「わたし」はスピッツとともにある

#みんなスピッツを待っていた
 これは明日発売されるアルバムを前に、各界の著名人からのメッセージをSNSで紹介する公式企画のタグである。このタグを見ると、公式に紹介された人も自分からタグを使っている人もたくさんいて、多くの人がスピッツを愛していることがよくわかる。
 けれども、新しいアルバムやライブを待ったことはあったとしても、私はスピッツそのものを待ったことはない。中学生の頃、今までなんとなく耳にしていたなんとなく心地よい曲を歌っているのがスピッツというバンドであると初めて認識して以来、私はスピッツの音楽によって生かされ続けてきた。人生の楽しいときは言うまでもなく、特に困難な状況にあるとき、常にスピッツがそばにいて励ましてくれた。人としゃべりたくないような気分のことがあれば、とりあえずアルバムを『スピッツ』から最新のものまで通しで聴くことにしていたし、そのとき聴くべき曲の数は年を経るにつれてどんどん増えていった。そのようなとき、今まで何度も聴いてきたはずの歌詞が、突然今まで全く気が付かなかったような意味を持って私に語りかけてくる。そんな瞬間がこれまで何度もあった。スピッツは私の人生の道を照らす光であり、その光が消えたことはない。だから待ったことなど一度もないのだ。
 他方で、CMのほうの「わたしには、わたしのスピッツがある。」というコピーはとてもよい。私にとってのスピッツは「わたし」だけのものであり、同じようにスピッツを愛する人とその愛の深さについて語りあったとしても、それは決して同じものではない。あくまで「わたし」とスピッツとのそれぞれの関わりが、スピッツを愛する人の数あるだけだ。スピッツを愛する個人の中には、私と同じように自分を「みんな」の中に回収されたくないと思っている人もきっとたくさんいるんだろうと思う。
 ここまで勝手なことをいろいろ書いてきたが、私は別に公式の企画にケチをつけたいわけではない。ただ私はスピッツを待っているわけではないし、みんなの中のひとりとして自分がいると思えるわけでもないというだけのことだ。自分が特別なのではなくて、うまく馴染めないだけのこと。だけど、そんな暗い気持ちを抱えて隅っこにいるような私に対しても、スピッツの曲はいつでも優しい。気持ちが暗いからこそ、自信がないからこそわかることもたくさんある。私は私を助けてくれるスピッツによって生かされていると感じる。
 明日、スピッツの新しいアルバムに収録された曲たちによって、「わたし」の道の中で、今まで照らされてこなかったようなところが、新しく見えるようになる。壁も通り抜けられるようになるかもしれない。「わたし」とスピッツの旅はまだまだ続いていくし、それは私ではないほかの「わたし」にとっても同じことだろうと思う。

 

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