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南条あやさんの日記

こんばんは。人間失格です。
花粉症とひたすら戦っています。草。
今日は3月らしい話題がいいなーと思い、タイトルの名前の方の記事を書こうと思いつきました。





皆さんは、1990年代に流行していた「インターネットアイドル」をご存知ですか?
インターネットアイドルとは、まだインターネットやパソコンが世間一般に浸透していなかった時代にインターネット上でサイトを作り、自分の写真や生活や様々なことを公開していた人たちのことを指します。
今のSNS社会の先駆けになった人達ですね。
その中でも元祖なのが南条あやさんです。


私は自傷行為がやめられない時に南条あやさんの存在を知り、彼女の生い立ちや彼女の文章に惹かれてしまいました。悩んでいたのは、私だけじゃないんだと救われました。
今まで何回か名前を聞いたことはあったものの調べるに至らなかったので
ウェイバックマシンを使って日記を読んでみました。


まず、ウェイバックマシンの使い方で結構苦労しましたがなんとか「南条あやの保護室」に辿り着くことに成功しました。


開いてみると、彼女が日記を公開し始めてからご逝去されるまでの日記が、年月ごとに公開されていました。


日記の内容は、もっと病み垢っぽい文章で書かれているかと思いきや、繊細な高校生の女の子という感じでした。
好きな食べ物はフルーツとお肉なこと。学校の授業のこと、カラオケに行ったこと、パパ活で買ってもらった物のことなど楽しげに書いています。
しかしそう思っていたのは最初だけで、彼女の孤独を感じる部分が増えてきて
ああこんなに、この時代でも苦しんで傷ついている子がいたのは変わらなかったんだなと思いました。
日記の中で、学校で先生が生徒のことをお前、と呼んでいたのがショックだったと書いていて
きっと優しくて感受性が豊かな子なんだろうなと思いました。

彼女は精神科に通っていて、境界性パーソナリティ障害、睡眠障害などの診断を受けていて
入院した時の様子なども日記に書いていました。入院している患者さんたちもまた一癖も二癖もあり、患者さんとの関わりも濃く書かれていてこちらも笑ったり涙したりしてしまいます。
境界例つらいよね。



私の中では、彼女が家族の問題で悩んでいたのが印象的です。
父親のことが大嫌いだ、と書いている彼女の姿が私の父親への思いと重なる部分もあって、なんだか昔の人の日記なのに友達になってみたかったと思いました。
父親(通称あやパパさん)が身勝手で感情を自分で処理できない、自分のためにお金を使うのにあやさんには学費を出さない、あやさんの病気や心情に対して無神経で理解がないなど上げればキリがないですが、
理解が足りないのはどこの親も一緒だなあと思いました。(優しいご両親、理解ある親がいるのも事実)

10代だから、大人の目線で考えられないんだ未熟なんだ、という意見もあるのかもしれないですが
私はとてもそうは思えません。
精神的な成熟度でいったら、あやさんの方がパパさんよりももっと達観されていたと思います。



また、学校に馴染めなくていじめを受けていたという部分も共感できる部分がありました。
クラスメイトに自分が苦しんでいることを伝えたくて、リストカットをしたけれども逆に離れていってしまった。彼女の気持ちよぉくわかります。
私も汚い話ですが、学校でリストカットした腕を友達や先生に見せたりしていました。
私は学生を終えて、自傷衝動を抑えられるようになった今だから、もう少し違う関わり方をしたら学校でも受け入れてもらえたんじゃないかと思えます。


でも当時はわからないんです。
特に親から愛情を貰えなかったり養育環境が悪かったりすると愛着が不安定になってしまうと思うので、
人と関わる上で歪んだ自己表現をしてしまうのはしょうがないんじゃないかと思います。
(そもそも自傷行為自体は私は間違ったことではないと思います。動物だってグルーミングするし)

リストカットや瀉血、オーバードーズ(法外な薬物もあり)など様々な自傷行為の様子を書いていて、これは心も体も相当しんどかっただろうと読んで思いました。文体がポップなのでとても読みやすいのですが、書いてある内容が内容なだけに苦しさは伝わります。


こういった、親からの愛情不足や社会に馴染めないなどの理由で、せっかく共感を産む素晴らしい文章を書ける一つの才能が、大事な大事な命が失われてしまった。子供を守れなくて、何が社会だ。と思うのです。
でも彼女の心をさらけ出して書いてくれたこの日記があるからこそ、今も苦しんでいる子供や私のように自傷を繰り返していたような人達を救ってくれている。
人を何十年経った今でも救ってくれる、生きた証の文章を残してくれてありがとうと彼女に伝えたいです。



彼女が生きたいと思えなかった先の未来を生きていて、子供にとっては生きづらいままの世界でなんにも変わっていないんじゃないかと思います。


大人と呼ばれる年齢が若くなり、子供にも個人としての自立を求めるようになっている今の日本。
大人に甘えられず、独りで悩んでいる子がいるのであればその子達に寄り添っていけるような大人になろうと彼女の日記を読んで思いました。
家族だけが、学校だけが全てを把握しきれるわけがないと思います。だから、そこから外れてしまっても居場所があるんだということを私が証明するような生き方をしていきたい、と思います。
思い上がりも甚だしいでしょうか。


彼女の存在に触れてみたい方は、ぜひ調べてみてください。


3月が終わって、学生という区切りが終わっても独りだと思わないでほしい、と
だめな大人から一つ言葉を送らせていただきます。




それでは、また来月。



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