ニコニコバイト

 たまに自分がなぜ笑顔なのかわからなくなる時がある。なぜ舌を喉に絡めたような声を出しているのかわからなくなる。笑い声なんかが頭の中で反響して虚しくなる時がある。
 これは時にバイト中に多い。カフェというか、接客をやっていると、コーヒー渡すだけのバイトなのに何でこんな対応までしているんだろうとふと思ってしまう。めんどくさいクレーマーをつけないために、リピーターについてもらうために、そんな風のニコニコに疲れてしまう、虚しくなってしまうのだ。

 一方でこんな感情を抱くのは自分に問題があるんだろうなということも感じている。子供の頃から笑顔が苦手だった自分は、写真も敢えて変顔。クラスの明るい奴らに乗せられて、ニヤニヤ。そんなニヤニヤを、下校中に恥ながら、そんな幼少期を送ってきた。なんというか、笑顔自体に抵抗があるというより、もちろん本来の意味での笑顔、すなわち友達と笑い合うようなことがほとんどであったが、社会科学的に、他者との共存のために、自らがハブられないように、そんな笑顔、ニヤニヤがあったことを否定できない。

 バイトでのニコニコと、クラスでのニヤニヤ。トラブルを避けるために、その環境でうまくやっていくために。面倒ごと増やしやがって。最初から笑顔の慣習がなければどんなに楽だろうか。

 22時45分、タイムカードを切って、その帰路に寄ったファミリーマートで、いつもの納豆巻きを買うコンビニで、いつもの夜勤の中国人、もう今日はレジにすらいなくて。
昔はなんとも思わなかったこんな日常風景すら何か特別なもののように思えてくる。

20230719

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?