魔法少女まどか☆マギカを8年ぶりに観た感想

まちカドまぞくの考察を進める上で,まどマギを改めて観る必要があるなと思い,一気にアニメ12話と劇場版叛逆の物語を観直しました.

アニメは放送当時,叛逆の物語は劇場公開時に一度観ているので,数年ぶりの視聴になります.

結論としては,号泣しちゃいました.

この記事には魔法少女まどか☆マギカのネタバレを含みます.

あらすじ

契約の前には条件を良く読もう!

概要

まどマギといえば,「過酷なタイプの魔法少女もの」という一ジャンルを作り上げた大傑作です.社会現象と呼ばれるほどのインパクトを与えた理由としては,第一に第3話まで普通の魔法少女ものの仮面を被っていたこと,第二に続きが気になるタイプのアニメであるにも関わらず,最終盤で東日本大震災が発生したことで放送延期になったこと,第三にストーリーとテーマの重厚さが挙げられるでしょう.

1つめと2つめはアニメ自体というよりも宣伝手法的な側面の話になってしまうので,今回は3つ目の点に特に注目します.あと,今更ガッツリ考察をしても新規性のあることを語れる気がしないので,感情的にふわっと話しちゃいます.

まどマギはエヴァを超えた?

放送当時は「ついにエヴァを超える作品が現れた」なんて声をよく聞きました.2020年の今になってみると,まどマギがエヴァを超えたかと言われるとかなり厳しいですが,それでも,「匹敵する」くらいは十分に言えるのではないでしょうか.

この主張で重要なのは,そもそもエヴァがまどマギの比較対象になっていることだと思います.何かしらで同じ土俵に立っていなければ,比較のしようがありません.ではエヴァとまどマギが共有した土俵とは何かといえば,やっぱり考察のしがいのある物語と,心理的な側面や哲学的なテーマにあるのではないかと思います.個人的には,輪廻とか魂の在り処とか,仏教的な思想を踏まえた考察が特に多かったと記憶しています.

考察の楽しみ

まどマギは作品内の考察が捗ります.それが面白さの最大のポイントでしょう.

今回は2度目の視聴で既に先の展開を知っているので記憶をリセットしながら観るのが大変でしたが,1話からどんどんと伏線らしきものが確認できます.

「なぜまどかはほむらを夢で見たのか?」「なぜほむらはまどかを知っているのか?」「あの夢の状況は何なのか?」「変わろうなんて思うなとは?」…と,疑問が大量に押し寄せてきます.その上で,物語後半でそういった疑問が(悲壮な事実を伴って)見事に解決されていくのを見てしまうと,脳内麻薬が大量に分泌されるのは必然というものです.

特に,何の説明もなくほむらの過去が淡々と明かされていく10話は強烈でした.上述したような1話からの疑問が全て回収された上で,「コネクト」がエンディングテーマとして流れ,今見たものと歌詞の意味の間で接続が確立した時の鳥肌は,2度めの視聴とはいえ相変わらず鳥肌モノでした.初見時のインパクトはとんでもなかったと思います.

10話で過去の全てと世界のルールを明かした上で,では一体,まどかが契約することなく二人がワルプルギスの夜を生き延びるにはどうしたら良いのか?当時の視聴者は全員この問題にうんうんと悩み,過去の出来事にその突破口のヒントを求めたはずです.これは正に暁美ほむらが直面し続けていた課題であり,そこで私の心は暁美ほむらと一体化しました.

その意味で,12話で鹿目まどかが出した解法は大変見事なものでした.感情論やお約束に頼らない,論理的な,正に「解法」と呼ぶにふさわしい方法だったと思います.

まどかが最強の魔法少女(そして最悪の魔女)の素質を得てしまったという悪い状況を逆手に取り,「今の君ならどんな願いでも叶えられるだろう」というキュゥべえの失言を利用したこの解法は,これまでさんざんルールに翻弄されてきた彼女たちが放った最高のカウンターパンチでした.

さやかの救出の際には「最後に愛と勇気が勝つ」はずだという感情論で失敗したという事実が,この解法をよりドラマチックにしているようにも思います.

2019年の「ケムリクサ」でも同様の構成を取っており,最終盤で過去の全てが明かされた上でラスボスに挑むという流れになっていましたが,やっぱりまどマギに影響を受けたところは大きかったんじゃないかなと思います.

まどかとほむらと叛逆の物語

それぞれのキャラクター毎に魅力的な点はあるのですが,やっぱり特筆すべきは主人公である鹿目まどかと,真の主人公である暁美ほむらのストーリーでしょう.

アニメ版のリメイクである劇場版前2作については省略しますが,新たな展開を含む叛逆の物語については言及しなければなりません.

当時,確か友人と2人で池袋の映画館に観に行きました.終了後は唖然としてしまったのを覚えています.正に「わけがわからないよ」です.唯一わかったのは,暁美ほむらと巴マミの時間停止ガン=カタがゲロアツなことだけでした.(「リベリオン」が好きな映画トップ10に入る私としては特に嬉しかったのです.)

