろうか。いくつかのサイトや週刊誌では「そもそもコーヒーの淹れ方講習はなかった」という従業員の証言もある。そもそもコーヒーの講習とは何を教えるものであったのか。エアロプレスやサイフォンなどよほど高度な入れ方でコーヒーを入れていたのならともかく、淹れ方を教えるなら、オーナーが自ら教える必要などない。それほどのこだわりがあるなら、自ら淹れる人がコーヒーを好きには多いのだが、このオーナーは毎日営業時間におらず、自由に出勤していたようだ。本当に講習がなかったのであれば千田さんをピンポイントで狙ったものとなる。

 室蘭署によると、千田さんは、休校日だった六日昼過ぎに同市東町二丁目の大型スーパー北側道路で同級生と話したのを最後に行方不明になった。1月から毎週日曜日、自宅に近いスーパーのパン屋でアルバイトをしていた。店長は「主にレジを担当していた。明るく接客態度も良かった」という。
朝日新聞 2001年3月23日

 そしてまことしやかに「学校帰りでのバイトを希望していた」とされるが、彼女は毎日バイトをしていた訳ではない。日曜日の日中だけだ。しかもレジの担当でパンを触っていた様子もなさそうだ。本当に彼女は本店での接客業務を希望していたのだろうか。

パン屋店員の証言
 映っているこの方が電話を取ったのであろうか。
「電話の方が午前中に来て、千田さんの方から1時過ぎに来たいんですけどって言ったんですよね」
と当時のテレビの取材に答えている。わざわざ「千田さんの方から」と言っているので、彼女から電話があったことは間違いないだろう。

インタビューに答える従業員

 そして、
「1時過ぎになっても別に来なかったし、その後オーナーは出かけたんですよ」
と語っている。13時半にはオーナーは出かけており、やはりこの方の中でも「1時過ぎ」は13時〜13時半の認識だったことがわかる。なぜ彼女は13時半を余裕で過ぎたのだろうか。

事件後のオーナー
 この事件、どう考えてもオーナーにしか容疑が向きようがないのだが証拠は発見されず、オーナーは逮捕されていない。千田さんが行方不明になった次の日には警察がオーナーの元に訪れ、3日間に渡る事情聴取を受けた後も監視を受けていた。警察は家の中と所有している車も徹底的に調べたが、髪の毛一本見つからなかったとされている。

 パン屋のオーナーはこう話す。「彼女は、これまで自宅近くの支店で働いていたが、三月から本店で働きたいとのことで、その日は研修をかねて本店に来ることになっていた。午前11時ごろの電話で、「午後1時過ぎに行く」と連絡があったが、現れずじまい。私は午後1時半ごろ店を出て、用事を済ませて自宅に戻った。翌朝、捜査員が来て行方不明になったことを知りました」
週刊朝日 2001年4月13日

 さらに風評被害によるものか店を閉めたあとに住んでいた家を取り壊したが、更地になった土地に警察が重機を入れて掘り起こしているが何も発見されなかった。その後もオーナーは室蘭でカレー店などを経営している。

