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座談会 扉の奥にある自由(後半)

『イルミナ』準備号より座談会「扉の奥にある自由」(後半)を公開します。前半はこちらから。

*WEB公開に合わせ、誌面より変更&削除した箇所が若干あります。
*参加者:あいだ(あ)、うさぎ(う)、はるみ(は)

劇場は心の距離を近くする

 私は「プリパラ」や「アイカツ!」のような女の子向けのアイドルアニメが好きなんです。

 私も「アイカツ!」見てます。ストリップと女児アニメは親和性がある!!

 そうですよね。女児アニメを見ていると、「女の子は強くて、何にでもなれる」「男のための存在ではなく、あらゆるひとと多様な関係をつくっていける」って勇気が出ます。ストリップを見ているときも私はそういう気持ち。アニメの中で「憧れ」が重要なキーワードになっていて、番組を見ている小さい子供がアイドルを目指したりするんだろうなとも思う。ストリップ
の舞台に立つことに自分も憧れるし。

リボンさん[決めポーズなど演目の要所要所でリボンを投げる人]やタンバリンさん[音楽に合わせてタンバリンを叩く人]の、自己アピールとしてより、踊り子さんのステージの一部のように舞台を盛り上げる姿勢は、「踊り子になりたい」気持ちの別の発露なのではと勝手に解釈したりもしています。

 リボンさんやタンバリンさんのこと、最初は劇場スタッフだと思ってました。踊り子の熱心なファンの人たちを「応援さん」と呼ぶ、独特の文化があります。ステージをより引き立てるために皆さん苦心されていて、それも「道」っぽい。

 私は似ていると言われがちな地下アイドルの現場にも行きますが、地下アイドルのオタクよりストリップのオタクのほうが演者に対する憧れが大きいかも。地下アイドルはわりと「自分たちと同じ人間ががんばってる姿を応援する」という世界観で、アイドルはあくまで人間。ストリップのお客さんには「踊り子は自分にないものを持っているすごい存在」という敬意を感じます。どちらにも長短ありますが……。あと、マニアックな文化なのに排他性がないのはすごい。

 皆さん本当に新規のお客さんに親切ですよね。やっぱり劇場が減ってきて、法律上多くの制限のために新設も難しく、このままではなくなってしまうという危機感なのかな。

 「これからのストリップ文化を頼む!」という気持ちを感じますね。演者と客の距離も近いですよね。生ものを差し入れしてるのもびっくりしますし、踊り子さんに持ってきたお菓子をほかの客にも配ってくれたり。

 劇場には心の距離を近くするようなところがありますよね。

 お客さん同士で「また会えたね!」とか言ってて、仲がいいですよね。年配のお客さんだと、「久々」と話しかけたら「手術から帰ってきた」なんて話もあるし。踊り子さんがもう閉館した劇場のはっぴを着てきたときに、客席にその劇場に通っていたお客さんがいたりすると、戦友感がハンパない!

踊り子と客の数だけ広がる世界

 ストリップって、見る前は「若くてきれいな人」しかいないのかなと思っていたけど、踊り子さんは本当に年齢も体型もいろいろで……。20年以上続けている踊り子さんもかなりいる世界です。

 パリのキャバレー「クレイジー・ホース」はダンサーの身長や体型にすごく厳しくて、ダンサーたちが並んで脱いだら乳首の高さが一緒! だとか。ストリップはそうじゃない。いろんな体型の人がいるし、一人の人が太ったり痩せたりもする。生きているから体型は変化して当然。本人に言ったりはしないけれど、そういうのもいいなと感じます。

 踊り子さんにはアラフォーの人も多いけど、その世代でステージに立ってる人って、芸能だけで食べていけるくらいビッグになるか、別の仕事を持って、その合間にやるかのどちらかしかない。毎日仕事としてステージに立ち続けるアラフォーってなかなかいないと思います。だから、職業人として、大人の女性の仲間として踊り子を尊敬する気持ちもある。

 お客さんも「女性は若いほど価値があり、年を取るに連れて価値がなくなっていく」という考え方をしていないように見えます。踊り子さんの周年や誕生日を祝って、年月を重ね、芸に深みが増していくことを一緒に喜んでいくのがいいですね。

 踊り子から踊り子へ演目が受け継がれるという習慣もストリップにはあります。

 私が好きだった踊り子さんが引退してしまったあと、彼女の「ピエロ」という演目を別の踊り子さんが受け継いでやっていて。私はステージを見ながら号泣して、終わって場内の明かりがついたら、盆を挟んで向かいのおじさんも号泣してた……。

 ネットに書けないことがあるからこそ、わかってる人同士の一体感がすごくある。

 アイドルのライブでは、ファンは心の中の感情を表に出したがります。だから、コール・オタ芸・リフト・モッシュが生まれる。それを動画でシェアすることにも熱心です。ストリップは世界観そのものがもっと内省的ですよね。自分の心の中の感情を探り当てるというか。だから、同じ演目を見ても人によって感動が全く違う。性別年齢問わず、泣いている人が少なくないのはそのためかも。

明るく楽しいエロ

 私は一人で劇場に行くことが多いんですが、ストリップをあまり知らない人にそれを話すと「危険なんじゃないの?」と言われます。

 私がストリップに行き始めたのは、BLストリップで女性客がわっと増えた頃で、元からのお客さんたちもどうしようと思っていたようです。そんなときに女性客が痴漢に遭ったんですが、踊り子さんも男性のお客さんも痴漢に対して怒ってくれた。「女がそんな場所にいるから悪い」とか言わずに。