「叛逆の物語」の評価ですが,これは賛否両論と言わざるを得ません.ビジュアル的な面は大変素晴らしかったと思います.第1幕の平和な魔法少女生活はファンサービス的に嬉しいものです.ただ,その後の展開,特に結末にはちょっとついて行けないところがありました.

この作品が,概念と化してしまったまどかを救出するものになるのではないか?というのは予想していました.しかし問題はどうやって?という点です.

先述したとおり,アニメ版の鹿目まどかの解法はキュウべえの発言を逆手に取った極めて論理的なものでした.「叛逆の物語」にもそれを期待していたのですが,あの結末にはアニメ版にあったほどの説得力を感じることができませんでした.暁美ほむらが概念に干渉することができる事など,過去の十分な描写に裏打ちされたとは言えない要素が多かったのは,やはり問題だったと思います.

とはいえ,設定は破綻しているというわけではなく,合理的な解釈は十分可能です.前述の点については,「時間遡行の張本人であるほむらにも因果の糸が絡み,魔法少女|魔女の素質が強化されていた」と考えることができます.個人的に好きな解釈は「ほむらにとってまどかとの再会は希望であり,これは魔法少女が絶望によって魔女化することと矛盾する.よってほむらは魔女ではない何かにならざるを得ない」というものです.論理的な解釈だと思いませんか?

まどマギシリーズは現在も続いていますが,あの物語の続きが語られることは今後あるのでしょうか.以前エイプリルフールに「償いの物語」というウソ続編の情報がファンメイドで流されたことがありますが,私も続編来て欲しいなあと思っています.


感情に訴えかける側面

ここまで,まどマギの素晴らしさは論理性だ!みたいな主張になってしまいましたが,感情的な部分も語るべきでしょう.

キュゥべえと魔法少女との間では,しばしば魔法少女ルールを巡る係争が発生します.私が特に好きなのが,9話の以下のやり取りです.

キュゥべえ「君たち人類の価値基準こそ,僕らは理解に苦しむなあ.今現在で69億人,しかも4秒に10人づつ増え続けている君たちが,どうして単一個体の生き死ににそこまで大騒ぎするんだい?」
まどか「そんな風に思ってるなら,やっぱりあなた,私たちの敵なんだね」

キュゥべえのこの発言には特にドキッとさせられるものがあります.この議論においては「宇宙全体の生死」と「1人の魔法少女の生死」を天秤にかけているわけですから,前者を選ばない理屈はありません.究極のトロッコ問題みたいなものです.

合理的に考えればそうなのですが,それでも,我々は後者を選びたくなってしまいます.キュゥべえに言わせれば「わけがわからない」でしょうが,やっぱり我々には納得できないのです.

キュゥべえの論理は合理的というだけでなく,現に我々も「より大きな善のためならば少数の犠牲を致し方ないもの」として日々生活していることを思い出させます.他にも肉体と魂の話であったり,人間と家畜の関係だったり,色々と哲学的な問題を繰り出してくるのが恐ろしいところです.

こうやって抜粋してまとめるとちょっと露骨すぎるような気もしますが,こういった問いかけをして,アニメの中にとどまらない現実的な問題を考えさせるのも,やはりまどマギの魅力的な部分でしょう.

小ネタ的考察

今後の展開を予想するわけでもないし,テーマ的な寄与があるわけでもない小ネタ的な考察要素の多さも魅力です.

リアルタイム放送時は魔女文字の解読に成功したニュースに心底驚いた記憶があります.あとは,エンドカードの楽譜がちゃんとオクタヴィアのテーマの楽譜になっているとかもありました.

個人的には,これもやはりオクタヴィア関係なのですが,ポスターの裏側の魔女文字を解読すると一面に”LOOK AT ME”と書かれている,って考察がトラウマになるレベルで印象的でした.未だに,問題のシーンのキャプチャ画像に大量に「私を見て」と書かれている写真が脳裏に焼き付いています.本当に怖かった.

こういう小ネタ的な部分は,やはり物語の良さに直結する要素ではないとはいえ,暖簾に腕押しになることなく,考察すればするだけちゃんと答えてくれることを示すという点でやっぱり重要なのかなと思います.

まとめ

やっぱりまどマギの面白さはストーリーの素晴らしさにあると思います.それは考察のし甲斐に支えられたものであり,言い換えれば作品のディティールの細かさにあると言えるのではないでしょうか.

3話まで不穏要素を隠して視聴者を欺く宣伝手法がクリティカルヒットしたというのも大ヒットの要因としては欠かせませんが,同様の手法を取ったのに失敗した作品も数多くあります.結局,この手法でとりあえず人を集めることができたとしても,その人達のお眼鏡にかなう内容を提供できなければ意味がないのでしょう.

まどマギに関して言えば,仮にそういったフックの部分が無かったとしても,(流行の速度はより遅かったかもしれませんが)内容の素晴らしさで今と同様の知名度を得ていたのは間違いないと思います.

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