妄想と考察
 まず、この日は日曜日や祝日ではなく彼女にとっては学校が休校している特殊な日だ。おそらく在校生も外に遊びに出ているし、現に数人が彼女を目撃している。つまり、この日の彼女の動きは予測不能な部分が多く、意図的に拉致しようとした人間がいたとしても計画外のことが起こりやすい。つまりパターン化した行動を取っていないため連れ去りが非常に難しい。もし私がストーカーでこの日に拉致を決行しようとするなら、車通りの多すぎる昼間を狙わない。暗くなっての方が遥かに犯行の安全度は増すからだ。
 新聞報道からすると、不自然とされた連続した彼氏からかけた電話のうちの1回は彼氏ではなかった。彼氏による犯行説もあるが高校1年生の男性が拉致、監禁もしくは殺害を完遂できたとは到底思えない。もちろん、この日の彼女の行動を把握できる人物の一人ではあるだろうが、ただそれだけだ。
 通り魔的な犯行も完全に除外できなくはないが、当時1時間600台の交通量で全く目撃されず、知り合いでもない車に連れ込むのはかなりの困難が想像される。暴力やスタンガンなどで制圧して連れ込めたのならもはやプロフェッショナルの所業であり、北朝鮮や人身売買の可能性もあるが、この近辺でそのような拉致事件は起こっていない。
 彼女を確保できる確実性の最も高い人間はオーナーである。当日の行動からほぼ確定で疑われることが予想されるため犯行を計画しないのではないかという説もある。
 コーヒー講習がいつから彼女に打診されていたのか相当気になるが、そのことについての情報はない。しかし、ある程度の確実性を持って早くから計画できるとしたら、私なら確実に入念に計画する。
 どこかでいたずら目的で猥褻行為をした程度だと解放後確実に自分が逮捕されるため、容姿が美しく好みであれば長期的な監禁を目指す。殺害した後、死体をある程度防腐処理したとしても犯行後確実に疑われることが予測されているため、殺害したとしてもいつその現場に帰って来れるかわからないからだ。
 長期間の死体の放置は3月とはいえ悪臭を招き事件の発覚につながる可能性が高い。巨大な冷凍庫が殺害現場にあるならまだしも、バラバラにして痕跡が残らないように遺棄するにはなにせ時間が足りない。それなら拘束してほとぼりが冷めるまで監禁しておいた方がいい。水分と食料、バケツの一つでもあれば2週間は放置できるだろう。
 遺棄された遺体が見つかってない可能性も大いにあるが、性的な目的で一線を踏み越えた可能性があるにも関わらず類似の犯行が近辺で起こっていないため監禁している可能性が高い。

 オーナーは13時30分まで彼女を待ち、来なかったために外出しそのまま15時には家に帰っている。要するに、彼女と会って講習を行うはずの時間帯の行動がわかっていない。1時間半を要する「用事」とは一体なんだったのだろうか。

オーナーの発言

 上記の画像は事件から10年後のメディアの取材に対してオーナーが話した内容である。「自分が犯人ではない根拠は?」とメディア関係者が質問すると、オーナーは
「拉致とかしたって」
「何が目的で、と言うことになる」
「そんなに女に困っていた訳ではないし、女好きではないし、変態でもないし」
と同じ理由を2回反復している。下手したら3回、性的な目的ではないことを反復している。これが嘘を言っているかどうかはわからないが、言い訳を反復する人間は嘘をついている可能性が高い。

「真実を話す人は、嘘をつく人ほど、印象操作に努めようとはしない。真実を話す人に比べ、嘘をつく人は、他人が信頼すると自らが信じるような報告をしようと敏感であり、彼らの視点からすれば、誠実な人間であるとの印象を損ねるであろう情報を取り去ろうとするであろう」
P.A・ギヨンゴビ、A.ヴレイ、B・フェルシュクーレ著「虚偽検出 嘘を見抜く心理学の最前線」2017

 さらには、当日のアリバイについて聞くと、
「ある程度待っていたけれど」
「何かの用事があったのか私も覚えてないけれど」
「1回家に帰って、すごく具合が悪かったのかな」
 当日のアリバイに関しては不思議な話の仕方をしている。失踪翌日から3日間の取り調べを受けその後警察に尾行され、閉店までしたのにも関わらず、当日の自分の行動をあまり覚えていないかのような話し方だ。この日のことは普通ならかなり強く印象に残るはずである。
 1時間半の用事の内容と、この言い方では用事があったのかも記憶に乏しい言い方であり、さらに「すごく具合が悪かったのかな」と言っており、その日1日に起こったことをあまり記憶していないように証言している。