 他の人に嫌な感じで話しかけている客や、踊り子さんに触ろうとしている客がいると、場内の空気がピリっとする。皆で劇場という空間を守ろうとしている信頼感があります。ストリップ劇場はクローズドな空間。18歳未満入場禁止で風俗営業で、実際に何が起きているのかは行かなきゃわからない。だからこその自由があると思います。

 距離がすごく近くて物理的に無防備だし、持ち出し禁止の情報も多い。危ない人を入れると成立しないからきちんと排除しようとするのだろうなとも。「この世にはこんなに無防備でいても大丈夫な場所があるんだ!」て、すごく感動しました。

 踊り子は本当に無防備で、物理的には手を伸ばせば触れられる距離。だけど踊り子と客にはいい意味で絶対的な距離感がある。だから自分も安心して劇場にいられるんだと思う。

 劇場に誘った友達の中には、「今までは女性でいることが重たいことだったけど、それがチャラになった」という子もいて。裸は隠すべきものだと思われてるけど、そうじゃない。「自分の身体は自分の物で、それを見せるかどうかを選べる場がある。それが本人の覚悟の強さだけでなく観客の意識によっても守られている」というのはありがたいですね。

 エロって明るく楽しいものなんだなっていうのが、すごく可視化されている場所ですよね。演じられるものはさまざまで、暗いエロスをテーマにする演目もあるけれど、それを男女の別なく肯定的に受け取れるというか。

 ストリップを見たことがない人には、劇場を「後ろめたくて、暗い場所」みたいに思っている人もいると思うんです。そういう人にはいつも「明るくて健康的で、キラキラした場所」だよって言ってます。

劇場で肯定される性

 以前、劇場の方が「男性は劇場に行っていることを隠すけど、女性は外の世界の人を連れてきてくれる」と話していました。男性は劇場の外ではあまりストリップの話ができないと。ほとんどの劇場には女性料金がありますし、劇場側にも女性に広めてほしいという気持ちがあるんでしょうね。

 男女差を強調することは必要ないとも思いますが、ストリップに通う女性は「なぜ(女性なのに)ストリップ?」と聞かれたり、自分でも考えたりすることが多いのかも。レポマンガ描いたり同人誌作ったりして、自分の感じたことを発信しようとしているのも女性が多いですよね。逆に、男性がストリップに行くというと「エロいのが見たいだけでしょ」と思われがちなのかな。それで周りの人には話せないとか……。

 男の人も、実はエロ話を自由にできていないのかも。さっきの「女性のあり/なしをジャッジする」話のように、ホモソーシャル[排他性の高い、同性同士の固い絆]な文脈でないと仲間内で共有できないところがある。たまに集団で来ている男性とか、からかうような態度で来ますよね。性にまつわる話はもっと個人的で多様なものなのに、その場の「ノリ」に封じ込められてしまう。 

 以前、浅草ロック座にそういうノリで来た男性グループの一人が、ベテランの沙羅さんを指を組んで見ていて、休憩になったら「よかったわあ……」とつぶやいていたことがあったんです。そういう風に、普段はホモソーシャルなふるまいをしている人の中にも、ストリップが刺さる人は絶対にいるはず。

 あとは、逆に「触れない、抜けない」のに、なぜ見に行くのとか。ストリップファンの中には「性欲は関係ない」という人もいますが、実は「触らなくても性的な満足感が得られる」ことも魅力のひとつじゃないかなと。そういう性とのつきあい方が好きでストリップに通う人もいるのでは。

 私は友坂麗さんのステージを見るといつも「セックスの一番いい部分だ!」と感じます。私たちの、性に関するいろいろな夢や願望のうちには、恋愛や性交ではないかたちで叶えられるものもあるはず。劇場はそういうものを叶えられる場所の一つなのかなと思います。「女の子はきれいなものが好きだから見に来ているんでしょ」と言う人もいるけど、必ずしもそういうわけではないですよね。

 性別や性にまつわるいろんな物事を見直すきっかけの場としても貴重ですね。今の社会では、男性の性欲ばかり過剰に大事にされている印象があります。それでいてその性欲は加害欲と同じもののように語られがちだし、「女性を見ること」と「女性を加害すること」ってとても近く思えてしまう。だけど、性欲自体は性別関わらず持ち得るもっとなんでもないもので、「見る」にも加害を排したやりかたがあるのではって考えるようになりました。

 男性だけでなく、女性のエロを肯定する側面がある。そういう意味でフェミニズム的とも言えます。また、劇場にはたまに女装している男性もいます。劇場がそれぞれのセクシャリティやなりたい姿を否定しない場所だからだと思います。スマホも取り出せないし。

 性に関する固定観念はこの社会に広く深くあって、きっと私たち自身もそこから自由ではない。でも、劇場にいるとそれを覆されるような気がします。ストリップと聞いて「どうせ男が女を一方的に消費する世界なんでしょ」みたいな抵抗がある人も、まずは自分の目で見てほしい。

 扉の奥で起きていることをどう感じるかは、見る人それぞれの中にあるはず。そして、そのそれぞれについて語っていくことでしか解きほぐせないものがあるはずです。

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