ゆっち

事務職を経て公立小学校補助教員、体調崩して休職からの自宅療養中。悪性リンパ腫菌状息肉症…

ゆっち

事務職を経て公立小学校補助教員、体調崩して休職からの自宅療養中。悪性リンパ腫菌状息肉症13年、心身症を主訴とするうつ病11年、大学受験1浪中の息子と7歳ミニチュアダックス♂の母。

最近の記事

母と私。(その2)

何故か私だけ3姉妹の中で母からの当たりが厳しめだったような気がする話の続き。 その1でも書いたとおり、私の下には3歳違いで双子の妹がいる。 私が実家近隣では最高偏差値の超進学高に通い始めたとき、妹たちはすぐ隣に位置する私の出身中学校へ進学した。 うちはギリギリ自転車通学の範囲に入っているので、運転免許を持たない母としては、3人の娘たちが自転車を乗り回して勝手に行動してくれるようになって随分楽になったわー、と言っていたのを覚えている。 私は習っていたピアノ教室を中1の秋に前の

    • 母と私。(その1)

      実家母、74歳。 長女=私、46歳。 現在、もういい加減に止められないのかよ、な感情のもつれがまた勃発中である。 母は卑怯だ。 何事においても、まず自分を卑下しまくって敗者的な立ち位置を確保してしまう。 その後は、相手の話を一切聞かず、ひたすら自分を貶めることに専念する。 結局話が何も進展しないので、話を持ち掛けた方が諦めて何もなかったように接するのをひたすら待ってさえいれば、母はいつも逃げ勝ちである。 昔から「私はもしかして可愛がられてないのでは?」な疑問は常に私の心の

      • 1990年8月31日。

        数日前に16歳の誕生日を迎えた私は、人生で初めて「この後どうすればいいかわからない」という感情に襲われた。 明日は2学期の始業式だ。 夏休みの課題が、全く終わっていないなんて。ありえないことだった、それまでの自分には。 地元では一番の公立進学高に無事合格し、幸い実家と同じ市内で、出身中学校の隣に建っていたので、私は計6年間ほぼ同じ道を自転車で通学していた。 中学校から高校まで、酷い部内いじめに遭いながらも、「いじめてる奴らの思うツボ(おそらく私の退部)だけにはなってやるもん

      母と私。(その2)