梅雨入り劫

コンサータを飲み始めたことによる恩恵の一つだと思う。
ADHDによって集中ができなかった。薬でその凹みを補えたのでようやく脳味噌が活用できているように感じる。

聴く
音楽を聴かなくなった。一日10時間はつけているイヤホンで聞いているものといえば主にyoutube。なにかの情報が入ってこないとむずむずする情報ジャンキーになりつつある。

広く浅くほどよく好奇心を満たしてくれるエンタメが好き。

情報ジャンキーの弊害
常に何かをインプットしていないと落ち着かない。寝る前ですら。何もしないことが苦手なので頭が休まる時が少ない。
あまりよくないことだとは思う。

アンチ因果応報
世界に法則もなければ公正もないというのが私の基本的な考え方だ。
最も相性が悪い考えは公正世界誤謬な発想だ。

公正世界誤謬とは、人間の行いに対して公正な結果が返ってくるものである、と考える認知バイアス、もしくは思い込みである。

このように世界を単純化する思考は好きではない。世界はとんでもなく複雑で理不尽な場所だ。かといって厭世的なわけでもない。

日本語雑感
ニュースを読んでいてこんな表現に気が付いた。

発見された遺体は◯◯さんのものと判明しました

このセンテンスは「発見された遺体は◯◯さんと判明」とも書ける。
こう書くと「◯◯さん=遺体」ということになる。しかし「〇〇さんのもの」と書くと、遺体は◯◯さんから独立した物体として扱っていることとなる。つまり肉体と〇〇さん的な本体(魂)を切り離して捉えていると考えられる。
なるほど、言葉の使い方からも書き手の死生観や人間観が見える。きっと考えすぎだ。

聴く2
Audibleがとても良い。川端康成を何本か聴いて谷崎潤一郎の『春琴抄』を聴く。メジャーどころの安心感よ。
谷崎については高校時代に国語の先生に勧められ何冊か読んだのが最初だ。多感な時期の少年に勧める本でないような気もするがなかなか面白かった。そして再度読む(聴く)と違った趣きがある。
例えば『春琴抄』の面白さは視点の妙だ。
この物語の構造は以下の通り。
春琴←佐助←『鵙屋春琴伝』←語り手←読者
このように春琴に至るまで複数の階層がある。
こうした構造は盲人を主要人物として本作ととても相性がよく実像を見せないことでより印象が強まる。変態谷崎らしい盲目へのフェティシズムだろう。
誠にオーディオブック向けの小説である。

雨天ダウナー
表情と声帯が強張って上手く話せず不審者になる。ダウンする季節だ。

模範的青年になる一日
教会へ行く日曜日がそれである。30代の私がほぼ最少年なので様々な仕事が回ってくる。
今日はスマホの困りごと相談を受ける。元はスマホ屋なので見積もりを見ただけでその店員の魂胆はわかるし、私も同じことをしていた。

こころよく我にはたらく仕事あれ
大体において商売は情報弱者から絞る取ることが一番簡単だ。私もそれをやっていた。その点においてまったくストレスしかない仕事だった。ただその中でもできるだけ良心的にやろうとしていたつもりだがその結果メンタルが壊れたわけだが。もちろん他にも色々原因はあったが。
良心と仕事を両立させられる人もいるが私はそうでなかった。
どんな職業であれ他人を搾取せず生きていたい。良心に反することはやりたくない。というと社会人として、といった言葉が飛んできた。
しかしそれを言う同僚や上司も決して悪人ではない。むしろ私にとても親切にしてくれた。善良で真面目な勤め人だった。社会人としては私よりよほど上等だろう。
それでも他人の生活にほとんどプラスにならないものを見合わぬ金額で売ることはどんな理屈をつけても納得できなかった。それは無価値だからだ。倫理観の問題ではなく自分の行動、ひいては自分の存在が無価値に思えた。働くことに価値を求めることは贅沢なのもわかっている。
職業に貴賎なしという言葉を私は信用しない。確実に賤しい仕事はある。
何も生み出さず他人から搾取するだけの仕事は賤しい。その職が仮に合法であったとしても詐欺師やチンピラと等しい。
かつての仕事やそこにいる同僚たちがそうだと言いたいわけではない。それは社会の中で極ごく当たり前の仕事だ。しかし私にはそれが堪らなく苦痛だった。
しかしこうした倫理はどうも社会生活との折り合いがつきにくい。
重ねて言うがかつての同僚たちを非難したいわけではない。ただ私が融通が利かないというだけ。

では翻って貴い仕事とはなにか。
自ら価値を生み出し他人に与える仕事が最も貴い。これは職業でなくてもいい。
今の仕事はなにも求めていない。仕事とすら思っていない。時間に融通が利きストレスがないからやっているに過ぎない。発狂後のリハビリの感覚だ。なんなら作業所でも障害者雇用でも良かった。
しかしきっとこのまま居続ければまた無価値に耐えられず発狂するだろう。

こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて死なむと思ふ

啄木のこの歌を知った10代の頃からずっと思い続けている。人生はあまりにも長過ぎる。

雨の前
まだ梅雨入りはしていないが既に良くない。体が重い。まあ実際重いわけだが。
頭も重い。表情筋を動かすのにも苦労する。
有給を使って休む。有給のありがたみを感じる。

世界の暇人
英語の勉強兼気分転換にランダムでチャットをするサービスを利用する。
具体的な目的のある会話ならできるが雑談は苦手だ。元々雑談が苦手ということもあって言葉が全然出てこない。
読み書きの勉強はしてきたが会話はやってこなかった。やらねば。

国語エリート
母方の家系は国語教員ばかりで高祖父から祖父までみな国語教員だった。そして曽祖父は短歌、祖父は現代詩の同人だった。
母も国文科を出ている。祖母(小学校の先生)いわく国語しかできなかったから他に入れなかったらしい。
そんなわけで母も教員になることを期待されていたが免許も取らなかった。教員である両親を見て「つまらなそうな仕事だ」と思ってのことらしい。
そんな母に古文の問題を与えたら喜々として解いていた。
答え合わせはしていない。

勉強が日常の中心になっている。2ヶ月で高校の範囲の一周した。ヌケモレがあるので更に反復する。
私は思っていた以上に勉強が好きらしい。
勉強の仕方が少し見えてきた。

1.講義の前にテキストをノートに見やすくまとめる
2.講義中は重要事項を書き足していく
3.ノートを見返す

つまり予習復習が大事。
なんと小中学校で散々言われたことに行き着いたのだ。勉強とは筋トレのようなもので(筋トレをちゃんとやったのとはないが)正しい方法でやると効果が上がる。
この10年で気が付いたことは、私は自分で思っているより頭が良くなかったということ。だからきちんとしたやり方でやらないといけない。
これにもっと早く気が付きたかった。

有給の使い道
余っている有給を使おうと思い突然休みにする。やることはないので勉強をする。
本当に緩い職場で良かったと思う。給料も内容もつまらない仕事だが休みたくなったらすぐ休めることは本当に良い。



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