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「それ」という悪魔

また「それ」がやってきた。

繰り返されるということは、わたしが克服すべき課題だからだ、ときづいたのは最近だ。それまでは、どんなときも「それ」にならないように、常に心がけ、気をつけてきた。「それ」が私の頭から離れることはなく、たまに道を踏み外しそうになっても、気を取り直し「それ」の回避に努めていた。そうすることが当たり前だったけど、今思えば、どこかに苦しさを抱えていたのだろう。いつのまにか、「それ」から逃れ続けることにほとほと疲れてしまっていた。もういいや、と思った。来るならくればいい。

案の定、「それ」はやってきた。やけっぱちになれば案外来ないかもしれない、という楽観的な考えも、見事に打ち砕かれた。ポテトチップスの袋に残ったかけらのように粉々だ。

やけくそになったわたしが目を背けているうちに、そっと背後から忍び寄りっていたらしい。気づいたときには、すでにわたしは、「それ」の真っ只中にいた。

なにも変わったことはなかったはずだったのに。その事実に愕然とする。

来てしまったものはしょうがない。なんとかするしかないし、なんとかしなくてもいいのかもしれない。事実、「それ」が来たからといって困っているのは私だけで、世界には全く影響がない。

ということは、「それ」がくることを必要以上に恐れる必要はないし、来たって構わないのではないか。来るか来ないかわからない、来るとしてもいつやってくるのかもわからない、そんな不確かなものをおそれるよりも、たとえ「それ」が来ても、「それ」にぐるりとまわりを取り囲まれてしまったとしても、それでも大丈夫なわたしを作り上げておく方がよっぽど効率的だ。なんとかできるわたしでもいいし、なんとかしなくてもいいわたしかもしれない。どちらでもいい。わたしが大丈夫ならそれでいい。

やってくるものはやってくる。幸せそうに見えるあの人にも、平等に苦しみや悲しみはやってきていて、それにどう対処していくかが日々の営みを作るのだ。誰でも失恋はするし、誰でも親は死んでしまう。やってくるものは避けられないけど、それでも大丈夫なわたしを創ることはできる。

「それ」が私に伝えたかったことは、きっとそういうこと。「それ」は悪魔ではなく、ただの波だ。人生の波。器用でも不器用でも、サーフィンしてもいいし、おぼれてもいい。わたしはただ泳いでいくだけ。

そこには、大丈夫という浮き輪がある。

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