「『確信や記憶の欠如』は、供述中の一定の要素に関して、被面接者が不明確であること(「〜と思う」「きっと〜だと思います」の類い)あるいは、被面接者が何かを思い出せないと供述書の中で書いていることをいう」
「嘘をつく人は、多くの情報を付加することで取調官に手がかりを与え、結果的に彼らの嘘が暴かれてしまうことの恐怖から、多くの情報を付加する事を望まない」
P.A・ギヨンゴビ、A.ヴレイ、B・フェルシュクーレ著「虚偽検出 嘘を見抜く心理学の最前線」2017

 何だか、聞けば聞くほど虚偽の発言をしているように聞こえてくる。あまりに表現が曖昧すぎるからだ。15時に家に帰った後も、
「親の目の前で寝ているから、コタツの中で」
と述べている。
 ストーカーについての情報もオーナーが話している。
「白鳥台の自宅の近くでストーカーみたいなことがあると」
「店に来て研修中か何かの時だと思う」

 パン店の経営者によると、千田さんは「(最近、PHSに)いたずら電話が多い」と漏らしたことがあり、勤務も夜間を避けてたという。
朝日新聞 2001年4月5日

 ストーカーの存在については、噂の範囲を出ない程度でメディアの聞き込みに証言している人もいたが、この人たちは彼女の関係者ではない。直接見聞きしたことではないため、証言の信憑性は低い。
 さらに、支店長の証言はストーカーの直接的な存在を示唆してはいない。つまり、ストーカーについての話をしているのはオーナー”だけ”なのだ。
 美女であったならストーカーの存在を匂わせるだけで十分疑いを逸らすことができるだろう。さらに言うと、本店での勤務の希望について話しているのもオーナー”だけ”である。

 さらにこうも証言していた。
「嫌な思いをしてるけどそれ以上の怒りはない」
「本人が出てこなかったらどうしようもないと思ってるんで」
「生きてるでしょうね」
「生きてるとしか思いたくない」
 この発言も私には充分不思議である。「ご両親の心労を察する」とか、「これからも捜査には協力していきたい」とか、「1秒でも早く見つかって欲しい」とかそのような表現が全くないからだ。むしろ、「本人が出てこない以上はどうしようもない」など、完全犯罪に成功した人間が言いそうな台詞だ。
 もちろん、テレビは印象的な台詞をよく切り抜きをするため、質問が恣意的に伏せられていたり、気になる台詞だけを強調した可能性もある。
 それを差し引いても、約束を反故にされているにも関わらず、経営者として安否の確認を行ったり、連絡をしたなどの行動が一切伝わってこない。

「嘘をつく人は、多くの情報を付加することで取調官に手がかりを与え、結果的に彼らの嘘が暴かれてしまうことの恐怖から、多くの情報を付加する事を望まない」
「彼らは、尋ねられるような気がする質問に対して考えられる回答を準備することによって、そのようにしているのである」
「嘘をつく人には、その場でもっともらしい回答をでっち上げること以外の選択肢がほとんどない」
P.A・ギヨンゴビ、A.ヴレイ、B・フェルシュクーレ著「虚偽検出 嘘を見抜く心理学の最前線」2017

 そして、このオーナーであるが失踪後疑われ、パン屋が閉店になった後でも室蘭を離れずパン屋と同じ名前の飲食店を営んでいる。
 店を閉めないといけないレベルの風評被害を受ければ普通に考えれば引越しでもしそうなものであるがそんなことはしていない。これも私からすると不思議で、このことから次のような理由が考えられる。
・全くの無実だから自分が動く必要はないと考える強いハートの持ち主である
・この地域にすごい思い入れがあるため離れたくない。
・千田さんを監禁しており容易に動かせない。
という可能性が考えられる。世間の常識から外れた少し風変わりな人物だとは思うのだが、果たして高校生を監禁したかったのだろうか。
 店員から講習希望の時間の電話内容を聞き、時間の変更のために彼女の家に連絡を入れることができれば、この小細工はあっさりと成功し、14時に待ち合わせであったなら彼女の行動は何の不自然さも無くなるのだから。

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